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利用者:Kurz/中立的な観点2010

訳注


中立的な観点 (Neutral Point Of View, NPOV) はウィキメディア基本的原則のひとつであり、ウィキペディアの五本の柱のひとつです。これは、すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写をフェアに、かつそれぞれの観点の重要性に比例して扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない、というものです。ウィキペディアの創始者ジミー・ウェールズ (Jimmy Wales) の言葉によれば、中立的な観点は「絶対的で交渉の余地のないもの」“absolute and non-negotiable” です[1]


中立的な観点はウィキペディアの内容に関する三大方針の1つです。ほかの二つは検証可能性 (Verifiability) と独自の研究を含めない、です。ウィキペディアではこれらの方針を合わせて記事名前空間に書くことができる情報の種類と質を決定しています。これら三つの方針は相互補完的、議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。これらの方針はほかの二つと切り離して考えるべきではなく、編集する際にはこれら三つの方針を合わせて理解するよう努めてください。


中立的な観点についての概説 Explaining the neutral point of view

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中立的な観点は対立する視点を取り扱うための手法です。それは、検証可能性の基準を満たしている信頼できる情報源にある、多数意見やかなりの数の少数意見(significant-minority[訳注 1])すべてを、公平なトーンで、かつおおよそ出典で取り上げられている比率(prevalence)に応じて示すことを要求します。なお、信頼性のある情報源に基づく内容は、単にそれが中立でないだとか、ウィキペディアンが呼ぶところの「POV」であるというだけで除去すべきではありません


中立的な観点は、そのテーマに同調したり逆に信用を落としめたりしません。偏りのない書き方とは、信頼できる情報源にある議論にすべての重要な観点を公平に説明することです。記事においては特定の観点に味方することなく、それぞれの観点について説明すべきです。信頼できる情報源にある特定の観点への批判について記述することはできますが、一方の側の味方をするべきではありません。良い研究は、利用可能な最善の情報源を使い、正確にその記述を要約することによって中立的な観点上の不一致を防ぐことができます。


検証可能性独自研究は載せないは、記事において引用を含めたあらゆる内容について、問題の内容を直接に支持するインライン方式によって出典元の信頼できる情報源を示すことを要求しています。もしある主張が論争を招くようなものであるか、さもなくば広く受け入れられているとは言いがたいか、または特定の観点について述べている場合には、ウィキペディアが独自に述べるよりも、文中で「山田太郎はこう述べている」のようなやり方で誰の主張であるかを示すのがよいでしょう。それぞれの観点について個人に帰属させる際には、その言い回しで多数意見と少数意見の観点を同格であるかのようにほのめかすことのないようにしてください。


記事においては多数意見とかなりの数の少数意見すべてをバランスよくカバーすべきですが、それぞれの観点が信頼できる情報源において支持されている度合いを反映したものであることを確かめてください。それぞれの観点は適切な重みをかけて扱われなければなりません。そうすることで多数意見やかなりの数の少数意見の観点が信頼できる情報源においてどんな地位にあるのかが明確になります。


中立性を達成するには Achieving neutrality

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記事の名前と構造 Article titles and structure

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記事名の付け方は記事名の付け方のガイドラインに従い、できる限り中立的であるべきです[訳注 2]。 ある話題が複数の名称で知られている場合には、特定の立場を指し示すためにリダイレクトを使うことができます。ある話題の名称そのものが議論の対象となっている場合には、信頼できる情報源を参照しつつその議論を記事に掲載すべきです。


記事全体の構造や節見出しのタイトルには注意を払ってください。特定の観点に味方するかもしれない記事構成や、それぞれの観点の信頼性を判断するのが難しくなるかもしれない記事構成は避けてください。


適切な重み付け Undue weight

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中立的な観点は、記事の執筆に際して、信頼できる情報源に掲載されている、多数意見とかなりの数の少数意見[訳注 1]すべてをフェアに記述することを、そしてウィキペディアや世間一般におけるそれぞれの見解の人気度よりもそれぞれの見解の重要性に応じた割合で記述されることを要求しています。重みを適切に決めるには、公刊された信頼できる情報源におけるその観点の流行度や、情報源の質を考慮に入れます。


不適切な重み付け(undue weight)はさまざまな手法で行われます。たとえば、文章の詳細さの度合を変える、文章の長さを変える、文を配置によって強調する、複数の主張を並置する、などです。同じ原則は画像やリンク、カテゴリや外部リンクにも適用されます。


ごくわずかの少数意見(tiny minority)[訳注 1]の観点は記事にまったく含めるべきではありません。ただしそれ自体を対象とした記事は除きます(対象とは無関係な信頼できる二次情報源から有意な言及がある場合に限ります。詳細はWikipedia:特筆性en:Wikipedia:Fringe theoriesを参照してください)。そういった記事においては、その観点が少数意見であることを明確にすべきであり、また読者に誤解を与えないよう多数意見について十分に詳しく記述すべきです。


避けたい言葉 Words to watch

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記事においては内容の表現の仕方によって中立でない影響を与えてしまうことがあります。読者に偏見を与えかねない言葉や、正確さを欠いた表現、下品・卑俗・冒涜的な言い回しは、もしそれを省略すると記事から正確性や関連性が失われ、かつ適切な代替案がないという場合にのみ使用すべきです。


