利用者:NBR2000/ヤンキーオリンピック
ヤンキーオリンピック | |
---|---|
出身地 | 日本 |
ジャンル |
パンク・ロック ロック コミックバンド パニック・パンク ポップ・パンク |
活動期間 | 2000年 - |
レーベル | 人間便器RECORDS |
概要
[編集]バンド八代(1999年結成)解散後、2000年熊本市で松村・尾崎にて結成。通称:ヤンオリ。初期は「尾崎慶彦&ヤンキー・オリンピック」と名乗り、現在は「ヤンキーオリンピック」表記に統一し九州を中心に活動中。2016年7月1日全国流通盤となる12曲入り3rdフルアルバムCD[1]「YANKEE'S NOT DEAD」リリース。人間便器RECORDS所属。
メンバー
[編集]2000年結成時のメンバーを「結成メンバー」。2001年春時点のメインメンバー9人を「オリジナルメンバー」とする。
現メンバー
[編集]- 尾崎慶彦:ボーカル・作詞・作曲・ベース(ベースメンバー不在時)
- 結成&オリジナルメンバー。
- 熊本県八代市出身。1979年11月生まれ。
- 映画(特にB級ホラー映画)に精通し、アマチュア映画評論家としても活動していた。
- 洋楽を中心に音楽通で、DJ OZAKI名義でも活動。
- 好きな食べ物は「スパゲティ」。
- 無類のビール好きで、その酒量はメンバー随一。
- 2015年末に行われた3rdアルバム「YANKEE'S NOT DEAD」のレコーデイング以降実質バンド活動を離れている状況で復活が望まれる。
- 松村浩史:ギター・ボーカル・作詞・作曲
- 結成&オリジナルメンバー。
- 熊本県八代市出身。AB型。1980年2月生まれ。
- バンドリーダー。
- 熊本インディーズレーベル人間便器RECORDS代表。音楽イベント「人間便器NITE」シリーズのオーガナイザー。
- 通称「まら社長」。
- 「レーベル名が“人間便器RECORDS”の名前ため怪しい組織・バンドと勘違いされてしまうが、割と真っ当な音楽団体である」とのこと。
- プロレス・格闘技好きで、自身もアマチュア格闘家として活動していた。
- DJ MARA名義でごくまれに活動。
- 藤本筋肉君:ボディービル
- 田上マサトシ:ドラム
- 2007年頃加入。2009年頃一時脱退するも、2010年頃再加入。
- ガンプラ・ミニ四駆を中心に扱う模型店を経営していた。
- 吉本ヒロキ:ベース
- 2005年頃加入。2007年頃一時脱退後、2010年頃再加入。
- さっちん:キーボード・コーラス・ジャンベ
- 2007年頃加入。パーカッションとして加入後、現在はキーボード、コーラス(セリフ)を担当。
- 毎回ライヴごとに違うコスプレを行う。
- 従兄弟はmonterimaメンバー。
- ラテンバンド「Love Samba DEES」メンバーとしても活動中。
- ヒロショー:三代目サイドボーカル、ダンサー。
- 2007年加入。2010年頃脱退。脱退後もメンバー不在時にサポート参加。
尾崎活動休止に伴い2016年よりサイドボーカルとして復活。
- 加入当時は見習い兼ダンサーだったが、メンバー編成に伴いサイドボーカルへ昇格。
- しゃがれ声が特徴。
- 坂本リューヤ:ボディービル
- 2009年頃加入。
- 藤本筋肉君に見られる旧来のボディービルスタイルと異なり、「動くボディービルダー」として注目を集める。
- ドラマー不在時はドラムを務める。The Greedman’s Ensembleドラマー。
- 2016年より活動が困難になり活動休止中。
- 堀サトシ:四代目サイドボーカル・元ダンサー
- 2008年頃加入。ダンサーとして下積み後、サイドボーカルとして抜擢。
- 尾崎活動休止に伴い、2016年よりメインボーカルをとることが多くなった。
- 冨士崎諒介:キーボード、コーラス
- 2016年末加入。2017年1月初LIVE
旧メンバー&現行サポートメンバー
[編集]- 田中公平:タンバリン・ブッキングマネージャー。結成&オリジナルメンバー。
- 初ライヴを直前に一度クビになるが、2回目のLIVEより復活。2011年脱退。プログラミング担当として加入するも、初期の段階で見切りを付けられタンバリンに専念。10年間叩き続ける。
