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佐久ホテル(旅館)
[編集]佐久ホテル(さくほてる)は本社を長野県佐久市に置く宿泊業者。
宿泊 飲食 物品販売等 名物の天茶(甘茶)販売は有名。
歴史
[編集]1428年(室町時代 正長元年)に宿として創業。以来篠澤氏が代々同じ場所で営業を継承。ホテル近くには歴代当主の墓標が祭られている。創業当時からの文献が現在まで数多く保管されているが、なかでも足利将軍や徳川将軍から賜った礼状は20点近い。戦国時代には当主が篠澤用水を開拓。現在でも佐久地域の水道水や農業用水に利用されている。篠澤水源、篠澤地籍、篠澤川もあるが『笹沢』とも表記される。1531年には篠澤信重が武田信玄を接待し『感状軸』を拝領。信玄が邸内の井戸水を沸かした風呂に入浴したとの伝承もある。以降、明治後期まで『旭湯温泉』とも呼ばれ、江戸時代の文献には諸国大名に料理・風呂・寝具などを提供したと記されている。1691年(江戸時代・元禄3年)に無形文化財・岩村田祇園祭の御振舞之儀を承った。以来300年以上の長きにわたり、祭では約150名分の鰻蒲焼、豆腐料理、天茶、刺身、前菜、酒肴、酒、飲物等を無料で振舞っている。1750年(江戸時代・寛延3年)篠澤佐五右衛門滋包淑が岩村田城主内藤美濃守正弼公のご法要料理を菩提寺西念寺へ届けたという記録があるが、260年以上経った現在でも西念寺への法事料理の出前を行っている。明治時代には宮内省の命を受け明治天皇の専用室を建設し『佐久ホテル』と命名される。戦時中は農兵隊宿舎となり、終戦まで毎日200名以上の隊員が宿泊をした。昭和60年に現在の建物が建築され、宿泊、飲食、物販販売等の経営をしている。
佐久地域名物 佐久鯉料理発祥の宿
[編集]慶安元年(1648年 江戸時代・徳川家光の時代)篠澤佐五右衛門滋野重長が小諸城主青山因幡守宗俊公に献上したとされる献立に鯉料理が2種類記載されており、これが佐久地域の名物『佐久鯉料理』の最古の記録として佐久史学会より認定されている。また当時の献立は現在でも佐久ホテルで提供されている。なかでも250年以上継承されている継ぎ足しのタレで約3時間煮込んだ「鯉こく」は有名。
江戸時代初期の献立
- 佐久鯉料理 鯉の刺身・吸物等
- のっぺい鍋 別名のっぺい汁
- やきとり 鶏肉を焼いてかまぼこと一緒に提供
- そば 蕎麦切り
- さざえ壷焼 さざえを壷焼きにして重箱に詰めた
- ホルモン焼 鶏や獣の内臓を野菜などと焼いて提供
- からすみ 木の器に和紙を敷いてからすみを盛りつける
- しじみ汁 土筆に汁を入れて提供
- 鴨料理 鴨肉を煮てわさびを添える
- さわち料理 車海老・あわびを皿鉢(さわち)に盛る
- 白魚料理 白魚の吸物
- 卵焼き 重箱に詰めて提供
- 伊勢海老料理 塩焼きにして和紙に盛る
- うに料理 うにの塩漬け
- たこ料理 たこの煮もの
- 麩料理 酒の薄いだし汁で焚い麩
- うづら料理 焼いたうづら肉
- たら料理 たらの吸物に胡麻をかけたもの
その他の食材 鶴の肉・みかん・きんかん・こんぺいとう・ようかん・梨・ぶりこ・鯛・栗・生姜・芹・みつば・えのき茸・ゴボウ・うど・とうがん・くるみ・いわたけなど
会社概要
[編集]検索 株式会社 佐久ホテル
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 佐久ホテル
本社所在地 〒385-0022 長野県佐久市岩村田今宿553
設立 1428年11月10日 (室町時代)
事業内容 宿泊 飲食 物品販売等
代表者 代表取締役社長 篠澤明剛(ささざわあきたけ)
資本金 42,000,000円
従業員 24名
決算期 8月31日
外部リンク
[編集]アクセス
[編集]※最寄駅 JR岩村田駅⇒750m(徒歩9分)
JR軽井沢駅⇒20km(車29分)
JR佐久平駅⇒(車で3分)
【車】
上信越道軽井沢IC ⇒ 一般道28.8km(車38分)
上信越道佐久IC ⇒ 一般道2.1Km(車3分)