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利用者:KQ

百科事典に筆者紹介がないように、Wikipediaでも筆者紹介はない方がよいと考えます。どう書いても、その内容に好き嫌いが生じ、記事の評価にバイアスが混入しますから。たとえば、裁判官がどの野球やサッカーのチームを応援しているか表明したら、その裁判を信頼できなくなる人は増えこそすれ、減ることはないでしょう。

たまにしか編集できないのですが、そのスタンスとして、

  • Wikipediaに載っていると「有用」だと思う事実関係と中立的な説明を、当然ながらWikipediaの綱領と方針の範囲で記載したい。
  • 特筆性などの記述の価値の基準は、将来にわたって検索し、参考とするであろう不特定多数の利用者側の立場で判断したい。

と考えています。

真実を書くほどに、誰かにとっては読みたくない、誰かにとっては不都合な記事もありえます。しかし、それを記述し、記録し、ネット検索の対象となることが、人々に将来にわたって有用で、かつ社会的に便益をもたらすなら、記述はあった方がよいという考えです。その内容が公共性の高い対象で、社会と人間の安全と安心、幸福に関わるものほどです。

世の中には都合の良いことばかりあるわけでないからこそ、世の中をより良いものにするには、都合の悪いことも記述して改善につなげるしかありません。都合の悪い情報は書かないようにすればするほど、都合の悪い状況は変わらなくなります。そういう立場から、建設的で生産的なページづくりに役に立てれば幸いです。

意見が多様であれば、多様であることを記述し記録していくのが妥当と考えます。多様な意見はないことにするなど、もってのほか。両論併記は大賛成。多様な前提と制約条件をもつ人々が暮らす社会では、真面目な議論ほど、事実関係の確認以外の議論は平行線なるのが当然です。その場合、堂々と両論を併記すればよいのです。

また、重要な事実に関して、事なかれ主義、先送り主義によって忘却を期待することは、百科事典と位置づけられるWikipediaの存在意義とは正反対の方針と考えます。