- 元イベント団体shalom代表。元Perkin ermerボーカル。
- 中松ヨシオ:二代目サイドボーカル・元ドラム・元パーカッション。結成&オリジナルメンバー。
- ヤンオリ初ライヴ時はドラムだったが、その後パーカッションに降格。2005年宇野の脱退によりサイドボーカルへ。
- 2007年脱退。
- 西尾純平:ベース。オリジナルメンバー。
- 2005年頃脱退。その後、数度ダンサーとしての参加が目撃されている。
- 「紙を食べる」等、意味不明なパフォーマンスが多かった。歴代ベーシストの中で唯一、楽器を放り出しパーフォーマンスに参加するベーシストであった。
- 宇野マサオミ:初代サイドボーカル。結成&オリジナルメンバー。
- メンバー紹介では(サイド)ボーカルではなく「MC」としての表記が多かった。
- そのルックスより「ウノ・ヴィシャス」として女性ファンの人気を集めた。
- ライヴ本番中に「突如ステージからいなくなり、控え室で読書をする」等の奇抜かつ解りづらいなパフォーマンス得意としていた。
- 2005年頃脱退。
- DJ UNO 名義で活動していた。
- 飛騨ヒロユキ:キーボード。オリジナルメンバー。
- 2001年加入。2005年頃脱退。
- 当時ステージ上での放尿・脱糞・全裸・放火・器物破損・ライヴハウス原付爆走等々の体を張ったパフォーマンスで一目置かれる。
- 音楽イベント「MICちゃん」主催していた。(MICちゃんの由来は、釣り餌「生ミック」の“ミック”と映画俳優アーノルド・シュワルツェネッガーの愛称「シュワちゃん」の“ちゃん”を足したもの)
- 全日本柔道監督の井上康生は小・中学校の同級生。
- 現在は東京にて自身のバンドのボーカル・ギターとして活動中。
- 上村ケンスケ:ドラム。オリジナルメンバー。
- 2001年加入。2008年頃脱退。
- パチスロにのめり込み所在不明になっていたが、2014年生存が確認される。
- 田上翠:キーボード、コーラス。
- 2002年加入。アマチュアアナウンサーとしても活動。
- 2017年1月のLIVEの後再び産休へ。
- 山口智彦:ベース。
- 2007年頃加入。2009年頃脱退。2015年より不定期にてサポート再開。
- 現在は実家の家具屋を経営。
- 三雲コシロウ:ドラム。
- 原本ファミコン:パフォーマー。
- 樋口“マンハッタン”雄介:パフォーマー。
- 2002年春サポートメンバーとして加入後、レギュラーとして定着。
- 「ライヴの間ステージ上でひたすら飯を喰らう」というパフォーマンスが話題に。
- 2008年頃自身のバンド赤裸々リーゼントに集中するため脱退。
- 福田純子:キーボード。結成メンバー。
- ヤンオリの曲は尾崎・松村共作の曲が基本だが、一曲のみ例外曲(「さよならの頃」)の作詞・作曲を担当。
- 初ライヴ後脱退するが、2002年飛騨が警察にお世話になった際に代理でキーボードとしてサポート参加。
- 長谷チャー:パーカッション。オリジナルメンバー。
- 2005年頃脱退。
- 担当はパーカッションで常にマイバスドラをステージ上に持ち込み「バスドラをバットで叩く」「バスドラ・バックドロップ」という非常に荒々しいパフォーマンスが話題になる。「ヤンキーサンセット~僕が馬鹿になる前に~」ではカズーを吹いていた。
- 下戸。
- ムラサキ筋肉君:ボディービル。
- 2017年始よりサポート開始。
- リーダーまらと同じ総合格闘技ジムに通っていたところスカウトを受けサポートボディービルダーへ。
- 長年ジャズドラマーとして活動しているがヤンオリでは披露する機会がない状況。
- 総合格闘技九州チャンピョン。
旧サポートメンバー
[編集]- 西ちゃん:パフォーマー(当初はオリジナルメンバーになる予定だったが辞退)
- おにぎり:パフォーマー
- ヨータ:パフォーマー
- カリカリ松尾:パフォーマー
- マーボ:三味線
- 河津:ドラム
- 健太:パフォーマー
- 石井筋肉君:ボディービル
- Wゆいちゃん:コーラス、キーボード
- 江上:ドラム
- 高田ダイスケ:ベース
