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利用者:GarnetiteCat

凡例

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以下の文章は、実験・試行のための駄文である。
特に末端は作業場なので見て論じないでね。

ご丁寧に、この項を紹介している岐路上人みたいな方もいるにはいるのですが、基本的に、自己主張とかではありません。しかし諷意の実験の場ではあります。
それに過剰に反応するシトもおりやす。
とにかく試行を続けているので、よそから見るとドン臭いとか、いろいろご意見はあるでしょうが、岐路上人がこの頁を参照として指定した関係で、岐路上人関連の記述(駄文なんですが)が、世界遺産じゃぁないけど保存しなきゃぁないんで。面倒なことになりました。どうでェイ、岐路上人をじっくり味わってくれぃ。

いやぁあの、そういうことなんですけど、噺が通りやすいように、関係ないとこトリミングしたんですけど、どこが引用するほどヒドイ?こと書いてんのか、判りゃしねぇんで。
トリミングした部分にそれがあるみたいな、珍説はもぅ良いから、正論をストレートに、「君届」してくれぃ。

権威主義者について

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権威主義者とは、権威を振りかざす俗人であり、当の本人が権威と評価できる実力を所持していないから、虎の威を借る狐と評されるのだ。
実態が顕れれば、地に堕ちるのみ。

権威主義者は自分が権威主義者と批判されることに鈍感である。特に権威主義者の中でも小物はその傾向が強い。小物だけに、思考が杜撰なだけ厄介だ。回らない頭で行うのは、いわゆる「虎の威を借る狐」の為様だ。

残念なことに周囲を見て習い覚えた処世術としての、慣性の法則さながらに、居丈高な言動で相手をすくませようとす。幻術詐術の手口さながらの陳腐な行動である。 つまり「(低音で)ウゥゥ」とサワリをやり。畳み込むように、高音かつ大きな声で「ワン」と、大音量で浴びせかける。ソナー探査の一撃である。相手が怯めば、もうこちらの優位は揺るぎなく、犬畜生と大差ないということではある。
「ワン、ワン(呼吸)ワン、ワン、ワン」と畳み掛け、相手の戦意を吹き飛ばし、無力化するだけである。習い性となるというが、こういう勝利の方程式が染み付き、脳のニューロンやらシナプスやらの配置まで定着したのが『小物の権威主義者』だ。(小物と言っても、天才と等しく、一個の生物であるところが物悲しい。)

現代日本では地方公務員とそのOBにこの種の行動パターンが蔓延している。ニューロンに定着しているのだから、加速機関ミエリンも発達している、蔓延ではなく増殖かな。田舎での地方公務員の立場はとても強大なので、彼らは敗者の側に身をおく経験が乏しい。つまり権威主義をあからさまにして行動して、反感を持たれても押し切る強引さが取り柄である。 反面、厳しい状況に自らを晒して研鑽したことはない。故に、異質な状況に置かれた場合、迅速かつ的確な対応など望むべくもなく、為す術を知らない。 小動物が危険を察知して硬直(死んだフリ)するように沈黙し、萎縮する。

察するに、本能的に田舎の公務員は、自分の常識と自分の優位があまねく通用する世界が広がり、そこに君臨することをを望む。でも、実際のところそんなにうまくゆくはずもなく、上京すると鼠のごとく振る舞うという醜態を何の躊躇いもなく行う。

究極の、テクニックは沈黙。嵐が過ぎるとムクリと首を上げ、素知らぬ顔で、しかし(力んで余計に)傲然と睥睨する・・・というポーズを目立たないところ、仲間内とか、で、やって見せて自分を慰める。・・・・ということだろうなぁ たぶん。

知恵の回る人物は自分が権威主義と呼ばれないように細心の注意を払う。またそのことによって、自分の知識、知見の見せかけの価値を高めることに心がける。 このような真の権威主義は政府官僚に多い。小物とは明らかに異質であり、鋭敏に会話に伏線を配し、あるいはまた話題を先回りして、権威主義だと言われる状況ををそらし切る。あからさまな権威主義的な発言をするなど、このスペシャリストに言わせれば信じられない暴挙・言語道断である。このヒトビトの本性を露出させるのは、極めて厄介である。

デアルガ 権威主義者(小物)の抽出・確定は、ものすごく簡単であること、自明である。
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Kinoriさんへのhommage

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(石田彰の声音をイメージしていただけると極上です。)

