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利用者:Hoteisan/sandbox

1982年1月、赤とんぼの童謡で知られる龍野に、キングクレソールジャズバンド(King Cresol Jazz Band)というデキシーランドジャズを演奏するグループが誕生した。メンバーがすべて病院に関係していたので、クレソールという消毒薬の名をつけて活動していたが、後に米国の著名なキングクレオールジャズバンド(King Creole Jazz Band)を文字って キングを冠するようになった。クレオールというのはヨーロッパ人とアフリカ人の混血を指すが、日本語では両者の発音がよく似ている。

 1988年6月、サンフランシスコのNatural Gas Jazz Bandのコルネット奏者、歯科医のクラムリーとDevil Mountain Jazz Bandのリーダー、バンジョーの名手キーラーの世話で、往年のミュージシャン、ルーワターに会う機会を得た。ルーの率いるYerba Buena Jazz Bandは1950年頃、サンフランシスコでリバイバルジャズとして全米を沸かせ、西海岸ジャズと呼ばれていた。現在、ディズニーランドで聴くことができるハッピージャズのことである。

 突然の引退後、人嫌いで誰とも会おうとせず、山小屋で暮らしていたルーワターに会うことができたのは幸運なことであった。彼の手作りのサンドウィッチをふるまわれたあと、ルーの前で彼の作曲したBig Bear Stomp、Emperor Norton’s Hunchなどを演奏した想い出は、生涯忘れることができない。また、彼はサンアンドレアス峡谷の地形を探索して、サンフランシスコ大地震を予見、それを作曲して民衆に周知させたという在野の地質学者でもあった。

 キングクレソールジャズバンドが目指すところは、ルーワタージャズの再現であった。ピアノ、バンジョー、バスサックス、チユーバ、パーカッションなどのセッションが刻む重厚で軽快なリズムと、それに2本のコルネット、トロンボーン、クラリネットの奏でるメロディで、ルーのジャズのルーツを尋ねてきた。テクニックはおよばないが、本邦に彼の音楽をリレーするバンドがあったことが私たちの誇りである。

 最初は国内で活動していたが、1998年頃からシアトルのUptown Low Dow Jazz Bandのバートの招きで、米国の各地で開かれるジャズフェス、オレゴン、シアトル、サンフランシスコ、サンタローザ、バンクーバー、などに参加することができた。なかでもルーのメンバーだったピアニストのワリーローズ、クラリネットのボブヘルムなどと共演したことが、昨日のように想い出される。

 キングクレソールジャズバンドはアデレードで開催されたオーストラリアンジャズフェスや、香港のオペラハウスなどにも出演してきた。しかし、2007年のブルーノート大阪での演奏をピークに活動を減らし、2011年沖縄で開かれたアジア肩関節学会の会長招宴を最後に、メンバーの病折もあり休眠状態に入った。ジャズを愛好する多くの友人たちに心から感謝する。