- ジョージ:ベース(正式には結成メンバーだが初ライヴ前に脱退)
- こるり:アコースティックギター(正式には結成メンバーだが初ライヴ前に脱退)
- かずま:パフォーマー
- 中原:パフォーマー
- 日野:フラダンス
- 祥生:セキュリティー
アルバム
[編集]1st「ヤンキー・オリンピック LIVE 2000-2009」 (2009年7月リリース) 2枚組ライブ盤 (NBR-007)
【Disk1】 ヤンキー・スマイル/ 地獄甲子園/ 焼き討ちじゃ!/ 泥棒猫/ 免罪符/ 金玉mind/ コックリさん・リターンズ/ 怨霊伝説/ 冬将軍/ STAY WITH ME~ヤクザが追ってきた~/ ホモばあさん/ オベベ!ウババ!~猿になろう~/ おでん君/ 豚ひき小僧/ さよならの頃/ ヤンキーサンセット~君が馬鹿になる前に~/ I LOVE S#ARP/ ヤンキーオリンピックのテーマ/ Enjoy!~今夜はPARTYだ!~
【Disc2】 S!E!X!/ 薄情者/ ドカタROCK~親方が殺された~/ ゲーム脳/ パンチラ君/ 人面犬/ シンナー・マジック/ ジハード~俺達の聖戦~/ バレンタイン・レ○プ/ ヤンキー・サプライズ/ 老婆心/ マラが街に帰ってきた/ 金玉マウス/ 新世紀/ 穴兄弟/ ウホッ!やらないか!?/ サンタがママをレ○プした/ 金玉 in my head/ ボーナストラック
*当初は2009年までの楽曲全部を収録予定だったが「ファッキン25才」「ヤンキーオリンピックのテーマ2」「農業LOVE」等のライヴ音源が見つからず断念。 ライヴ未発表曲「ヤンキーランクアップ」「ストーキングLOVE」「さよなら詩乃ちゃん」等も未収録。また2010年以降の新楽曲「どうせならハッピーエンドで」「バレンタインデーにチョコレート13個貰ったよ」「妖怪ウォッチ」「ラッキー・スケベ」等も未収録となっている。
2nd「デモリンピック」 (2009年9月リリース) Enjoy!~今夜はPARTYだ!~/ 泥棒猫/ 人面犬
3rd「YANKEE'S NOT DEAD」 (2016年7月1日リリース) バンド初の全国流通盤
ウホッ!ヤラないか!?/ 地獄甲子園/ 老婆心/ シンナーマジック/ 泥棒猫/ 人面犬/ パンチラ君/ ラッキースケベ/ ホモばあさん/ 金玉 in my head/ 穴兄弟/ Enjoy!~今夜はPARTYだ!~
ヤンキーオリンピックヒストリー
[編集]- バンド八代解散後、新しいバンドをやろうと思った尾崎と松村は、2000年当時開催された「AIR JAM2000」のVTRを見て、その中でも特に印象に残った「鉄アレイ」の強烈な個性と「LOW IQ 01」の他メンバーと「喜納昌吉&チャンプルーズ」の様な人名+バンド名的なネーミングにしたバンドしようと話し合う。2000年結成当初の仮名は「尾崎慶彦&逆チャンプルーズ」(喜納昌吉&チャンプルーズのテーマである「すべての武器を楽器に」というコンセプトをもじり「すべての楽器を武器に」というコンセプトで進める予定だった。
- 2000年正式なバンド名を決める際、松村が「ヤンキー・スマイル」、尾崎が「○○・オリンピック」(○○は何だったか現在不明)とそれぞれ案を持ってきたため、二人は同時に「ヤンキー・オリンピック!!」と声を出し、バンド名決定の運びとなった。(後に「ヤンキー・スマイル」は曲名として使われる)
- 当初は周りのバンドとの差別化をはかるため「テクノ・ビリー」(サイコビリー+テクノ?)という新しいジャンルの創造や、アコギ3本にシーケンサー・プログラミングという実験的なリハーサルを繰り返すがもちろんうまく行かず、ツインボーカル+ギター+ベース+ドラム+キーボードというバンドスタイルになっていく。
- 初ライヴ後、バンド八代が再結成&フルアルバムリリース&レコ初ライヴのため4ヶ月ほどヤンオリ活動休止状態に。しかし2000年春には新メンバー(オリジナルメンバー9人)で本格的に活動開始。
- バンドスタイルに多人数のパーカッション(初期は各自本格的なパーカッションを使用していたが、毎度ライブ時の破壊行為によって故障していく)という目新しいスタイルを確立。所属レーベルのテーマである「ライヴは運動会だ!」(イースタンユースの「ライブは運動会ではない」という発言より由来。)というコンセプトを元に、激しいステージングを展開していた。
