コンテンツにスキップ

利用者:Lmkjgmo/sandbox4

en:Second Council of Ephesus

エフェソス強盗会議(エフェソスごうとうかいぎ、ラテン語: Latrocinium Ephesinum、英語: Robber Council of Ephesus)は、449年小アジアエフェソスで行われたキリスト教の会議である。東ローマ皇帝テオドシウス2世が招集し、公会議として開催されたが、テオドシウス2世の急死後、皇帝マルキアヌスが招集した451年のカルケドン公会議で公会議の名称と決議が取り消された[1]。盗賊教会会議[2]、第2エフェソス公会議とも呼ばれる。

概要

[編集]

キリスト単性説を主張したエウテュケス英語版448年コンスタンティノポリス地方公会で異端とされ破門されていた。エウテュケスはコンスタンティノポリス郊外の修道院長で、エウテュケスを後援するアレクサンドリア総主教ディオスコロス英語版は東ローマ皇帝テオドシウス2世の側近を動かし、皇帝に招集させてエフェソスで公会議を開いた。この会議には皇帝の軍隊が出動し、修道士と共に議事進行に強圧をかけた[2]。エウテュケスの教義を正当化し、コンスタンティノポリス大主教[3]フラウィアノス英語版をエフェソスに流刑に処した。

強盗会議の名は、当時のローマ教皇レオ1世が東ローマ皇帝テオドシウス2世の姉プルケリア英語版に送った書簡に初出する。

脚注

[編集]
  1. ^ 森安達也盗賊教会会議」『改訂新版 世界大百科事典』平凡社、コトバンク。2024年8月23日閲覧。
  2. ^ a b フーベルト・イェディン『キリスト教会公会議史』エンデルレ書店、1967年、50-52頁。
  3. ^ 451年に開かれたカルケドン公会議の規則第28条条文(NPNF2-14. The Seven Ecumenical Councils - Christian Classics Ethereal Library)において称号は「コンスタンティノポリス大主教」(archbishop of Constantinople) となっている。パトリアルケース(総主教総大司教)の称号は449年当時も、また451年当時も、未だ条文に使われていない。

外部リンク

[編集]