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利用者:KEIO MORISHITA/sandbox

立正寺(りっしょうじ)は、宮崎県宮崎市末広にある日蓮宗寺院日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の別院であるため、独自の山号は持たず、身延山宮崎別院立正寺と称する。

通称、立正寺運勢相談所。

概要

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立正寺は、明治36年に布教の端が見られる。

後に、日蓮宗総本山身延山久遠寺布教師であった森下龍宣日裕が前任地の長崎県より入山し、大正9年に日蓮宗宮崎教会を創設した。

昭和9年日蓮宗総本山身延山久遠寺より宮崎別院の称号を受け、翌年に立正寺と寺号公称された。

その後、森下恵照日雄の代には、昭和45年から31年間にわたり社会福祉法人立正保育園を設立運営していた。

平成4年にはスリランカコロンボガンガラーマ寺と友好寺院盟約を交し、また同寺院より仏舎利を奉受している。

現在の寺観は、現住職森下恵裕日訓の代に、老朽化のため整備計画し、平成12年に全面新築された。

本堂ならびに客殿は全イス席となり、明るく、心落ち着くお寺として、宗教を問わず参拝者に喜ばれている[1]

古くから「宮崎水子観音」が奉安され、水子供養を長く続けている寺院である。[2]

「九識霊断法」による運命鑑定も行っている。[3]


沿革

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明治36年1903年) 宮崎県田中智學の布教を依頼することに始まる。

明治38年1905年) 梶原トクにより日蓮本宗婦人会が結成。

明治39年1906年) 中川美之作によって日蓮本宗信積講が結成され、愛媛県伊予の清水是教、鹿児島県の浅野常瑞、熊本県の江淵啓勇などの来県布教を依頼する。

明治41年1908年) 米井寿三郎により宮崎妙法講が発足。

大正9年1920年)  日蓮宗宮崎教会所として認可され、輪番布教を行うようになる。

昭和3年1928年)  長崎県から森下龍宣日裕が入山し、正式に開山となる。

昭和9年1934年)  身延別院の称号を受ける。

昭和10年1935年) 立正寺と寺号改称する。

昭和12年1937年) 現在地(宮崎市末広1丁目)に移転する。

昭和14年1939年) 旧本堂落慶する。

昭和42年1967年) 第三世恵照院日雄が住職となる。

平成10年1998年) 第四世恵裕が住職となる。

平成12年2000年) 現在の本堂・客殿が落慶する。[4]

主な行事

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  • 正月三が日のうちいずれかの日 午前10時 - 新春初参り祈願会
  • 1月第3土曜日 午前10時 - 総合まんだら本尊初縁日
  • 2月3日 午前9時半~午後6時 - 節分星祭り大祈願
  • 2月第3土曜日 午前10時 - 釈尊涅槃会・宗祖降誕会
  • 3月第1土曜日 午前10時 - 盛運祈願会
  • 3月彼岸中日 午前10時・午後2時 - 春季彼岸会大法要・生類供養祭
  • 4月第1土曜日 午前10時 - 釈尊降誕会
  • 4月第3土曜日 午前10時 - 報恩感謝祭
  • 5月第1土曜日 午前10時 - 鬼子母神例祭
  • 5月第3土曜日 午前10時 - 報恩感謝祭
  • 6月第1土曜日 午前10時 - 盛運祈願会
  • 6月第3土曜日 午前10時 - 報恩感謝祭
  • 7月第1土曜日 午前10時 - 盛運祈願会
  • 7月第3土曜日 午前10時 - 報恩感謝祭
  • 7月土用の丑の日 午後4時 - ほうろく灸祈願
  • 8月第1土曜日 午前10時 - 目連尊者縁日
  • 8月15日 午前10時・午後2時 - 盂蘭盆会施餓鬼大法要
  • 9月第1土曜日 午前10時 - 盛運祈願会
  • 9月彼岸中日 午前10時・正午12時・午後2時・午後4時 - 秋季彼岸会大法要・宮崎水子観音大祭
  • 10月第1土曜日 午前10時 - 盛運祈願会
  • 10月第3土曜日 午前10時 - 報恩感謝祭
  • 11月第1土曜日 午前10時 - 盛運祈願会
  • 11月第3土曜日 午前10時 - 宗祖報恩お会式大法要
  • 12月第1土曜日 午前10時 - 盛運祈願会
  • 12月第3土曜日 午前10時 - 歳末総供養・奉仕作業[5]

参考文献

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外部リンク

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  1. ^ 縁起”. 立正寺. 2020年3月27日閲覧。
  2. ^ 水子供養”. 立正寺. 2020年3月20日閲覧。
  3. ^ 運命鑑定”. 立正寺. 2020年3月27日閲覧。
  4. ^ 日蓮宗寺院大鑑. 大本山池上本門寺. (1981年1月) 
  5. ^ 年間行事”. 立正寺. 2020年3月27日閲覧。