中立性に関する論争の扱い方 Neutrality disputes

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出典の明記 Attribution

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記事に掲載するあらゆる内容には出典を明記できなくてはなりません(attributable[訳注 3])。つまり、その内容のために公刊されている信頼できる情報源が存在していなくてはなりません。もし情報源が存在しないのならそれは独自研究です。しかし実際にはすべての内容に出典が明記されているわけではありません。たとえば「パリはフランスの首都である」という主張は、広く一般に受け入れられているので出典は不要です。しかしもしある主張に出典が明記できる状態であり、かつもしごくわずかでも論争があるのであれば、出典を探すべきです。ある観点が論争的であればあるほど、出典を示すことはますます重要となり、多くの場合には複数の出典が示されます。ノートページにおける論争は現実の世界でも論争があることを暗示しているので、ノートページで衝突が起きているときにはいつでも、編集者は信頼できる情報源に基づいて出典を示すことがとても重要です。


ウィキペディアにおける出典の方針である検証可能性は、記事において引用を含めたあらゆる内容について、インライン方式によって出典元となった信頼できる情報源を示し、そしてその情報源が問題の内容を直接に支持していることを要求しています。


特定の観点の分岐 Point-of-view and content forks

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「内容の分岐」(Content fork)とは、あるひとつの話題について複数の記事を作成することを指します[訳注 4]。「特定の観点の分岐」(POV fork)は、既存の話題についての新しい記事を作成したり、特定の観点を強調したり回避したりすることによって、中立的な観点の方針から巧みに逃れます。この2つはどちらも許されません。一方、要約方式(Summary style[訳注 5]による記事の分割は許容されますし、またしばしば推奨されます。ただし中立性を損なうかもしれないような方法で記事を分割しないよう注意してください。


よくある批判と回答

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以下はこの方針についてのよくある反論、質問です。回答はリンク先あるいはFAQにあります。

中立的にする
  • 客観的な視点など存在しない
    客観性などというものは存在しない。少しでも哲学的に洗練された人なら誰でも知っていることだ。それなのにどうして「中立性」のポリシーを真剣に受け止めることができるのか? 中立性、つまり偏りのない見方、というのは端的に不可能だ。
  • 偏った意見を削除して良いか
    中立性の観点のポリシーは、偏った見方から書かれた文章を削除する理由として持ち出されます。これは問題ではないでしょうか?
  • 争いのある主題についての長い記事
    こんな場合はどうでしょうか? ――ある事柄について、複数の、長い記事を書く場合には、反論の余地のある前提を受け入れて書かなければ記事が書けないのではないでしょうか? 例えば進化論について書く時には、進化説と創造説(人間も他の動物も神が創造したとする説)の論争を全てのページで展開しなければならないわけではないですよね?
異なる観点の間でバランスを取る
  • 有害な考えを広めてしまうのではないか
    疑似科学を支持する人は嘘をついたり、敵を口汚く罵ったり、何かをほのめかしたりして事実を追い払ってしまうことは歴史が示している。疑似科学を信じる人の多くはその見方を他の人に対してすぐ押し付けようとすることも。もしこのプロジェクトが地球が平らだと主張する人やホロコーストはなかったと主張する人にも平等な妥当性を認めるとしたら、(そういうつもりではないとしても)結果としてそうした人たちに正統性を与えてしまい、害悪としかいいようのないものが普及するのを助けることになってしまうことになる。
  • 敵を応援などしたくない
    「敵のために書く」という話には納得が行きません。敵のためには書きたくないです。敵に当たる人のほとんどは、誤りだと証明できるようなことを事実として主張するという手段に頼って議論しています。中立的な観点のためには、同意できないような観点を善意を持って説明するために、私も彼らと同じような嘘をつかなければならないというのでしょうか?
  • 差別主義についてはどうか
    ほとんどの西洋人にとって感情を害するような見方――人種差別、性差別、ホロコーストの否定などはどうでしょうか。これらの見方を実際に持っている人はいるわけですが。もちろんわれわれはこれらの見方について「中立」であるべきではないですよね?
  • 疑似科学と科学を対等に扱うのか
    疑似科学のトピックについての記事はどのように書くべきでしょう――科学者の大部分がその疑似科学の意見は信用できないもので、真剣にとりあげる値打ちもない、と考えている場合には?
編集者間の論争
  • どうしようもなく偏った執筆者がいる
    中立性の観点のポリシーには賛成しますが、完全に、手の施しようのないくらい見方が偏った人がいます。彼らの投稿を編集しなければなりません。どうしたらいいんでしょうか。
その他
  • アメリカ中心主義への批判
    ウィキペディア英語版はアメリカ中心主義的な観点をとっているように見えます。これは中立的な観点のポリシーと矛盾しませんか?

反論を書く前に、以下のリンクを参照して下さい。中立性の観点をめぐる多くの物事は、非常に多く議論されてきました。もしもその議論に貢献できるようであれば、ノートのページが利用できます。(註:全て英文)

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訳注
  1. ^ a b c 本方針では、「かなりの数の少数意見」(significant-minority)と「ごくわずかの少数意見」(tiny minority)を区別し、前者は掲載すべきだが後者は掲載すべきではないとしています。
  2. ^ 2011年9月現在では次のような扱いになっています:「一般的には中立的な用語を選ぶことが望ましいのですが、一方でわかりやすさとの間でバランスを取る必要があります。もしある名前が信頼できる情報源(特に日本語で書かれたもの)において広く用いられていて、従って読者に広く認知されていると考えられるのであれば、たとえその名前を偏った用語だと捉える人がいたとしても使うことができます」
  3. ^ Attributionの訳にまつわる問題についてはWikipedia‐ノート:Attributionを参照。
  4. ^ 例:1857年にインドで起きた反乱について、「インド大反乱」と「第一次インド独立戦争」という2つの記事を作成する。
  5. ^ 要約方式とは、長い記事において、節を別記事に分割し、元の節には要約のみを残すという方法です。ウィキペディア日本語版では国の記事などでよく行われています(例:日本日本の歴史日本の経済日本の政治などに分ける)。

関連項目

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外部リンク

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