さる御仁:「ああやだやだ、このしとはなんだって、こう、宮城県史とかいう、お役所の出先の書き付けを、重宝がるのかねぇ。話を重ねるたびに、力が入るもんだから、宮城県史は崇高な絶対な存在みたいに祭り上げちまって、いまさら後に引けないから、佐々木某も立派な史学者だといわざぁならないし、そいでいて、そう言い張っている時に、もとの宮城県史を読み返すという、学問を志すものとしちゃぁ当たり前の、基本の所作をやってないってんだから、まぁ呆れて物が言えないやねぇ。コッチには、読みもしないで何を言うかって、大見得きってるんだから。」
丁稚:「そうでごぜますか。」
さる御仁:「なんだヨウ、そういやぁ、おまいは、陸奥の生まれだったわいねぇ。陸奥の生まれは、同じ陸奥のしとを贔屓するのかいぇ。」
丁稚:「そうりゃ、おいらは陸奥の生まれでごんす。でも、おいらはこちらにお世話になって、初めて違う土地というもんを知りました。比べるということが、どれだけものの見方を変えてくれるかということも、しみじみわかりましたで。そうして、比較、という公正な秤にかけてみると、お国自慢は考えもんだと思うようになりましたよ。」
さる御仁:「ホウ、それでは、おまいはあの岐路上人とは、同じ道は歩まぬと・・・」
丁稚:「あっしには厄介な話ですが、陸奥には、まつろわぬ民だとか蝦夷だとか、蔑まれいたぶられた歴史があるので、地域の情報を発信する際に、妙な力みがあるようなんですよ。その、力みってゆうものは価値観を狂わせるほどのプワッシオンみたいなもんでぇ。」
さる御仁:「プワッシオンとは異なことを。要するに臭みがあるということかいね。しかも、それをあからさまに謗りにくいと。そいじゃぁおまいは、その力みとかいうものを捨てて、どう・・・」
丁稚:「へぇ、なにか穏やかな心地にひたりたいんでやすが。」
さる御仁:「そんなことをいうて、軋轢に揉まれて居場所がなくなるのじゃないかぇ。」
丁稚:「へぇ、もともとこの世界に居場所を作ろうとか、自分の調べたものを載せようとか、そういう欲はないんでやす。」

さる御仁:「ところでおまいさん、アナゴという言葉は、普通に使われていたと、言い張っていなかったかね。」
丁稚:「へぇ、宮城はわかりゃしないんですが、仙台圏での自分の記憶ではね。1960-70年台の話ですから、岐路上人の言われる通り、時代は微妙に咬み合わないんですがね、ごく普通でしたよ。捕まえて帰って、とぐろ巻いたのを冷凍庫に放り込んでおいたんで、お袋にさんざ叱られました。そいから、仙台市内はもちろんのこと、名取の増田の集落にも寿司屋がありやして、うちの親父にそういうとこに連れてかれて、アナゴだの食ってやした。そいから、そのころ出前を取るといえば、圧倒的に江戸前の寿司でやした。」
さる御仁:「江戸前寿司でアナゴを?」
丁稚:「いやぁ、店に行った時は、親父は安く済ませようってんで稲荷やら巻物をすすめるんですがね、アナゴの握りはもう、甘くって美味くって、大好きでやした。子供向けでは玉子焼きと両横綱でしたね。出前には松竹梅とあって、玉子もアナゴも梅から入ってやした。」
さる御仁:「ほう」
丁稚:「てめぇの記憶なんぞ、下の下だと言われりゃぁ、あっしはぐうの音も出ねぇんで。そいでカチンと来たわけでして。」
さる御仁:「(江戸前の)寿司職人が仲に入って言葉を繋ぐのかい。」
丁稚:「アナゴだけに、トンネルほって文化を繋いでるんで。」(笑)


--GarnetiteCat会話) 2016年2月11日 (木) 14:22 (UTC)

Kinoriさんという権威主義に関する若干のコメント

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私はKinoriさんを「権威主義者」と批判しました。どうでも良いことですが、Kinoriさんとどうも咬み合わない。権威主義者を批判することと、権威を批判することの、厳密な分離がKinoriさんには見られない。という、魚の小骨がアデノイドあたりに絡むような、痒い、奇妙な感触がありますので、ここで述べさせていただきます。
まず、「権威主義」と相対するのが「反権威主義」であるという、当たり前のことを。確認しておきたいと思います。そして「反権威主義」の側であるとか、良識派?の側から、権威を振りかざす人々(例えば、ナチズム、スターリニズム、マッカーシズム)を批判したムーブメントがルーツにある。ということ。
ついでに言うと、「反権威主義」と標榜した幾つかの流れは、統一されて、ユニバーサルな「反権威主義」といえるものに昇華しなかった。権威主義が蠢くたびに、それに対するアンチテーゼとして登場した、「異議申し立て」の活動、自らの存在意義を問うことを内包し、それを活力とする、抗議活動として顕れた。

ここで、注意しておきたいのは、権威主義は政治思想にだけ、現れるのではなく、すべての分野に出現することだ。
大きな流れとしては、政治思想が科学にまで影響の手を伸ばすということがありうる。科学の理論を支配したいのではない、それは内実として「ほどよいもの」であれば良い、科学理論を提唱することを通じて、その理論に服従させる形で、科学者を支配に置きたいたいという支配欲だ。例えばソヴィエトにおけるスターリン主義がこれに当たる。この事例は、笑うしか無いほど乱暴で、乱暴なだけに、権威主義(スターリン主義)的、抑圧・支配・強制がソヴィエト全土を襲った。

