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利用者:HALOct/sandbox

ハイブリッド戦争(ハイブリッドせんそう、英語: hybrid warfare)とは、新しい戦争形態の一つである。論者によって定義は異なるが、志田淳二郎によれば、米欧の安全保障専門家は「意図的に民間と軍事的目標の境界をあいまいにする武力紛争未満の取組み」と定義づけている[1]。ハイブリッド脅威(英語: hybrid thread)と呼ばれることもある。

概要[編集]

概念の登場[編集]

志田淳二郎によれば、ハイブリッド戦争の研究は、2000年代初頭のアメリカ海兵隊で始まった[2]。2002年に同海兵隊のウィリアム・ネーメトは、米海軍大学院の修士論文としてチェチェン紛争を取り上げ、「将来戦争とチェチェン: ハイブリッド戦争の一事例」として提出した。この論文によれば、チェチェンは近代的な外見と前近代的な基盤を有する「ハイブリッドな社会」であり、戦争と個人間暴力、戦闘員と非戦闘員を区別しない。そして伝統的社会を維持しつつも、コンピュータや携帯電話のような有用な新技術を導入する。こうしたハイブリッド性が軍隊にも反映され、西側諸国の軍隊とは異なる戦闘手法・行動規範をとる「ハイブリッドな軍隊」を生む。そして「ハイブリッドな社会」の生む戦争は将来ますます普及し、チェチェン紛争はそうしたハイブリッド戦争のモデルとなると主張した[3]

2007年、米海兵隊のフランク・ホフマン退役中佐は、ネーメト論文を参照しながら、複合戦争、第四世代戦争、中国の『超限戦』の議論を取り上げた。それらを踏まえホフマンは、ハイブリッド戦争を、「国家と様々な非国家主体の双方」が参加し、「通常戦力、非正規の戦術と編成、無差別暴力と強要を含むテロ行為、犯罪的無秩序を含む、様々な戦争形態」が「別々の部隊又は同一の部隊によって行われうるが、一般に、相乗効果を得るために主戦場において作戦的・戦術的に指揮・調整される」ものと定義した[4]

ハイブリッド戦争の概念が登場したのは、1999年に中国の軍人の喬良王湘穂が発表した「超限戦」である。ここでは政治、経済、宗教、心理、文化、思想など社会を構成する全ての要素を兵器化するという考えが示されていた[5]

2008年の米陸軍野外教範3-0C.1では「ハイブリッド脅威」という概念が初めて盛り込まれた[6]。またロシアが公然・非公然に介入した、1988〜94年のナゴルノ・カラバフ戦争や1992年の沿ドニエストル紛争は常に現地の武装勢力や民兵、犯罪集団を巻き込んでおり、ハイブリッド戦争の要件を満たしている[7]

ゲラシモフ・ドクトリンとクリミア危機[編集]

2013年にはロシアの参謀総長ゲラシモフが、「予測における科学の価値」という論文を発表した。21世紀には近代的な戦争のモデルが通用しなくなり、戦争は平時とも有事ともつかない状態で進む。戦争の手段としては、軍事的手段だけでなく非軍事的手段の役割が増加しており、政治・経済・情報・人道上の措置によって敵国住民の「抗議ポテンシャル」を活性化することが行われる、とゲラシモフは論文の中で述べている[8]。この論文は「ゲラシモフ・ドクトリン」と呼ばれており、翌年発表されたロシアの新しい軍事ドクトリンはこれを踏まえて改定された[5](なお、この改定は以前のものが出されてから5年と経たずに行われており、7〜10年単位で改定するのが普通のロシアでは異例のことである[8])。新ドクトリンには「非核抑止力システム」の概念が盛り込まれた。これの定義は「対外政策、軍事的手段、軍事技術的手段の総体であって、非核手段によってロシアに対する侵略を防止することを目的としたもの」である。小泉悠によれば、ロシアはクリミア危機において、この「非核抑止力システム」を自らが転用したものだという[9]

ハイブリッド戦争が特に注目され始めたのは、2014年クリミア危機からである。この紛争において、ロシアがほぼ無血でクリミアを占領・併合したことから、ロシアは何か新しい軍事力行使の形態を生み出したのではないかとの注目が集まった[6]国際戦略研究所 (IISS) は2015年5月19日、「アームド・コンフリクト・サーベイ2015 (Armed Conflict Survey)」において、ロシアがクリミアを併合した手法を「ハイブリッド戦争」と規定した[10]

評価[編集]

上述したロシアの手法を、クリミア危機後に現れた新しい戦略として捉えることに疑念を抱く専門家もいる。例えば、ピーター・マンスールはハイブリッド戦争に目新しいものはないとの評価を下している[11]

小泉悠は、ロシアの「ハイブリッド戦略」を冷戦期の第三世界で見られた核抑止と非正規戦の組み合わせを欧州に適応したものだと指摘する[12]。また、元ウクライナ安全保障会議書記のホルブーリンによれば、ロシアの「ハイブリッド戦略」の本質は、ロシアが自身の勢力圏への軍事介入を可能とする方法として編み出したものだという。ソ連時代に比べて国力・軍事力共に低下したロシアは、NATOとの直接対決が不可能であることから、自国に可能なローコスト・ローテクな方法でNATOに対抗できるようにしたのがこの「ハイブリッド戦略」であるとしている[13]

