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利用者:Hanbaishi/sandbox

しもやま じゅんいち
下山順一
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 東京市
生年月日 大正10年11月15日
没年月日 平成26年10月27日
最終学歴 早稲田大学
職歴 日本放送協会(NHK)アナウンサー→東海テレビ放送(THK)アナウンサー
活動期間 1949年―1966年
ジャンル スポーツ
担当番組・活動

下山順一(しもやま じゅんいち、1921年11月15日―2014年10月27日)は、日本の元アナウンサー。

来歴・人物

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大正10年(1921年)11月15日、東京市下谷区下根岸に生まれる。父は元・陸軍軍医少将下山忠典、祖父は初代薬学博士下山順一郎早稲田大学卒業後、昭和24年(1949年)日本放送協会(NHK)にアナウンサーとして入局。名古屋中央放送局、静岡放送局、新潟放送局、大阪中央放送局でアナウンス業務に従事した。特にスポーツ実況中継に多く携わり、大相撲、高校野球、プロ野球、ラグビー、国民体育大会等の幅広い種目で、ラジオ実況さらに放送が開始されたテレビでの実況中継を担当した。昭和33年12月、民間放送テレビ局の1社として新たに開局した名古屋市東区に本社を置く東海テレビ放送(THK)にアナウンス室長として移籍。昭和34年3月、同局初のプロ野球中継となった中日ドラゴンズ西鉄ライオンズのオープン戦を実況中継した。THKではニュース、同局制作ドキュメンタリー番組等の他、スポーツ中継を中心的に担当した。プロ野球中日ドラゴンズ戦、オールスターゲーム、当時民間放送で中継した大相撲各場所、中京競馬場での重賞レース等の他、フジテレビ系列番組「プロ野球ニュース」、スポーツ以外でも「スター千一夜」の司会を務め、スポーツ選手、人気歌手等のゲストと対談した。昭和39年(1964年)東京オリンピックでは、女子800m決勝等の陸上競技等を実況。また、昭和40年(1965年)に当時絶大な人気を博したプロボクシングにおいて、名古屋市愛知県体育館で行われた世界バンタム級タイトルマッチで50戦無敗の王者エデル・ジョフレ(ブラジル)の9度目の防衛戦に挑んだ元世界フライ級王者ファイティング原田が圧倒的不利の予想を覆して勝利した。この世紀の一戦を解説矢尾板貞雄と共にフジテレビ系列全国ネットワーク中継で実況した(1)。アナウンサー退任後は、東海テレビ放送大阪支社長、本社編成局長等を歴任。退職後は、大手総合スポーツ用品製造販売企業の美津濃株式会社に勤務の後、平成26年(2014年)10月27日93才で死去。墓所は、東京都墨田区向島の久遠山常泉寺

担当番組

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関連人物

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NHKアナウンサー

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東海テレビ放送アナウンサー

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大相撲解説者

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プロ野球解説者

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関連項目

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脚注

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1.昭和40年(1965年)5月18日に名古屋市愛知県体育館で行われた世界バンタム級タイトルマッチのテレビ放送は東海テレビ放送発フジテレビ系列全国ネットで中継されたが、この貴重な映像の一部は「You Tube」で視聴可能である。