利用者:Moci/インデアンカレー (金沢市)
金沢市に本部をもつインデアン、ないし1966年には金沢市に存在していたカレー店、インデアンについて、資料を記載。ただしついでのことなので、とくにこのためだけに継続調査を行う予定はいまのところ、ない。
記述の対象
[編集]そもそも記述する対象が明確でない。
組織の連続性
[編集]現在ある「本部」と店舗が、かつてあった店舗とつながっているのかどうか。1974年以降については、新聞と電話帳との連携で連続性がみられるが、性格の異なる二つの資料をあわせ読んでいるため、独自研究のおそれがある。なにより、1966年にはあった店舗との連続性について不明。
全国のインデアン
[編集]既に曖昧さ回避のためのページとしてインデアンカレーがあり、インデアンカレー (帯広市)およびインデアンカレー (大阪市)の内部リンクがある。記事自体は作成されていないが既に別記事。別なんだろうな。
とりあえず参考。全国各地にさまざまなインデアンが存在している。
- 大阪府 インデアンカレー
- 創業1947年
- “大阪に8店舗、兵庫県の芦屋に1店舗、そして東京の丸の内に1店舗”
- 帯広市 カレーショップインデアン
- 1968年 1号店オープン
- “金属製の器は創業時からの特徴あるもの”[1]
- おやおや。
- 京都市 インデアン
- “昭和35年創業とも云われる西木屋町の老舗カレー店”[2]
- 1960年?
- iタウンページには「インディアン」
- アメリカなインディアンのキャラクター。
- “昭和35年創業とも云われる西木屋町の老舗カレー店”[2]
- 姫路市 インデアン
- 1981年 創業
- 1982年 京都の老舗カレー専門店で修行
- ↑のこと?アメリカなインディアンのキャラクターが同じような。
- 1983年 姫路市魚町にオープン
- 1987年 姫路市安田に移転
- 岡山市 インデアン・カレー
- “インドカレー店,カレーハウス”[3]
インディアンもある。両方使っていたりもする。
- 蒲田 インディアン
- 三重県 カレーのお店 インディアン
- 福岡市 カレーハウスインディアン
- 高岡市 インディアンカレー
- [9]
- また違ったアメリカなインディアンのキャラクター。インデアンのロゴは似ているような。
- 加賀市 インディアンカレー中代店
iタウンページの北陸にあるインデアン。
「本部」と「金沢港店」は紙の電話帳で同一項目。ほかはインディアンも含めて不明。
北国新聞広告
[編集]- 夕刊1966年4月13日、5面。19日、2面。
◇本場カレー・スパゲティ10種◇ インデアン 一○○円コーナー・片町金劇地下街
- 夕刊1967年8月2日、5面。9日、5面。16日、2面。23日、2面。30日、2面。
名物・トンカツカレー インデアン 本店 片町金劇地階 電(xx)xxxx 売店 竪町通り 電(xx)xxxx
- 夕刊1968年4月3日、5面。10日、2面。17日、2面。24日、2面。
5月8日、2面。15日、2面。22日、5面。29日、5面。
6月5日、2面。8日、2面。12日、5面。15日、2面。19日、5面。22日、2面。26日、2面。29日、5面。
7月3日、2面。10日、5面。17日、2面。24日、2面。31日、2面。
8月7日、5面。14日、2面。21日、2面。28日、2面。31日、1面。
9月4日、5面。11日、5面。18日、2面。25日、2面。
10月2日、2面。9日、2面。16日、5面。23日、4面。30日、2面。
11月6日、2面。13日、2面。20日、5面、27日、2面。
12月4日、2面。11日、2面。
名物・トンカツカレー インデアン 片町店 金劇地下 電(xx)xxxx 竪町店 竪町中程 電(xx)xxxx
- 竪町店の電話番号は、前年の売店とは別。
- 夕刊1968年9月17日、2面。10月15日、5面。22日、7面。11月5日、2面。19日、2面。
「金劇ビル」として複数の店舗と同時に広告。
カレーとスパ ゲッティの店 イ ン デ ア ン
- 1968年12月18日夕刊、2面
本場カレー(はかり売り) インデアン 片町店 金劇地下 電(xx)xxxx 竪町店 竪町中程 電(xx)xxxx
- 1968年12月25日夕刊、2面
*カレーの元祖 [イラスト] インデアン 片町店 (金劇地下) 竪町店 (竪町中程) 温めるだけで一流コックの味が ご家庭で…1人前\60(容器付) (コック見習募集中! 数名)
- イラストは、アメリカなインディアンのキャラクター。京都、姫路、高岡、魚津とは異なる。
- 1971年7月21日、3面
*カレーの元祖 インデアン 片町店[金劇地下] 竪町店[竪町中程] 武蔵店[武蔵ビル]
- 1974年1月1日、54面。
年賀広告。紙上名刺交換。
インデアンカレー本部 本部長 氏名 住所 電話 電話番号
- 住所、電話番号は1996年の電話帳と同じ。電話番号は2002年とも合致。
電話帳
[編集]- 『ハローページ石川県・かなざわ版』日本電信電話株式会社 電話帳事業推進部 北陸事業推進部、1996年8月、p. 77。"掲載情報は'96年5月1日現在"
インデアンカレー 本部……………………… xx-xxxx xxxx-xx 工場……………………… xx-xxxx 金沢港店………………… 37-4910 近岡930-9
- 本部、工場の住所、電話番号は北国新聞1974年1月1日と同じ。
- 『タウンページ 石川県版』西日本電信電話株式会社、2002年8月、p. 297。"掲載情報は2002.5.2現在"
インデアンカレー 本部 ……………… 2xx-xxxx xxx-xx-x 工場 ……………… 2xx-xxxx 金沢港店 ………… 237-4910 近岡930-9
インデアンカレー中代店 xx-xxxx 中代リ41-8