歴史[編集]

2006年のレバノン侵攻[編集]

2006年レバノン侵攻は、ハイブリッド戦争の代表例の一つである。この戦争では、レバノンで伸長していたシーア派軍事組織ヒズボラによるイスラエル国境の攻撃を受け、イスラエル軍がレバノン領内までヒズボラを追跡・侵攻した。ヒズボラはイランの代理人としてよく振る舞ったが、ヒズボラ自身の政策として、戦争への原動力とするためにイスラエル兵を誘拐した[14]。この戦争の特徴として、地元社会に溶け込んだ3,000人のヒズボラ兵が約3万人のイスラエル兵に攻撃されたことが挙げられる[15]

ヒズボラは、正規軍が用いるような兵器(対戦車ミサイル無人機ロケット弾、発展したIED)で武装した、分散されたゲリラを用いた[16]。ヒズボラのゲリラはイスラエルのヘリコプターを撃墜し、メルカバ戦車に損害を与え、暗号化された携帯電話で連絡を取り、暗視装置でイスラエル兵の動きを監視した。イランのイスラム革命防衛隊のゴトス軍は、先進的なシステムの指導者・供給者として効果的に活動した[17]。ヒズボラが借り受け金を使ったマスコミュニケーション(大衆伝達手段)は、戦争中において戦争の認識に影響力のある写真・映像をすぐに拡散させた。イスラエルは戦場での戦闘では負けなかったが、戦争への認識という情報戦の分野では敗北した[18]

2014年のイラクでのISILの伸長[編集]

イスラミック・ステート (ISIL) は、イラク正規軍に対してハイブリッド戦を挑んだ非国家主体である。ISILは簒奪を望み、非正規戦・正規戦・テロ活動を行った[19]。これに対してイラクは、ISILの伸長に対抗するため、自身が非国家主体・国際主体を用いたハイブリッド戦略に転換した。アメリカも同様に、従来の航空戦力と、イラク政府軍・ぺシュメルガ・宗教的理由で戦う民兵へのアドバイザーの派遣、シリア反政府軍の訓練といった「ハイブリッドな」(組み合わせられた)手法で参加した。イラクとシリアで行われているハイブリッド戦争は、国家と非国家の主体が互いに組み合わさっており、目的も重複していて現地政府が弱い、 という紛争である[20]

2014年からのクリミア危機・ウクライナ紛争[編集]

クリミア危機において、ロシアは空挺部隊特殊作戦軍をクリミアに展開させた。彼らは陸軍から独立し、最高司令部が参謀本部を通じて直接指揮する部隊である。また、非正規の手段として、扇動された現地の一般市民、クリミア・コサック、マイダン騒乱の際に市民を鎮圧した報復を恐れてキエフから逃れてきた内務省治安部隊「ブルクート」の元隊員、ロシアのカバルディノ・バルカル共和国から現地入りしたコサックなどが参加した[21]

また、ロシア軍はウクライナの通信網を遮断するために部隊を侵攻させて物理的にケーブルを破損し、インターネットエクスチェンジ (IXP) を占拠した。また、ウクライナ国会議員の携帯電話を使用不能にする、ウクライナ政府のサイトをダウンさせるなどの活動を行なうほか、フェイクニュースを流す、SNSを用いた世論操作などが行われた[22]

ロシア政府がシリアやウクライナでの紛争で広く用いるのは、ワグネル・グループのような民間軍事会社であり、そうしたものがロシアのハイブリッド戦争の重要な要素の一つとして、2018年に専門家によって選ばれた[23]

ロシアについて、2018年3月にマイケル・コフマンは「ハイブリッド戦争への西側の頻繁な言及は事実上、紛争の全範囲にわたって可能な別の大国との対決に対する、数十年に渡る厄介な敵に対する理解不能な西側の反応」であると述べた[24]

ロシアでのアメリカの活動[編集]

ロシア政府は、アメリカ政府がカラー革命でロシアに対してハイブリッド戦争を行なっていると非難した。アメリカとその同盟国と戦争状態あるいは緊張状態にある、というこの認識は、ウクライナの2014年ユーロマイダン運動で強まった。旧ソ連圏でのロシアの活動は、ホッブズ的で冷戦的思考を忍ばせる、と説明されている[25]

2014年のヴァルダイ・クラブにおいて、ロシア外相のセルゲイ・ラブロフはこう発言した:[26][27]

それは興味深いことばだが、私は何よりもアメリカとその戦争戦略にあてはまると思う — それはまさにハイブリッド戦争であり、その目的は敵を軍事的に敗北させることよりも、アメリカ政府の気にいらない政策を追求する国の政権を転覆させることにある。財政的・経済的圧力、情報戦を使い、相手国の周囲の勢力を代理として使い、そしてもちろん外部から資金を受けた非政府機関を通じて情報やイデオロギー面での圧力も使っている。これはハイブリッド的な手法ではないか、戦争と呼ばれるものではないか?

