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利用者:Kiyotsune/ボソ (プロヴァンス王)の下書き

ボソは、ボゾン家出身のフランク人貴族。カロリング朝の親戚[1]であり、プロヴァンス王(在位:879年 - 887年)。父はロタリンギアの伯であるゴルズのビヴィン。おばのテウトベルガはロタリンギア王ロタール2世の妻。ボソは又、イタリアの伯であり彼の名の元となったボソの甥であり、サンモーリス修道院長であるフクベルトの甥でもある。869年にフクベルトから修道院長を相続した。

シャルル2世への奉仕

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870年、西フランク王シャルル2世はボソの妹リチルデと結婚した。この結婚はボソに、王である義兄に仕える道を開いた。同じ年、ボソはジラール・ド・ルシヨンに代わり、リヨンおよびヴィエンヌ伯に任命された。

872年、シャルル2世は彼を王位継承者であるルイ2世の執事および護衛長に任命した。さらにボソはブールジュ伯にも任命された。ルイ2世はアキテーヌの副王として君臨したが、若かったため、王国の政治を行なったのはボソであった。

875年の秋、ボソはシャルル2世のイタリアへの最初の軍事行動に従軍した。876年2月、パヴィーアの議会でイタリアの首位の大臣および総督に任命され、公に格上げされた。彼はおそらく又プロヴァンスの支配を託された。彼は副王として振る舞い、ローマ皇帝ロドヴィコ2世の唯一の娘、エルメンガルドと結婚することで、ますます威信を高めた。

脚注

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  1. ^ His mother's father, Boso, provided a daughter, Tetburgis/Teutberga, Boso's aunt, to be wife of Lothair II. (Constance B. Bouchard, "The Bosonids or Rising to Power in the Late Carolingian Age" French Historical Studies 15.3 (Spring 1988, pp. 407-431) genealogical table, p.409..