- 本部、工場の電話番号は市外局番末尾の“2”が市内局番先頭に移り、1996年および北国新聞1974年1月1日と合致。住所は異なる。2008年現在は工場がなく、本部の住所、電話番号ともに異なる。金沢港店は同じ。
- 中代店は“インデアンカレー”と記載。iタウンページと住所は同じ、電話番号は異なる。
商工会
[編集]- 『特定商工業者名簿(昭和48年版)』金沢商工会議所、1973年。
- 『特定商工業者名簿(昭和49年版)』金沢商工会議所、1975年。
インデアンカレー 小立野店 金沢市石引x丁目x番xx号 (電)xx-xxxx (代)xxxx (従)6名 (営) カレー (銀)福井銀行
- 県立図書館の昭和三十二年版以降調査。
金沢商工名鑑に香林坊店の記載あり。ただしあまり探してもおらず、ろくに控えてもいない。
住宅地図
[編集]『金沢市住宅明細図』でいつからあったか。
- 片町店 1965年発行分になし。1966年発行分からあり。
- 竪町店 1966年発行分になし(「すし苑」)。1967年発行分からあり。
- 武蔵店 1968年発行分になし(武蔵ヶ辻ビル建設中)。1969年発行分からあり。
ただし、1966年分には金劇地下の大量の店舗と合わせて24項目あるのに対して、1965年分には全部で8項目しかなく、地下の店舗が省略されている可能性あり。金劇ビル自体が1964年に建築のため(『北國新聞』1998年1月14日、30面。)、それより遡ることはないはず。
元祖説について
[編集]出典とできる場所での主張、せめて説の紹介の捜索。
1993年1月1日から検索できる北國新聞データベースでヒットせず。
北國アクタスの目次をすべて見て、カレーについてそれなりに扱った記事は2005年10月号のみ。インデアンについては言及なし。ほかにカレーについて特集した記事は見当たらず。店舗紹介までは未調査。
雑談他
[編集]ノートをここのサブページで作るのもおかしいのでここに記載します。
差し出がましいかもしれませんが、今後編集される方に期待して曖昧さ回避にインデアンカレー(金沢市)のリンクを作りました。
元々wikipedia自体が調査をして記事を作るのではなくて、事実や出典を既に知っている人が少しずつ記事を持ち合い長い時間をかけて育てていくものなので、最小限のスタブで項目を作成してしまってもいいのではないでしょうか。
現状のインデアンカレーについて項目を作って、金沢市に本部があることと、2008年現在の判明してる店舗(注釈つきでもよいかと)と、もし判ればメニュー程度あれば十分ではないでしょうか。
過去の店舗とのつながりを知っている人が現れれば加筆するでしょうし、他と同一グループであると知っている人がいれば統合依頼するでしょうし、ジャン等含め金沢近辺の微細な小規模チェーンと見れば金沢カレー等と統合されるかもしれませんが、5-10年後にはインデアン愛好者からの編集もあり有用な記事になっているかもしれませんので最初に種をつくることは重要だと思います。
確かに金沢カレーの元祖の話題への影響を懸念されるのかもしれませんが、方針にも編集するときには大胆にとありますので、あまり拘らずに金沢近辺のカレー全体に関する項目充実のためにも最小限の記事ででも項目作成されてはいかがでしょうか。
度々長文失礼しました。過去の無礼については謝罪します。金沢・北陸のカレーチェーン全体について、よい記事が増えることを期待しています。--しいしい 2008年11月23日 (日) 16:13 (UTC)
最初からあまり厳密な出典を元に項目を作成してしまうと、編集の敷居が高くなりすぎて、雑多なことは記入しづらくなるので最初はかえってかなり簡潔な内容の方がいいのではとも思います。--しいしい 2008年11月23日 (日) 16:21 (UTC)
- 金沢カレーの元祖説としてインデアンの名前が挙げられているにも関わらず、読み手に金沢のインデアンについてまったく情報が与えられていない点を解消できないかというのがもともとの趣旨です。現在ある本部、店舗についてとりあえず記事にしようというのは、つながりがある前提に立っているという点はさておくとしましても、過去どうだったかを調べるよりもむしろ困難を極めるかもしれません。なにしろ当方の自由になる時間におきましては、いつ店舗を訪れても常に店が閉まっている始末です。インデアンがまだ広報的な活動を見せていた頃の新聞広告などを図書館でさがす方がはるかに容易だと言わざるをえません。当方といたしましてもインデアンについて記憶がないわけではなく、1990年頃にはまだ味さえも覚えておりましたが、ではその頃のインデアンと現在の店舗につながりがあるのかと問われれば、これまた分からないとしか申し上げようがございません。
- 「元々Wikipedia自体が調査をして記事を作るのではない」とのご主張につきましては既に同意できない旨お伝えしてあると思いますので、ここでは昭和40年代はじめからの記憶を持っておられるような方が執筆してくださるのを座して待つつもりが無いと申し上げるにとどめておきます。
- これも以前にも申し上げましたが、チャンピオン、ターバンに限らず、インデアン元祖説も含めて、平気で怪情報が飛び交っているというのが現状です。Wikipediaにまでその類が及ぶようになりますと、今度は「Wikipediaにそう書いてある」として根拠にされかねません。そのような事態になるくらいでしたら、そもそもWikipediaが求めているだけの敷居の高さ自体はあった方がよいと考える次第です。--Moci 2008年11月23日 (日) 21:59 (UTC)
- インデアン自体を知らないので自分では書けない事もあって非常に残念ですが、お気持ち了解しました。お手数かけてすみません。--しいしい 2008年11月23日 (日) 22:54 (UTC)