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利用者:Kumatan69/sandbox

大連民政署とは、関東都督府民政部の下で大連を管轄した民間行政機関である。

建築

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日露戦争により日本が租借地権をロシアから継承した当時の大連では、軍政が敷かれており、1905年に総司令部直下の組織として関東州民政署を開設していたが、1906年の関東都督府官制の成立により民間機関の大連民政署が開庁した[1]。 初代大連民政署長:関屋貞三郎

建築

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ゴシック様式の建物で日本統治下の大連で最初に建てられた官庁建築でもある。時計塔を持つスタイルはヨーロッパの市庁舎を参考にしている。レンガは大連市内の満州煉瓦会社製、石材は山東省産の薄紅色花崗岩を使用した。
設計者は関東都督府土木課の前田松韻。前田は中国東北地方に渡った最初の日本人建築家である。日露戦争下の1904年に軍倉庫の建設に携わり、1905年2月に大連軍政署の嘱託技師となった。しかし2年後の1907年10月には東京高等工業学校の教授に抜擢され、民政署庁舎の完成を待たず帰国した。在任機関は短かったが、大連の民間建築に一定の規模と耐火構造を求めた建築規則の草案作成にも参画するなど、大連の都市建設に大きな影響を残した。

設計 - 前田松韻(関東都督府民政部土木課)
施工 - 荒川工務局
着工 - 1907年8月1日
竣工 - 1908年3月25日
構造 - 煉瓦造2階建、塔屋付
建坪 - 234坪
延床面積 - 約2,000m2

脚注

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  1. ^ 『日本都市大観』大阪毎日新聞社、昭和8、731頁