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利用者:Kyoko0812/sandbox

福田時雄

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福田 時雄(ふくだ ときお、 1930年8月12日-)は、日本の芸能プロモーター。株式会社サンミュージックプロダクションの創業者の一員で現在は名誉顧問。

西郷輝彦のバックバンド時代に、マネージャーだった故相澤秀禎(あいざわ ひでよし)と出会い、1968年芸能事務所サンミュージックを設立。サンミュージックプロダクション専務取締役ののち、サンミュージック・アーティスト・アカデミー社長、サンミュージックプロダクションの永久名誉顧問。

来歴

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生い立ち

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1930年、父、光男(熊本県出身の三菱商事社員)、母、静子(埼玉出身の旅館の一人娘)の長男として、父の赴任先であった中国漢口(現、武漢市)で出生。

1937年 漢口日本人小学校入学後も、日支事変が始まり日本に帰国したが、1941年に父の転勤で上海へ。同年に旅館業を営む祖父、桂次郎の急死で南京に移転し、母静子が高級旅館「福田館」の女将になり、父光男は南京日本人会会長、醤油会社の社長となる。南京日本人小学校卒業。

1945年 疎開先の長崎で原子爆弾投下3日前に中心地を離れ命拾いする。その後、母と弟妹が南京から引き揚げてきたため、旧制埼玉県立浦和中学時代から学業と行商や靴磨きを両立しながら家族を養う。南京時代の知人の紹介で進駐軍のクラブでジャズに出会い、ドラムを始める。[1]

プロモーターとして

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バックバンドを務めていた西郷輝彦から8ビートでドラムを打つよう注文された際に、時代と世代の違いを痛感して即ドラムセットを売り、その金でスーツと靴を買ってマネージャー業に転じたとされる[2]相澤秀禎と共に立ち上げたサンミュージックプロダクションの初代タレントである森田健作を発掘。妻が手作りの餃子をいつもふるまい、デビューに備えた[3]

1972年「スター誕生」決戦大会で桜田淳子に番組史上最多の25社のプラカードが一斉に挙がる中、1社3分間の交渉で勝ち取りサンミュージックへの所属を決定させる[4]

サンミュージック内では、新人発掘と育成、そして賞レースを主に担当しており[5]、芸能界入りを反対する松田聖子の両親に会いに久留米の実家にも訪問。聖子は紅茶を載せてきたトレーを抱えて微動だにせず、反対する父親の前で芸能界入りへの強い意志を見せたという[6]

9年連続でデビューさせた新人歌手(松田聖子竹本孝之早見優桑田靖子橋本美加子水谷麻里岡田有希子酒井法子田村英里子)に日本歌謡大賞新人賞を受賞させたことが誇りになっている[6]。新人を選択する基準は、「人並みにきちんと挨拶ができ、人の痛みがわかり、聞く耳を持ち、信念のある子がいい」[4]

音楽プロジューサーの飯田久彦は、福田が新曲の入ったカセットをはじめ、常に音楽資料を持ち歩き、各媒体にプロモーションをしていた姿が印象的だったと語る[4]

人物

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早見優がミュージカルの大役に自信がなかったときに、「人はリスクを取って、できないことにチャレンジしないと成長しないんだよ」と諭されたことが励みになったと語っている[4]

相澤秀禎との関係は事務所設立以来順調で、「相澤さんは豪快な人で、フクちゃん、いいようにやれよと任せてくれた。僕は番頭役でしたね」と自らが自覚するように、生涯No.2を貫き通した[7]

2010年2月1日に霞が関ビル35階で実施された、福田時雄80歳での現役卒業を祝う会の出席率は98%となり、着席予定が立食になった。出席者であった音楽評論家の小西良太郎は、「俗に生き馬の眼を抜くこの世界で大きな実績を残しながら、人格者として終始したNo.2の性善説の宴だった」と評している[8]。小西によれば、業界現役最長不倒距離、新聞記者を大事にする温和な人柄、歌謡界の生き字引、酒好き、絶妙の話し上手、各地に福田ファンが増え、情の濃いネットワークを作る。“やり手”だが敵はいない[2]

名誉顧問になってからは、半世紀に及ぶサンミュージックの歴史を若い人たちに伝えることが自分の役割だとしている[7]。その目的を果たすため、大石まどかYouTubeチャンネルにもゲストとして登場している。

出典

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  1. ^ 当代一流軍師戦略家列伝No.1傷だらけの栄光★サンミュージック専務福田時雄『話題のマルコミ 芸能特信』発行年不明
  2. ^ a b 小西良太郎「新歩道橋(1037)」『ミュージック・リポート第2350号』2017年12月
  3. ^ 山藤章一郎「ニュースを見に行く第317回」『週刊ポスト』2013年6月28日号
  4. ^ a b c d サンミュージックとアイドルの半世紀『週刊ポスト』2018年11月30日号
  5. ^ 『サンミュージック50年史 心に太陽を くちびるに歌を』 サンミュージックグループ 2019年5月
  6. ^ a b サンミュージック名誉顧問が語る「アイドル全盛時代」誕生秘話『週刊朝日』2020年8月28日号
  7. ^ a b 長崎ひと百景⑳ サンミュージックグループ名誉顧問福田時雄さん『長崎新聞』2015年6月27日閲覧
  8. ^ 小西良太郎「新歩道橋(762)」『ミュージック・リポート第2068号』2010年2月21日