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利用者:Marine-Blue/下書き/おくんち下書き

コッコデショ

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樺島町が寛政11年(1799年)より、上町が平成28年(2016年)に奉納している演し物である。正式には太鼓山という名称で、コッコデショは担ぐときの掛け声から来ている[1]。江戸時代、長崎で陸揚げされた貿易品は堺商人の廻船で全国に運ばれており、商船の船頭や水夫は樺島町の宿を定宿としていた。この船頭衆から堺壇尻や各地の踊りが伝わり、各地の要素が合わさって樺島町独自の演し物になったと考えられている。太鼓山は船、采振りは船頭、踊りは船や波の動きを表している。373

山車は担ぎ屋台となっており、4本の担ぎ棒に大太鼓を囲む櫓を組み、その上に5色の大座布団を載せて屋根としている。太鼓の四方には、赤い投げ頭巾を被った4人の男の子が座り、演技に合わせて太鼓を叩く[2]。担ぎ棒に采振り4人を載せ、担ぎ手が足元を抑え、采振りが体を逸らし、大きく采を振って「ホーライエ」を歌いながら入場する。376

踊りは太鼓山が長坂に向けて突っ込む「トバセ」、掛け声に合わせて山車を天空に投げて片手で受け止める「コッコデショ」、踊り馬場の中央で山車を回転させる「マワセ」、再び山車を投げる「コッコデショ」で1回が構成され、これが4回繰り返される。2回目の演技が終えたところで一旦退場しかけ、観客の「モッテコイ」に応えて3回目を行う。3回目の途中の「コッコデショ」で担ぎ手は一斉にに法被を投げ上げ、更に4回目の演技を終えたところで退場する。376

退場する際は再び采振り4人を担ぎ棒に乗せ、「ホーライエ」を歌いながら踊り馬場を後にする。376

構成

  • 総指揮1名
  • 指揮1名
  • 長采3名
  • 棒先(指揮が指示する方向に1〜8番棒の先端の縄を引っ張る)8名
  • 采振り(コッコデショの周りで采を振る)4名
  • 太鼓山(櫓の上で太鼓をたたく)2班4名ずつ
  • 担ぎ手(山車を肩に担ぐ)36名

白ドッポ
白い袖の法被を着て長坂に大勢で陣取る人物達の総称。奉納踊りが始まり、気に入ったものには「モッテコーイ」、本踊りには「ショモーヤーレー」、気に入らなければ「モッテイケー」と先導して野次を飛ばしていた。 三宅p83
  1. ^ 三宅善夫『熱撮! 長崎くんち』長崎文献社、2004年、85頁。 
  2. ^ 土肥原弘久『諏方神事 長崎くんち 取材記録』昭和堂、2014年、374頁。