- 2001年地方テレビ局主催の「ヤングバンド選手権」に出場するも、あまりの危ういパフォーマンスによりヤンキーオリンピックのみTV放映カットとなる。【ヤンオリTVカット事件】。その際、審査員長からのコメントとして「そこら付近のパンクバンドより全然危ない」という好評をもらう。
- FUJI ROCK FESTIVAL出演した後のファンタジーズコアに「今年見た国内外バンドの中で5本の指に入る」という評価をもらったことがある。
- 初期の楽曲には曲中(サビ前)でのコント(もしくはセリフ等)が多く、メンバー曰く「ヤンオリ十八番のSTOP&GOの展開」とのこと。
- 初期の楽曲歌詞中で誰かが死ぬ内容が多かったが“いつ死ぬかわからないので、今を全力で生きて欲しい”というメッセージであるとのこと。
- 2002年3月 及び 2003年3月に2度大々的に「解散LIVE」を行うが、何食わぬ顔で翌月よりライヴ活動を再開した。
- 2002年12月「マキシマムザホルモン」の前座の話をもらうが、自主イベント「人間便器NITE」と日程がかぶったため辞退し、後に大きく後悔。
- 2004年3月より3ヶ月に1回のペースで「一夜限りの再結成LIVE」を行い、その後も何食わぬ顔で活動を続ける。
- 2005年頃よりメンバーが熊本・福岡・宮崎・長崎・鹿児島・大阪・神奈川と本格的にバラバラになってきたが、メンバー入替&サポートメンバー追加により今日まで活動継続中。
- 当時のメンバー飛騨のパフォーマンス(及び酒癖)は有名で、機材破壊が多くライヴハウスへの弁償が続く時期があった。
- 2007年頃よりバンド紹介等で「熊本の生ける伝説」という紹介をされることが多くなる。
- メンバー内に「GARLIC BOYS」のファンが多く、GARLIC BOYS活動休止前の来熊LIVE(2009~2012年)は4年連続毎年前座を任せてもらっていた。
- 近年は年3~4回程度のペースで活動中。メンバーも歳をとり、初期の激しさを売りにしたスタイルから、曲・パフォーマンス共にポップな面が強くなってきている。
- 2015年結成15周年記念LIVEを開催。
- 2016年2月「SONY MUSIC ARTISTS」とTV局主催のオーディションの最終先行候補に残るものの「行進にチャンスをお譲りください」とのコメント共に最終LIVE審査には残れなかった(その際ソニー審査員に「往年の渋さ知らずズ」、JAGATARAを彷彿とさせ、大人の凄みをひしひしと感じさせてくれて、それを持続していく気力・体力・音楽愛がすごい」というコメントをもらう。
- 2016年7月1日初の全国流通盤となる12曲入りフルアルバム「YANKEE'S NOT DEAD」をリリース(デジタル版は2016年5月にiTunes他[2] にて発売開始)
- 2016年8月、熊本震災(ヤンオリメンバー内では家族の震災関連死、実家全壊を経験した者も)の復興支援イベントを開催し、CDの売上の一部とLIVEの利益全額を義捐金として寄付した。
- 2017年現在サポートメンバーを新たに迎えながら活動中。[3]
脚注
[編集]- ^ https://www.amazon.co.jp/YANKEES-NOT-DEAD-%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF/dp/B01FRPYRNI/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1487952334&sr=8-1&keywords=%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF
- ^ https://itunes.apple.com/jp/album/yankees-not-dead/id1112101780?l=en
- ^ http://gekirock.com/news/2017/02/avest-project-vol10_audition.php