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古代の視覚論の比較と評価
[編集]現代の視覚論では、眼は光による物理的な刺激を受け取り、それを脳・神経系で情報処理をして視覚が成立するとしている。光は観察者が物を見るために誰かが設計して準備してくれたわではなく、ただ自らの法則に従って勝手に動き回っているだけである。それを捉えて対象物の情報を得る仕組みは決して簡単ではなく、多くの研究を通じて解明されてきた。
一方、古代の視覚論では、この問題の複雑さは見えてこない。この事情は、特に原子論者の理論ではわかりやすい。この理論では、(多少の劣化はあっても)視覚対象のレプリカが得られてしまうため、視覚対象と観察者の中に作られる像が似ていることは、最初から明らかである。
初期の外送理論も、「盲人の杖」というやや制限された形ではあるものの、これもやはり触覚とのアナロジーであって、しかも対象から流入したものが眼でとらえらえた途端に像が形成されて視覚が成立することも含め、原子論者と共通点が多い。
これらの点では、アリストテレスはやや異なっていて、触覚のアナロジーを否定して感覚の受容と知覚の形成を分けて考える。このような考え方は、後の視覚論の発展に影響を与えた。しかし、それでも観察者が獲得する像と対象が(通常の状況では)似ていることは、(ある程度)当然だとされた。また、アリストテレスの理論の枠組みは洗練されていたが、具体的な分析は豊富とは言い難かった。プトレマイオスは、外送理論を保ちながら、アリストテレス的な考えを用いて錯視の包括的な分析をしてみせたが、それに類する仕事はなかった。何よりも、眼で受け取った「色」から視覚対象の形状や大きさなどを再構成してみせる仕組みについて、具体的なアイデアは何もだされていなかった。
結局、原子論者の理論もアリストテレスの理論も、視覚の性質を十分に説明するには至らなかった。