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利用者:Joumonnokoe/縄文時代のメモ

縄文時代のメモ

  • 定住的な生活の開始

時期区分

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草創期(13000~)-早期(9500~7500)-前期(~)-中期-後期-晩期(弥生の早期に重なる)

気候

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氷河期が終わりに近づき気候の温暖化が進んだ。地表の氷河が溶けて海水面が上昇した。その結果、海が内陸の奥深くまで入り込んだ。(海進という)この自然の大変化に即応した縄文人の知恵と技術の数々が生み出された。発明発見の時代と言われるゆえんである。海では魚介類が捕れるし、森には植物の芽や木の実を食べるシカやイノシシなど様々な動物が住むことが出来た。縄文人にとって海と山の幸を手に入れることができた。森と海が複雑に入り組んだ自然の資源をうまく利用することが出来た。手に入れることができた。 定住することが出来たのではないか。この新たな生活形態中で発達発明された道具は多いが、その中でも代表的な物の一つに土器がある。

-海進・海退

縄文遺跡

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-東日本が中心、関東地方、西日本、

縄文土器

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-無文土器-隆起線文土器-撚り糸文土器-

長崎県北松浦郡の福井洞窟で、最古の土器といわれる隆線文(りゅうせんもん)土器が発見されている。それがやがて東北にまで広がっていく。

-縄文中期(関東地方)-深鉢型が広く広がる。

縄文後期から晩期になると粗製土器ともいう簡素な装飾の土器が全体の80%を占めている。土器から、縄文人の生活を考えたり、道具としての意味を考えたり出来る。

  • 土器製作技術---粘土の復元、形づくり、文様と修飾、焼き方、などの工程。
  • 土器の使い方---道具として創られた。
  • 縄文人は何を主食としていたか。
  • どのような技術と方法で食料を手に入れて加工したかを考える。

実験考古学---実際に縄文土器を復元製作し、使用してみることが大事である。

貝塚

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-東京湾東岸周辺

生活

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-定住的な生活

ムラ

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/ムラ

主な出来事

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時期区分 主なできごと
草創期
約13000年前~約10000年前
晩氷期の気候は、短期間に寒・暖がおこり、厳しい環境変化であった。気温2度ほど低い。海水面30メートルほど低い。竪穴住居址からサケの顎骨発見。最古の夏島貝塚。小型の骨製U字型釣針。先刈(まずかり)貝塚。局部磨製石斧がつくられる。女性像を線刻した小礫つくられる。呪術的なものか?槍・弓矢の製作・使用。狩猟とともに漁労が活発化し貝塚がつくられはじめる。縄文・撚糸文の尖底土器つくられた。
早期
約10000~6000年前
海水面高さ戻る。小型の土偶つくられる。数個の竪穴住居で一集落を構成する。組み合わせ式釣り針。網用の土錘・石錘。ヤスダ、銛。を人と一緒に埋葬する。屈葬。貝塚。人口2万100人。
前期
約6000年~5000年前
平底土器が一般化する。竪穴住居が広場を囲んで集落をつくる。気候温暖で海面・気温上昇(縄文海進、海水面4~5メートル高くなる)のため、現在の内陸部に貝塚つくられる。湖沼の発達により丸木船がつくられる。漁労活動開始。常緑照葉樹落葉照葉樹。木器・土器・櫛などに漆を塗ることが始まる。環状列石がつくられる。土器は羽状縄文を施した繊維土器が盛んに作られる(→関山式黒浜式)。耳飾り・勾玉・管玉などの装身具がつくられる。立石列(りつせきれつ)環状石籬。貝塚。人口10万5500人。
中期
約5000年~4000年前
立体的文様のある大型土器が流行する。集落の規模が大きくなる。植物の栽培をうかがわせる。海岸線ほぼ現在に近くなる。大型貝塚形成。石棒土偶などの呪物が盛んにつくられる。石柱祭壇。抜歯の風習が始まる。気温低下始める。貝塚。26万1300人。
後期
約4000年~3000年前
交易目的の漁労民発生。大型貝塚。製塩土器。製塩専業集団、塩媒介集団、塩消費集団。伸展葬大湯環状列石ストーンサークル)、東北地方に集中。ウッドサークル(巨大木柱遺跡)。敷石住居址。貝塚。人口16万300人。
晩期
約3000年~2300年前
漁労の網。東北の太平洋側に銛漁開花。木製の太刀。頭部外科手術か?夜臼式土器。北九州・近畿でも縄文水田。気温2度前後低下。海面も低下。漁労活動壊滅的打撃受ける。貝塚。人口7万5800人。