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利用者:Hayabusa77/sandbox

北沢川文化遺産保存の会(北沢川文化遺産保存の会)とは、世田谷区代田代沢北沢一帯に眠る文化遺産を掘り起こし、それらを文学碑、地図、文章などに記録し、情報発信を行っているボランティア団体である。

活動経過・内容・実績

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2004年(平成16年)12月、世田谷代田信濃屋会議室で発足総会を行い、地域住民に承認された。

2006年(平成18年)5月 世田谷区の助成を受け、冊子「『北沢川文学の小路』物語」を発行した。「自転車でたどる下北沢文士物語」と題して、6月24日(土)・朝日新聞の東京版に紹介される。

2007年(平成19年)3月20日世田谷区の助成を受け、冊子「下北沢X惜別物語」を発行した。下北沢地域の踏切や駅が地下化するのに伴い、地表にあった駅や踏切の一つ一つのエピソードをこれに記録した。

2008年(平成20年)3月20日 世田谷区立代沢小学校校地一角に『坂口安吾文学碑』を建立。報道各社が取り上げた。[1]同時に、「安吾文学碑建立記念記録集」~あんこ先生が帰ってきた~を発行した。  この文学碑には大田区にあった坂口安吾旧居の門柱が使われている。建立に当たっては東邦ホールディングス株式会社の協賛を得た。なお、門柱は新潟日報社所有のものであったが、会の要望に応えて無償で譲ってもらった。

2012年(平成24年)10月6日北沢川緑道に「代田の丘の61号鉄塔由来碑」を建立した。これには朔太郎詩「定本青猫」の一節が刻まれている。「代田の丘の61号鉄塔」は、当地に住まった萩原朔太郎 萩原葉子の居住痕跡を記したものとして「世田谷区地域風景資産」に選定されたものだ。建立に当たっては信濃屋食品の協賛を得た。

2013年(平成25年)11月23日、東京世田谷の市民ボランティア団体北沢川文化遺産保存の会が、横光利一旧居「雨過山房」近くの北沢川緑道に「橫光利一文学顕彰碑」を建立した。このモニュメントには小説『微笑』に出てくる石畳(鉄平石)二枚が用いられている。これに響く靴音で訪客の用向きが分かったと作品には記されている。石は橫光家から寄贈されたものである。建立に当たっては世田谷区、及び東邦ホールディングス株式会社の協賛を得た。

紀要の発行  ・「北沢川文化遺産保存の会」紀要 創刊号 2012年10月 6日  『代田の丘の鉄塔文学論』(きむらけん著)  「代田の丘の61号鉄塔」由来碑建立を記念して発行された。当地に居住した萩原朔太郎のことを中心に記述されている。 ・「北沢川文化遺産保存の会」紀要 第2号 2013年11月22日『北沢の丘の石畳文学論』(きむらけん著)「橫光利一文学顕彰  碑」の建立を記念して発行された。

地図の発行 ・北沢川文化遺産保存の会は、下北沢一帯の文士旧居、芸術家旧居などを記した地図を発行している。その名称は「下北沢文士町文化地図」である。改訂に改訂を重ね、現在では改訂五版を数える。総発行枚数は三万八千部に達した。現在改訂五版を無償配布している。

脚注

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1.*「産経新聞」東京版、「あんこ先生 81年ぶりの帰還~下北沢の小学校 坂口安吾文学碑建立へ」2007年11月13日  

  1. ^ 1