ロシアによるアメリカでの活動[編集]


脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 志田 2021, p. 13.
  2. ^ 志田 2021, p. 17.
  3. ^ Nemeth, William J. (2002), Future war and Chechnya : a case for hybrid warfare, Naval Postgraduate School, https://hdl.handle.net/10945/5865 
  4. ^ Hoffman, Frank G. (2007), Conflict in the 21st Century: The Rise of Hybrid Wars, Potomac Institute for Policy Studies, https://potomacinstitute.org/reports/19-reports/1163-conflict-in-the-21st-century-the-rise-of-hybrid-wars 
  5. ^ a b 核兵器を超えたフェイクニュースの脅威 ロシアのハイブリッド戦闘能力(前編)”. THE ZERO ONE. 2019年2月19日閲覧。
  6. ^ a b 小泉悠 (2017). “ウクライナ危機にみるロシアの介入戦略 ハイブリッド戦略とは何か”. 国際問題 658: 38. 
  7. ^ 4期目目前のプーチン氏、内と外で直面する難題 : 深読み”. 読売新聞オンライン (2018年3月13日). 2019年2月20日閲覧。
  8. ^ a b 「西側が仕掛ける新しい戦争」? ロシアの新軍事ドクトリン”. WEDGE Infinity(ウェッジ) (2014年11月25日). 2019年3月9日閲覧。
  9. ^ WSI COMMENTARY VOL.1 NO.6 (DECEMBER 2014-2) ロシアが軍事ドクトリンを改訂 ハイブリッド戦争と過激主義テロへの視線 | World Security Intelligence”. 2019年2月21日閲覧。
  10. ^ 米海大ナウ!”. www.mod.go.jp. 2019年2月19日閲覧。
  11. ^ 小泉悠 (2017). “ウクライナ危機にみるロシアの介入戦略 ハイブリッド戦略とは何か”. 国際問題 658: 39. 
  12. ^ 1982-, Koizumi, Yū,; 1982-, 小泉 悠, (2016.4). Gunji taikoku roshia : arata na sekai senryaku to kōdō genri. Tōkyō: Sakuhinsha. ISBN 9784861825804. OCLC 951723833. https://www.worldcat.org/oclc/951723833 
  13. ^ Puchin no kokka senryaku : Kiro ni tatsu kyokoku roshia.. Koizumi, Yu 1982., 小泉, 悠 1982. 東京堂出版. (2016.11). ISBN 9784490209501. OCLC 1006947327. https://www.worldcat.org/oclc/1006947327 
  14. ^ Hybrid War: Old Concept, New Techniques”. Small Wars Journal. Small Wars Foundation (2015年3月2日). 2015年8月5日閲覧。
  15. ^ Hybrid Wars”. Government Executive. National Journal Group (2008年5月1日). 2015年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月5日閲覧。
  16. ^ Hoffman, Frank (2007). Conflict in the 21st Century: The Rise of Hybrid War. Arlington: Potomac Institute for Policy Studies. pp. 35–38 
  17. ^ Hybrid Wars”. Government Executive. National Journal Group (2008年5月1日). 2015年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月5日閲覧。
  18. ^ Hoffman, Frank (2007). Conflict in the 21st Century: The Rise of Hybrid War. Arlington: Potomac Institute for Policy Studies. pp. 38–39 
  19. ^ The Islamic State is a Hybrid Threat: Why Does That Matter?”. Small Wars Journal. Small Wars Foundation (2014年12月2日). 2015年8月5日閲覧。
  20. ^ Schroefl, Joseph; Kaufman, Stuart. “Hybrid Actors, Tactical Variety: Rethinking Asymmetric and Hybrid War”. Studies in Conflict and Terrorism 37 (10): 863. 
  21. ^ 小泉悠 (2017). “ウクライナ危機にみるロシアの介入戦略 ハイブリッド戦略とは何か”. 国際問題 658: 44. 
  22. ^ 核兵器を超えたフェイクニュースの脅威 ロシアのハイブリッド戦闘能力(後編) |”. THE ZERO/ONE – サイバーセキュリティ・メディア. 2019年2月19日閲覧。
  23. ^ Don't Be Fooled: Russia Attacked U.S. Troops in Syria: Mattis gave Putin "plausible deniability" for a military assault that went badly awry. Bloomberg, 16 February 2018.
  24. ^ Russia v the West: Is this a new Cold War? BBC, 1 April 2018.
  25. ^ Thornton, Rod (4 September 2015). “The Changing Nature of Modern Warfare”. The RUSI Journal 160 (4): 40–48. doi:10.1080/03071847.2015.1079047. 
  26. ^ REMARKS BY FOREIGN MINISTER SERGEY LAVROV AT THE XXII ASSEMBLY OF THE COUNCIL ON FOREIGN AND DEFENCE POLICY” (2014年11月25日). 2017年2月2日閲覧。
  27. ^ Russia and America's Dangerous Dance” (英語). The National Interest. 2017年2月19日閲覧。

参考文献[編集]

志田淳二郎『ハイブリッド戦争の時代: 狙われる民主主義』並木書房、2021年。 

関連項目[編集]