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利用者:K163335/sandbox

郡山宿の開村以前  

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 伊達氏の過所黒印状からわかる郡山商人の存在

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 1588年(天正16年)に伊達政宗は、郡山の商人である山本伊勢に過所黒印状を発給している。

 過所刻印状は、伊達領内の通行手形である。

 山本伊勢は、伊勢商人であり、上方に物資を扱う大きな力を持った商人が郡山にも存在したことを示し、郡山が商業経済集落であったと考えられる。[1]


郡山村の人口増加

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 郡山村の人口は、1777年(安永6年)には、2514人であったが、40年後の1817年(文化14年)3566人と1000人以上も増加している。[2]


村から町へと昇格

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 1824年(文政7年)に郡山村は、藩から町への昇格を許された。これにより公文書や商取引文書に郡山町と書くことができるようになり、町になるとともに人口増加が加速した。

 町昇格から3年後の1827年(文政10年)の人口は、4014人となり、1867年(慶應3年)の人口は、5205人となっている。[3]

  1. ^ 郡山市歴史資料館『郡山宿の賑わい~その光と影~』郡山市歴史資料館、2015年10月9日、2頁。 
  2. ^ 編集者 渡邉康芳 山崎義人 仲村哲郎 柳田和久『郡山の歴史』郡山市、2004年9月1日、84頁。 
  3. ^ 編集者 渡邉康芳 山崎義人 仲村哲郎 柳田和久『郡山の歴史』郡山市、2004年9月1日、85頁。