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岡山県出身の現代音楽作曲家[1]。本名、千枝子[2]。1960年、日本で最初に電子楽器や非楽器による集団即興を始めた〈グループ・音楽〉を結成[3]。1964年、ニューヨークへ渡り〈フルクサス〉に参加[4]。以来、イヴェント、インターメディア、パフォーマンス、室内楽、視覚詩など、活動は多岐にわたる[4]。
経歴
[編集]岡山市に生まれる[2]。6歳の時、1945年6月29日未明の岡山大空襲で家を焼かれ[4]、玉島市(現・倉敷市)へ移住[2]。両親の影響で幼少から音楽に親しみ、9歳でピアノを習い始める[2]。作曲家を志し、東京芸術大学音楽学部楽理科へ進学、アントン・ヴェーベルンなどヨーロッパの現代音楽を学ぶ[2]。在学中の1960年、同級生の小杉武久、水野修孝らと〈グループ・音楽〉を結成[2]。即興演奏を行ったり、ミュージック・コンクレートと呼ばれる騒音などあらゆる音を取り入れた、新しい音楽表現を模索した[2]。翌1961年、同グループは草月会館でデビュー・コンサートを実施し、11月には一柳慧の作品発表会に参加するも、まもなく解散した[2]。
1962年、岡山に帰郷[2]。翌年、岡山県総合文化センターホールでソロ・リサイタルを開催[2]。10名の出演者が読む数字に対応してマッチ箱を積み上げるなどの無関連な動作を繰り返す《アクション・ミュージック〈回転〉》など、自ら作曲した5曲を披露した[2]。岡山と東京を往復しながら、音符を使わず、文章のみからなる楽譜を多く書いたほか、時間の持続を視覚化した、34個の入れ子状態の紙の箱からなる《エンドレス・ボックス》を制作した[2]。
1963年、草月会館で出会ったナム・ジュン・パイクに勧められ、これまでの作品をニューヨークのジョージ・マチューナスに送った結果、《イヴェント小品集》としてフルクサスによって出版される[2]。1964年、同様にマチューナスと文通していた久保田成子とともに渡米[2]。10月には「パペチュアル・フルックス・フェスト」の一環で、《ウォーター・ミュージック》や《顔の消える音楽》を披露した[2]。同年、塩見の代表作とされるイヴェント《スペイシャル・ポエム》を実施[5]。「同封したカードに言葉を書いて、それをどこかに置いて下さい。そして何の言葉をどこに置いたか、どうぞ私に知らせて下さい。世界地図の上にそれらを編さんしますから[6]」と書いた手紙を世界中の知人に送ることで、地球をステージにイヴェントを実行した[2][6][7]。
1965年に帰国[2]。1966年、草月会館ホールでのハプニング「空間から環境へ」で《コンパクト・ヴュー No.1》を披露[2]。1967年頃から允枝子と名乗るようになる。1969年に代々木国立競技場で開催された「クロス・トーク/インターメディア」などで、音、ことば、光、物体などの多様な素材で構成したインターメディア作品をいくつか発表した[2]。
1970年に結婚して大阪へ移り、翌年出産[2][8]。一時は制作活動を中断して家事と育児に専念するも、やがて家にいながら制作可能な《スペイシャル・ポエム》シリーズを再開する[8]。 同シリーズはNo.9まで続け、それぞれのイヴェントの記録を集め、マチューナスと共同で地図のオブジェとして視覚化したり、1976年には本として自費出版した[2]。
1970年代後半から1980年代を通じて、《鳥の辞典》など、ことばの表現を追求した、演奏難度の高い音楽作品を多数作曲している[2]。1990年、ヴェネツィアの「フルクサス・フェスティヴァル」に招待されたことを機に、再び活動の場を海外へと広げる[2][6]。1992年ケルンでの「FLUXUS VIRUS」、1994年ニューヨークでのジョナス・メカスとナム・ジュン・パイクの共催による「SeOUL NYmAX」などに参加[9]。995年パリのドンギュイ画廊、198年ケルンのフンデルトマルク画廊で個展[9]。一方、国内でも「フルクサス・メディア・オペラ」「フルクサス裁判」などのパフォーマンスや、「フルクサス・バランス」などの共同制作の視覚詩を企画する[9]。
著書に『フルクサスとは何か―日常とアートを結びつけた人々』(フィルムアート社、2005年)[2]。
主要展覧会
[編集]- 2001年「ドイツにおけるフルクサス 1962-1994」(国立国際美術館)
