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東里桐子
[編集]出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東里 桐子(ひがしざと きりこ 、19**年3月30日 - )は、愛知県 豊橋市出身の日本の漫画家。1989年 青磁ビブロス PATSY冬の号 『一途な夜、無傷な朝』でデビュー。作画と原作の2人組漫画家。東里桐子名義は主に作画の方である。
東里 桐子 | |
---|---|
生誕 |
19**年 3月30日 日本・愛知県 豊橋市 |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1989年 - |
ジャンル |
少女漫画 ボーイズラブ ロマンス ティーンズラブ など |
代表作 |
一途な夜、無傷な朝 ライジング!! 他 |
概要
[編集]東京デザイナー学院名古屋校終了。同人誌印刷所に就職するが漫画家の夢を捨てきれず上京。本名で占い雑誌のイラストやゲーム攻略本のイラストなどで活動。漫画家アシスタントになり1989年「一途な夜、無傷な朝」でデビューする。少女漫画、ボーイズラブ、ミステリー、ロマンス、ティーンズラブ等のジャンルで活動。
来歴
[編集]漫画家を志すまで
物心つかない内から絶えず絵を描いている子供だった。話すのが苦手で常に絵を描いて育った。小学生の頃に父親にペンをねだり買ってもらうと、それからずっとペン入れをしていたと言う。スクリーントーンの存在を知らず、新聞の網点部分を切って貼ったりペンでトーンまで描いていた。その頃に同人事やファンクラブを知り入会してはイラストを描いていた。漫画もアニメも好きで似顔絵を描いては編集部に送って掲載されるのが喜びだった。まだ漫画家になると言う夢は持っておらず、アニメーターになりたいと思ってアニメスタジオにまで行くマニアでもあった。高校生の頃に漫画家になりませんか?と編集部から電話があり、それをアニメーターになりたいから出来ません!と断った話は当時の仲間の間では噂になった。東京デザイナー学院名古屋に入学すると周りが全員絵が描ける事に衝撃を受け、更に絵の勉強をするようになった。漫画家志望の友人も増え触発されるように漫画を短いながらも描くようになって行き、就職するも漫画家になる夢は捨てきれず投稿を開始する。それと同時に上京する事を決意。その頃に現在の原作を担当する杉原那月と出会い、親しくなり共に漫画家を目指した仲間と上京する事になった。
アシスタントから漫画家に
最初の内はバイトをしつつ、漫画教室に通った。漫画家志望の仲間やアニメーターの仲間と共同生活を始め、占い雑誌のイラストやゲーム攻略本のイラストを描き生計を立てる。美少女漫画を描いたり(掲載誌名、不明)、ホラーを描いたりしていたが(掲載誌名、不明)もっと漫画の勉強をしたいと出版社の編集から紹介されてアシスタントとなる。レギュラーアシスタントを数年続けながら、合間を縫って他の漫画家のアシスタントも精力的にこなして行った。漫画の描き方も師匠達に教わった。アシスタントを続けながら「一途な夜、無傷な朝」でデビューする事となる。
人物
[編集]基本的に無口。仲間が大勢で会話をしていても一人で絵を描いている。人の服のシワや姿勢などをスケッチしていて会話はまずしないと言うスタイル。しかし、漫画家になると必然的に会話をする事になり、多少会話が出来るようになった。アシスタントを使う様になった時も最初は話せなくて仮病を使ったと言う。腐女子を公言しており、ヲタク会話なら饒舌になる。
趣味・嗜好
[編集]車、戦闘機好き。一時期は自衛隊基地まで通っていた。漫画、アニメ好き。車やバイクはデビュー当時から自分で描いている。ヲタク遍歴は長く、キャプテン翼、聖闘士星矢、進撃の巨人とのめりこむとコレクターと化す。コーヒー党、煙草は吸わない。プラモデルも収集はするが作成はしない。酒は嗜む程度。音楽は癒し系の音楽を好み、就寝時にはその音楽をかける。