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利用者:Japanese sincerity/sandbox

目次案

1 事件の概要と経緯

1.1 南京攻略戦

1.2 一般市民への被害 1.3 投降兵の処遇 1.4 中支那方面軍の編成 1.5 外国メディアによる報道 1.6 日本政府の反応・当時の陸軍高級軍人の証言・一般国民への情報

2 事件の背景について 3 戦後の軍事裁判における扱い 3.1 「人道に対する罪」と訴因

4 論争 4.1 被害者数と事実在否について

5 名称の種類と変遷 5.1 日本国外における表記

6 南京事件を扱った作品 7 脚注 7.1 注釈 7.2 出典

8 参考文献



外国メディアによる報道

南京に在留していた外国人ジャーナリストは日本軍の南京占領後しばらくした12月15日・16日には脱出し、上海にたどり着く。上海に着いたアメリカ人記者達は、『ニューヨーク・タイムズ』、『シカゴ・デイリー・ニュース』、『シアトル・デイリー・タイムズ』、『スプリング・フィールド・リパブリカン』等の新聞へ記事を発信することで、南京における事件初期の3日間において見聞きした日本軍の捕虜の殺害や民間人への乱暴行為等を報道した。 例:『ニューヨーク・タイムズ』1937年12月18日(All Captives Slain, Civilians Also Killed as the Japanese Spread Terror in Nanking)、翌年1月19日(Japanese Atrocities Marked Fall of Nanking After Chinese Command Fled)その他は以下脚注。

また、アメリカの著名な雑誌ライフ誌は、1938年1月と5月に南京事件についての報道の特集記事を組んだ[21]。 ただし、これ等の外国人記者の報道についての信頼性については、以下のとおりに論議がある。

議論については「南京事件論争#当時の報道についての議論」を参照

日本政府の反応・当時の陸軍高級軍人の証言・一般国民への情報

日本政府には、外務省の福井南京総領事代理の報告や岡本上海総領事の詳細な報告により、南京事件が深刻な事件として外務本省に伝えられた。南京安全(難民)区国際委員会の抗議も届き、「東亜局第一課の部屋には、報告書や写真が山積みとなった」。石射猪太郎東亜局長が事態を重くみて、陸軍軍務局に伝達したが、その結果、現地の南京総領事が陸軍によって突き上げられる始末であった。広田弘毅外務大臣より陸軍大臣の杉山元への軍紀粛正の申し入れがあった。その結果、1月に陸軍参謀本部の本間雅晴が現地に派遣され、その報告を受けて現地の中支那派遣軍司令官の松井石根が日本に召還された。ただし、広田は閣議では事件を明らかにしなかったため、広田の東京裁判での処刑判決につながった[23]。

その当時、陸軍の高級幹部も早くから南京事件の内容を把握しており、松井の後任の中支那派遣軍司令官の畑俊六や中国派遣軍である第十一軍司令官に就いた岡村寧次大将のように軍の規律に否定的な評価をした人もいた[24]。また、松井石根司令官[25]、阿南惟幾・陸軍省人事局長[26]、河辺虎四郎・参謀本部作戦課長[27]、真崎甚三郎大将[28]などの軍関係者が「強姦、略奪」行為に言及している。


一般国民には、厳しい報道管制と日本軍部の宣伝によって、国が流す報道内容からは事件の内容を知らされていなかった[29]。1937年8月2日の憲兵司令部警務部長通牒「時局に関する言論、文書取締に関する件」では、「国境を超越する人類愛又は生命尊重、肉親愛等を基調として現実を軽蔑する如く強調又は諷刺し、為に犠牲奉公の精神を動揺減退せしむる虞ある事項」などが言論取締りの対象とされた。



事件の背景について

南京城内で避難民にまぎれて逃亡を企てた中国軍正規兵を調べる憲兵(毎日新聞昭和13年1月1日発行)

南京攻略戦のとき、中国政府や中国軍の上層部は、多くの兵士を南京から脱出させずに置き去りにしたまま(しかも逃げる際は長江を渡るという困難があるなど完全置き去り)であり、(兵士の保護に必要な)戦時国際上の正式な降伏を行わないで逃走した。また、南京市内の一般民衆への配慮は中国政府側に非常に少なく、一方で欧米人牧師によって安全区が形成されて多くの民衆が保護されたこと[30]、などから中国政府や中国軍の対応の問題点が理解できる。

しかし、日本側の事件についての軍や兵士の問題はなかったか、については当時の資料や証言から考察できるが、以下にその論議が記載されている。

議論については「南京事件論争#残虐行為の動機」を参照

議論については「南京事件論争#中島今朝吾日記「捕虜ハセヌ方針」」を参照

議論については「南京事件論争#山田支隊の捕虜処断」を参照

議論については「南京事件論争#事件前後における日本軍の軍紀について」を参照 9 関連項目 10 外部リンク