- 2004年「フルクサス展:芸術から日常へ」(うらわ美術館)
- 2005年「前衛の女性1950-1975」(栃木県立美術館)
- 2012年「MOTコレクション:クロニクル1964-|OFF MUSEUM」(東京都現代美術館)
- 2013年「コレクション1:特集展示 塩見允枝子とフルクサス」(国立国際美術館)
- 2014年「フルクサス・イン・ジャパン 2014」(東京都現代美術館)
脚注
[編集]- ^ “概要 | 京都市立芸大芸術資源研究センター”. 2021年3月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 由元みどり「作家解説」『前衛の女性 1950-1975』栃木県立美術館、2005年、154頁。
- ^ “グループ・音楽|現代美術用語辞典”. artscape. 2021年3月14日閲覧。
- ^ a b c “日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ/塩見允枝子オーラル・ヒストリー”. www.oralarthistory.org. 2021年3月21日閲覧。
- ^ “REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 「塩見允枝子とフルクサス」”. 2021年3月27日閲覧。
- ^ a b c “塩見 允枝子「SPATIAL POEM No.1」|倉敷市立美術館”. www.city.kurashiki.okayama.jp. 2021年3月27日閲覧。
- ^ 塩見允枝子「スペイシャル・ポエムの背景:現在進行形のネットワーク」『国立国際美術館ニュース 196号』国立国際美術館、4頁、2013年。
- ^ a b “ジェンダー差別「考えたことがない」―― 世界的”女性アーティスト”が背負ってきたもの - 後藤美波 | Yahoo! JAPAN クリエイターズプログラム”. creators.yahoo.co.jp. 2021年3月27日閲覧。
- ^ a b c “ときの忘れもの 塩見允枝子 SHIOMI Mieko ”. www.tokinowasuremono.com. 2021年3月27日閲覧。
参考文献
[編集]- 『前衛の女性 1950-1975』栃木県立美術館、2005年。
- 黒ダライ児『肉体のアナーキズム:1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』grambooks、2010年。
- 「「MOTコレクション クロニクル1964-│OFF MUSEUM」展関連プログラム「塩見允枝子 トーク&パフォーマンス インターメディア/トランスメディア─多様な作品群を繋ぐ手法」採録」 − 『平成24年度 東京都現代美術館年報 研究紀要 第15号』2012年。
- 塩見允枝子「スペイシャル・ポエムの背景:現在進行形のネットワーク」『国立国際美術館ニュース 196号』国立国際美術館、4頁、2013年。
2018 トラベラー まだ見ぬ地を踏むために (開館40周年記念展), 国立国際美術館, 大阪, 2018/01/21 - 2018/05/06, "第2部: 時をとらえる". catalog: pp. 140-141, col. repr., 210, 220. floor guide: no. 35_8, p. 043 [top, installation view].
外部リンク
[編集]- 塩見允枝子 − ときの忘れもの(ギャラリー)
- フルクサスと塩見允枝子の今~前衛であること~ − アート・ドキュメンタリー「Edge」2006年1月14日
- 後藤美波「ジェンダー差別「考えたことがない」―― 世界的”女性アーティスト”が背負ってきたもの」 − 2020年3月26日(ドキュメンタリー)
- 塩見允枝子オーラル・ヒストリー:2013年6月24日、2013年6月25日 − 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ
- 塩見允枝子オーラル・ヒストリー:2014年12月1日、2014年12月2日 − 京都市立芸術大学芸術資源研究センター
- グループ・音楽|現代美術用語辞典 − artscape
- フルクサス|現代美術用語辞典 − artscape