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利用者:LondBell/sandbox

概要

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希望ヶ丘高等学校は1897年(明治30年)に神奈川県立の1番目の旧制中学校として開校した。開校したのは同年4月14日であるが、6月18日に蜂須賀茂韶文部大臣の代理として都築馨六文部次官と中野健明神奈川県知事が来校したのを記念して小森慶助校長が開校式を行った。以後、この日を開校記念日として毎年記念式をを行うこととなる。

横浜大空襲により校舎が焼失したために相模鉄道株式会社より現在地を寄付して移転する。現校名は最寄り駅である相模鉄道株式会社の希望ヶ丘駅に由来する。

全日制普通科と定時制普通科の二つの課程が設置されている。

沿革

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  • 1895年 - 尋常中学校設置関係予算を神奈川県会が可決する
  • 1897年2月23日 - 神奈川県尋常中学校の設置を神奈川県が告示する
  • 1897年4月14日 - 神奈川尋常中学校開校を神奈川県が告示する
  • 1897年6月18日 - 開校式を挙行する
  • 1899年 - 神奈川県中学校と改称する
  • 1900年 - 神奈川県第一中学校と改称する
  • 1901年 - 神奈川県立第一中学校と改称する
  • 1913年 - 神奈川県立第一横浜中学校と改称する
  • 1923年 - 神奈川県立横浜第一中学校と改称する
  • 1923年9月1日 - 関東大震災にて校舎倒壊著しく破損する
  • 1927年 - 校舎全部の改築に着手する
  • 1928年 - 校旗制定
  • 1934年 - 校歌制定(作詞・佐佐木信綱、作曲・山田耕筰
  • 1945年5月29日 - 空襲により校舎罹災焼失する
  • 1945年7月2日 - 横浜市戸部国民学校の一部を借用し、授業を行う
  • 1946年 - 横浜市磯子区六浦町内川の元第一海軍技術廠工員養成所宿舎跡に移転する
  • 1948年 - 学制改革により神奈川県立横浜第一高等学校と改称し、本校に併設中学校を設け、本校校長が兼任する
  • 1950年 - 神奈川県立希望ヶ丘高等学校と改称し、本年度より学区制男女共学とを実施する
  • 1951年9月11日 - 現在地の横浜市保土ケ谷区二俣川町中野原に於ける新校舎の第一期工事完了する
  • 1951年9月19日 - 金沢校舎(横浜市金沢区六浦町)より移転する
  • 1963年 - 横浜市内に中学区制施行、横浜中部学区に属する
  • 1981年 - 新学区制実施、横浜中地区が中部学区と西部学区に分割される
  • 1982年 - 創立85周年記念事業として、テニスコート3面を増設する
  • 1985年 - 新校歌制定(作詞・飯田侑、作曲・三善晃
  • 1997年 - 創立100周年記念式を挙行する
  • 2004年 - 2学期制開始
  • 2010年 - 神奈川県教育委員会が県立高校教育力向上推進事業(教育推進校)の「学力向上進学重点」18校のうちの1校に指定する[1]
  1. ^ 県立高校教育力向上推進事業 教育推進校 <学力向上進学重点>”. 神奈川県教育委員会. 2013年4月1日閲覧。