利用者:Momomomomonga/sandbox2
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麻田 浩(あさだ ひろし、1931年 - 1997年)は、京都市出身の洋画家[1]。幻想的な廃墟を多数描いた[2]。父は日本画家で、日展で活躍した麻田辨自。兄は同じく日本画家で、創画会の麻田鷹司[3]。
略歴
[編集]1931年10月27日、京都市に生まれる。父から画家になることを反対され[4]、1951年同志社大学経済学部に入学するが、まもなく新制作協会の研究所に通うようになりデッサンと油彩画を学ぶ[1][5]。在学中の1953年、新制作協会展で初入選[1][3]。大学卒業後は大丸京都店に就職するも精力的に制作を続け、1962年退職、画業に専念するようになる[3][4]。
初期はマチエールを強調するアンフォルメル風の作品を手掛けたが、1963年のヨーロッパ旅行を経て、徐々にシュルレアリスム的表現へ画風が変化する[3][6]。
1970年結婚。1971年、松本清張の小説『ゼロの焦点』(新潮文庫)の表紙画に作品が採用される[3][7]。
同1971年、二度目の渡欧。パリに住み、ジョニー・フリードランデルのもとで銅版画も始める。
主要展覧会
[編集]- 2007年「没後10年 麻田浩展」京都国立近代美術館
- 2008年「特別展示 麻田浩 展」東京オペラシティアートギャラリー
- 2017年「練馬区独立70周年記念展 没後20年 麻田浩展 ―静謐なる楽園の廃墟―」練馬区立美術館
脚注
[編集]- ^ a b c “麻田浩 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2022年4月9日閲覧。
- ^ “廃墟の画家・麻田浩、没後20年展 東京・練馬:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2022年4月9日閲覧。
- ^ a b c d e “没後10年 麻田 浩展 I. 知られざる初期作品 1953-1971|京都国立近代美術館”. www.momak.go.jp. 2022年4月9日閲覧。
- ^ a b 眞子みほ「第1章:画家としての出発」『麻田浩 静謐なる楽園の廃墟』青幻舎、2017年、16頁。
- ^ 「麻田浩 年譜」『麻田浩 静謐なる楽園の廃墟』青幻舎、2017年、203頁。
- ^ 眞子みほ「第2章:変化する意識と画風」『麻田浩 静謐なる楽園の廃墟』青幻舎、2017年、24頁。
- ^ “麻田浩 Special thmatic exhibition:ASADA Hiroshi”. www.operacity.jp. 2022年4月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 『麻田浩 静謐なる楽園の廃墟』青幻舎、2017年。
https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2007/357commentary1.html
https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10655.html
https://www.operacity.jp/ag/exh97/exh_02.html