利用者:NISYAN/私論/利用者ページ(下書き)の削除
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利用者ページ(下書き)の削除
[編集]私論の対象
[編集]他の利用者が作成した、利用者サブページに置いてある下書きの削除依頼が「Wikipedia:利用者ページの削除依頼」に挙げられていることをたびたび見かけることがあり、この手の案件を見るたびに思うことがあるので、考えをまとめてみました。
「Wikipedia:利用者ページの削除依頼」に挙がる削除依頼には、いくつかのパターンがあります。
≪権利の侵害に関する記述≫が削除理由になっているものを、ここでは除きます。それは、「Wikipedia:削除の方針#ケース B: 法的問題がある場合」のようなケースとそれ以外のケースでは、扱いを変えるべきと考えるからです。それは、「Wikipedia:利用者ページの削除依頼#削除の対象となるもの」にも、権利侵害を伴う場合と伴わない場合で扱いが異なることからも、同列に扱うべきでないことはあきらかでしょう。
また、≪広告・宣伝を目的とするページ≫が削除理由になっているものも除きます。これは「Wikipedia:即時削除の方針#全般4」ベースのケースです。基本的に削除依頼を通さずとも管理者裁量で削除するという、即時削除ベースで削除可能な内容がたまたま利用者ページに投稿されているケースと、そうでないケースとを、同列に扱うべきでないこともあきらかでしょう。
こうした理由がない場合で削除依頼が出されるものに、下書きページがあります。これは「Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事」を引き合いに提出されるものです。百科事典的な記事を作る際に、記事を作る元ネタとなる情報を充分含まない下書きを残しておくかどうかという話にもなると思います。
私は、こういう情報を積極的に削除する必要はないと考えています。
削除することによるメリット、削除しないことによるメリット
[編集]こういった場合にまず考えるのは、削除することと削除しないこと、それぞれのメリットとデメリットを考えます。これらについて私が考えるものは、以下のようなものです。
- 削除することによるメリット
- 粗悪な下書きが、外部の検索エンジン経由で到達可能な状態となっている。
- 削除しないことによるメリット
- Wikipediaが保有するエリアに下書きとして置いておくことにより、下書きはWikipediaが存続する限り残るので、ローカル保存に比べて、当該利用者が情報を紛失する心配がない。
- 当該利用者以外の第三者が再利用可能である。
- 人的リソースの軽減効果がある。
- ディスクリソースの軽減効果がある。
削除することによるメリット
[編集]粗悪な下書きが、外部の検索エンジン経由で到達可能となっている
[編集]これには削除による解決以外に方法があります。例えば{{NOINDEX}}を付与するという方法が考えられます。これを行うにあたり、管理者権限を使用する必要はありません。他の利用者ページを編集するのですから、ある程度の妥当性あるいは合意が必要かもしれません。しかし、管理者に削除の負担を強いることなく対処する方法もあるということです。
削除しないことによるメリット
[編集]当該利用者が情報を紛失する心配がない
[編集]当該利用者がブロックされているとしても、そのブロックが半年以内くらいの期間である場合、もっと言うならケースE的に状況が大きく変化することが見込めないほどの短い期間である場合、当該利用者による再利用の可能性はあります。その場合、この方法であれば下書き情報を紛失するおそれはありません。そして、この観点のメリットを感じる必要があるのは当該利用者だけであり、他者がメリットを感じるか感じないかは、どうでもいいことと考えています。
当該利用者以外の第三者が再利用可能
[編集]当該利用者以外の人が、標準名前空間に投稿する記事を作成する場面を考えます。問題の下書きを再利用可能でないと感じる人は、下書きを無視して記事を作成すればよく、この情報があるからといって困ることはありません。下書きを再利用可能であると感じる人は、下書きの情報を含む様々な情報源の中から情報の取捨選択を行い、その上で記事を作成すればいいことです。
再利用可能でないと考える人にとって、この情報があることがデメリットになるわけではありませんし、削除することでメリットがあるわけでもありません。再利用可能と考える人にとって、この情報があることはメリットです。
人的リソースの軽減
[編集]ここでいうリソース、コストには、以下のようなものがあります。
- 削除に伴う議論コスト
- 削除をするかどうかを議論するコスト。削除依頼が提出されなければ、そのような議論を行う必要もありません。
- 削除対処に伴うコスト
- これを行うことができるのは、削除権限を持つ限られた人だけです。そのような人のコストを強いることになります。
- 復帰に関するコスト
- 下書きを作成した利用者がWikipediaに復帰したとします。そして下書きが削除されているとします。当該利用者は、ローカルの下書きを紛失したなどの理由から「Wikipedia:削除の復帰依頼」を要求するかもしれません。「Wikipedia:復帰の方針#最低1週間をかけて合意形成がされた削除案件に対しての基準」が基準です。このような議論コストは無駄なものだと感じます。元々削除しなければ、こんな議論を行う必要はありません。また、復帰するとなった場合には、上記≪削除対処に伴うコスト≫と同じように、限られた人のコストを強いることになります。
ディスクリソースの軽減
[編集]この影響はほとんどありません。しかし、削除しないよりも削除する(削除したという情報を付与する)ほうが、ディスクリソースを消費します。また、ディスクリソースの消費という観点では、削除や復帰の議論が一番消費します。
例えば、この私論を書くきっかけとなったある依頼での私の初回コメントは2,445バイトです。この私論作成時点ではまだ対処されておらず、ここまでで、それ以降に14版のコメントや他の依頼が行われています。そして、Mediawikiでは版の差分情報だけを保持するのではなく、版ごとに全文を保持するデータ保持構成であるため、私の初回コメント2,445バイトは、それ以降の14版のデータにも含まれます。つまり私の初回コメントはこれまでに36,675バイト(2,445バイト×15)を消費しています。これは、依頼対象の下書きサイズ62,399バイト(14,007バイト+22,761バイト+14,038バイト+11,593バイト)の半分以上を占めています。他の利用者のコメントと足し合わせれば、元々の下書きサイズを優に越えます。
つまり、ある下書きを削除するための議論に、下書きに掛けるディスクリソース以上のリソースを割いているということです。
まとめ
[編集]私には、≪削除することによるメリット≫が≪削除しないことによるメリット≫を上回るとは到底思えません。これ以外に削除すると嬉しいと思う人がいるとしたら、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という観点で、特定利用者の下書きが削除されると嬉しいと感じているのではないでしょうか。様々なリソース、コストを掛けてまで、誰も見ないような下書きをわざわざ積極的に削除するようなメリットを全く感じません。
なお、≪誰も見ないような≫と書きましたが、改善記事を投稿する人が見る可能性はそこそこあります。被リンクページを修正する必要があるので、Wikipedia内で検索を掛けるはずです。そして設定次第では、利用者サブページも検索対象に含まれます。上記に書いた{{NOINDEX}}が付与されているページであっても検索可能です。あるいは、再投稿を行う際には削除依頼ページに辿り着くため、そこから利用者サブページに到達する可能性もあります。
このような理由から、利用者サブページの下書きに対しての、ケースE的観点での削除依頼には、大抵の場合、存続票を投じています。