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内田広之
[編集]内田 広之(うちだ ひろゆき、1972年3月 - )は、日本の元文部・文科官僚。文科省教育改革推進室長、福島大学理事兼事務局長などを歴任した。2021年(令和3年)1月より、東日本国際大学 地域振興戦略研究所長[1]。
概要
[編集]福島県いわき市出身。いわき市立草野小学校、いわき市立草野中学校、福島県立磐城高校、東北大学教育学部、東京大学大学院修了。1996年(平成8年)文部省入省。2002年(平成14年)ユネスコ本部(パリ)にてアフリカ・アジアの教育支援に携わる。2011年(平成23年)の東日本大震災、福島第一原子力発電所の事故に際し、同郷有志らと「霞ヶ関からいわき市を応援する会[2]」を立ち上げ、ボランティアで被災地支援、復興支援を行った。2019年(平成31年)福島大学理事・事務局長就任後は、台風19号(令和元年東日本台風)で被災した福島大学学生をはじめ被災地域支援のボランティア活動に参加。2020年(令和2年)12月、文科省辞職。2021年(令和3年)1月、いわき市長選挙へ立候補を表明[3]。
経歴・人物
[編集]小学校3年生から始めた剣道の指導者(恩師・根本邦男)から、「文武両道」の教えを学んだことをきっかけに教育を志す。1996年(平成8年)文科省に入省。2006年(平成18年)、秋田県教育委員会課長に就任。2009年(平成21年)文部科学省幼児教育課課長補佐に就任。子ども・子育て支援新制度(平成27年4月施行)の創設に関わる。2017年(平成29年)、文科省教育改革推進室長に就任。第3期教育振興基本計画(平成30年6月15日閣議決定・対象期間:平成30年度~平成34年度)を策定。2019年(平成31年)、福島大学理事・事務局長に就任。第7次福島県総合教育計画の策定懇談会座長[4]を務めた。故郷いわき市における若者の人口減少、いわき市の医師不足[5]、そして、東日本大震災や台風19号における、いわき市の対応に危機を感じ、文科省の職を辞し、いわき市長選挙へ立候補を表明した。剣道4段。
- 1996年(平成8年)文部省入省、生涯学習振興課配属
- 1999年(平成11年)米国フルブライト留学
- 2000年(平成12年)文部省幼児教育課配属
- 2002年(平成14年)ユネスコ(パリ)派遣(アフリカ・アジアへの教育支援)
- 2004年(平成16年)総務省労働担当参事官補佐(公務員制度改革)
- 2006年(平成18年)秋田県教育委員会課長(全国学力調査・秋田県全国トップ)
- 2009年(平成21年)文部科学省幼児教育課課長補佐(子ども・子育て支援新制度創設)
- 2012年(平成24年)文化庁文化広報地域連携室長(同時期に、東京大学に在学)
- 2015年(平成27年)岡山県教育次長
- 2017年(平成29年)文科省教育改革推進室長(中央教育審議会で教育振興基本計画を策定)
- 2019年(平成31年)福島大学理事・事務局長(2020年末 文科省辞職)
- 2021年(令和3年)1月8日 いわき市長選挙への立候補を表明
脚注
[編集]- ^ “東日本国際大学 地域振興戦略研究所”. 東日本国際大学. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “霞ヶ関からいわき市を応援する会”. 霞ヶ関からいわき市を応援する会. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “河北新報 ONLINE NEWS『いわき市長選 元福島大理事の内田氏が出馬へ』(2021年01月09日 11:42)”. 河北新報. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “第7次福島県総合教育計画策定に関する懇談会委員名簿”. 福島県教育委員会. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “出典:日本医師会 地域医療情報サイト(http://jmap.jp/)”. 日本医師会. 2021年4月7日閲覧。
外部リンク
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