利用者:KHroshi
私、KHroshiは大阪府柏原市内の某所に住んでいる男性である。誕生日は1983年4月1日。血液型A型。ハンドルネームのKHroshiは、お笑い芸人のヒロシからと、さらに自分のイニシャルであるKを上に重ねたもの。ちなみに名字・名前ともイニシャルはKである。なお、Hiroshiのはずが1文字目のiが抜けているのは諸事情による。
人物
[編集]- 生後9ヵ月頃から小学6年生の夏頃までの間、持病の先天性代謝異常により肉や魚など、蛋白質が多く含まれている食物を口にする事ができなかった。
- 幼年期の頃の事情からか体は大学生の頃までかなりの細身だった。現在は筋肉がついてきており、60kgを超えるようになったが、それでも長身のため全体的には痩せ気味。
- 人並みより童顔らしく、大学生時代スーツを着た姿に対して「どこの高校ですか?」と問いかけられた事がある。
- 大学生時代、検索エンジンでいろいろな物を調べるうちにウィキペディアの記事がよく引っ掛かる事を気にし出し、その結果ウィキペディアの虜になる。
- コブクロ、SMAP、槇原敬之、ウルフルズのファンであり、カラオケでは彼らの歌を基本的に歌う。
- 喜怒哀楽が非常に激しく、良くも悪くもすぐに感情が行動に表れてしまう。
- カレーが大好物で、生チーズが苦手。グラタンなどのチーズ料理は好む。
- 昼夜逆転生活を毛嫌いにし、昼間寝て夜起き出す人に対して厳しく批判する事もある。(夜勤は仕方ないとしている)
- 細かいところまで伝えないと気が済まない事も多く、文章を書かせるとよく長々とした文になってしまう。しかしTwitterを始めてからは短文にまとめることが多少なりともできるようになりつつある。
- 顔文字を多用する。
ラジオとの関係
[編集]高校生後半ごろから瞳と光央の爆発ラジオを通して声優やラジオ業界に興味を持つようになり、ハガキ職人として投稿しつつ、自宅で聴ける日はほぼ毎回テープに録音していた。爆発ラジオ終了後も特に岩田光央の出演番組を探し出して聴くようになり、岩田光央・鈴村健一 スウィートイグニッションの熱中的リスナーであったが、2008年に3ヶ月間名古屋市に移り住み大阪のラジオ局が聴けない時期を挟んでからはめっきり聴かなくなってしまった。
最近は子守康範 朝からてんコモリ!などのMBSラジオの番組を好んで聴く傾向にある。ただ、MBSラジオにおいては幼少の頃から親が聴いていたため接点はあり、おはよう川村龍一ですにハガキを投稿して採用され、トラ勝ち金を獲得した事もあった(ただしその対象となった試合は投手戦だったため少額だった)。
挑戦企画
[編集]24時間テレビのマラソンなど、体を張った挑戦企画に憧れており、2005年3月にはそれにならって三重県名張市の名張駅から柏原市内の自宅までの約60kmを歩き切るという挑戦を敢行した。朝から歩き続け柏原市内まで辿り着く事はできたもののスタートから56kmあたりの地点である河内国分駅で足の痛みが限界に達し、断念した(自宅最寄駅まで電車で移動)。
鉄道ファン
[編集]幼少の頃から鉄道好きであり、よくウィキペディアでも鉄道関連の記事を編集する事がある。かつては自身を「鉄道マニア」や「鉄道オタク」と言われるのを恥じらっていたが、著名人の中に鉄道ファンが多数いることを知ってからは抵抗がなくなり、自他共に認める「乗り鉄」「撮り鉄」になっている。一方でNゲージなどの鉄道模型を収集することには全く興味を持たない。
日本共産党、原発反対運動への参加
[編集]- 2012年12月より日本共産党の党員になっている。共産党に対してかつては「批判ばかりで自論を示してこない」と冷ややかな態度を取っていたが、東日本大震災や台風などの自然災害で真っ先に被災地へ向かい取材や救援活動をする党の議員の姿を知ってからは考えを改める。
- 原子力発電所の存在意義についても、当初は「地球温暖化問題には必要不可欠なもの」と感じていたが、福島第一原子力発電所事故を受け、さらに「原発は核分裂によって生じた膨大な熱によって熱湯となった海水(冷却水)をそのまま海へ垂れ流しているため、海温め装置である」とジャーナリストが取り上げたことから「原発はかえって地球温暖化を深刻化させる」という考えに変わり、原発の存在に危機感を覚える。京都大学の小出裕章のレポートをダウンロードして関西電力本社前のデモで一喝したことがある。
SNS
[編集]GREEが初のSNSへの参加であるが、基本的にゲームよりも日記(ブログ)更新で友達を作りたがっていた意向から、GREEがゲーム中心となり出したのを機に退会し、mixiへと移る。その後、Twitter、Facebookもスタートさせるが、現在ではTwitterが主であり、mixi、Facebookはブログ更新時以外は殆どログインしない。
性格と人間関係
[編集]日頃から論文調の文面が示すようにわかりやすい生真面目気質であり、中学生までは周囲からの評価は比較的高めであった。しかし高校時代は初めて荒んだ環境を目の当たりにし、これを機に人間不信と高飛車な態度が目立つようになり、その影響もあってか特に大学時代から社会人初期の頃は腹を割って話せる友人に恵まれず、孤独で暗い状況が続いていた。
長くても一年もつかもたないかの就職、退職、再就職、再退職という状況が長引いた事や、教職課程を勉強する中で高機能発達障害であるアスペルガー症候群の知識と自意識から自らそれを疑うようになり、精神科を受診した時期がある。さらに自己愛性人格障害を疑ってカウンセリングに通ったこともある。
しかし、先述したSNSを通じてのオフ会や様々な輪に参加する中で、「家の中で進んで親(家事)の手伝いをしようとしなかったのが、社会不適応の最大の原因ではないか」と感じ、立ち直っていく。