従って、反権威主義の定義はブレがあるものの、権威を闇雲に否定するものではなく、「権威」という「威」のもとに、民衆を一定方向に誘導しようと、例えばマスコミを誘導する、政治家、政治ロビィスト、宗教的指導者、に対し「理」をもって「異」を唱えることを目指したと理解できます。
この権威を振りかざすヒトビトは、権威の内容を証明することもなく、大仰に振りかざすのです。
そして、「そんなのまぼろしだ。現実を直視せよ。」と、理を尽くして異を唱える人に、いわゆるレッテルを貼り、貶めようとするのです。

私は、権威を否定するものではありません。ただし、私が権威として認めるものは、私自身が検証し、認めたものだけです。
こんな、当たり前のことが、できない、無意識に権威を受容する、その「検証されない」架空の権威をもって、他者を威圧する。これが私の忌み嫌う「権威主義者」です。



明治時代的空気というのと、(趣味が高じて研究といったレベルでなく)「趣味的研究」というものについて心当たりがあるのでそれで想像しております。

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これからも記事の編集に参加する予定は特にないというGarnetiteCatさんの意見に共感する人はほとんどいないと思われますのでおすすめしません。

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有用な場合もあるので許されています。

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図表の凡例

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  • この出版物は、「日本言語地図」を凌駕する大部の著作です。そして、検索大辞典と銘打っているように、ほぼ羅列が延々と続くものです。 編集にあたっては各都道府県ごとに章を作るスタイルです。 注釈はありません。 私はそれを、アナゴ類・マアナゴ、ハモのみ抜粋しました。そして、地図になぞらえて表示したのです。
  • 発刊は2001年-4年です。
  • この著作は集団作業により作成されたようです。しかし、いわゆる聞き取り調査を、各地域に万遍なく行うような、フィールドワークを実施するということではなく、既存の膨大な文献から、一旦カードを作成し、それをソートしたものです。つまりコンパイルする手法です。ベースとなる文献の時系列は概ね無視されています。そして地域については、その文献が示唆している地域をそのまま記載しています。地域名称も、文献発表当時のままで、その後の町村合併があるため、現存しない地域名称が多数見られます。
  • 書名のサブタイトルは【動植物標準和名⇨方言名検索大辞典】となっていますが、巻頭で編者が編集の困難として、標準和名というものが確立していないことを挙げています。そのようなこともあってか、各頁の記載にあたっては、【和名⇒方言名検索】と表記されており、いささかトーンダウンしています。
  • ということで実際の表記は、「和名⇨方言名」であり、和名は小項目として扱っています。
  • 例えば、北海道のアナゴ類について、原著では
 アナゴ類〔魚類:アナゴ科〕
  ウクルルベ〔北海道:アイヌ名〕
  ハモ〔北海道各地〕
  ハモ〔北海道室蘭市〕
と記載されており前後は動植物名が五十音順には記載されています。私の図表ではこれを抜粋しました。
  • (掲載なし)とクレジットされているのは、原著に存在しないという意味です。(掲載なし)と原本に記載されているのではなく、その県にはその項目が存在しないという意味です。
  • 原著から抜粋した項目は、和名 アナゴ類、マアナゴ、ハモの3項目です。ハモ類もしくはマハモという項目は調査した範囲では存在しません。
  • 原著では五十音順ですが、便宜上、アナゴ類、マアナゴ、ハモの順に各県配列しました。




--GarnetiteCat会話) 2016年2月23日 (火) 21:18 (UTC)

ガラクタ

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えへっ こんち いい陽気ですな まぁ体も踊り出すような気分になりましてな どうにも気分がヨウござんすな
釣れますかなどと文王そばにより などと申しますが

与太郎っ、釣れるかい。
へぇ兄(アニ)さん、まぁ、オホン、まぁまぁですな。
なに気取ってやがんでェイ、どうだ、オメェの虚ろの釣針と虚ろの餌に、なんか喰い付いたかぁ。
あぁ、まあボラ一匹とハゼ一匹ですかねぇ。まぁこれも試しってもんでさぁ。
でもお上人様がせっかく機会をこしらえてくださってんですから まあありがてぇやら何やらできっちりお応えしようとは思っているんでやすよ。

その後どうでぃ
も一匹喰い付いたには喰い付いたんですが、岐路上人の撒いた噺の流れとは、やっぱり沿わない。読んでう~ンと反り返って避けたくなるもんですね。あれ、岐路上人側の発言と、喜ぶんですかね、上人様は。

そんなこと、知るもんけぃ。まぁ度量を見せてもらおうじゃないか。既に、流れは予想外なんじゃないかい。

鐘が ボンとなりゃあサ上げ潮 南サ カラスがパッと出りゃ コラサノサ 骨がある サーイサイ
そのまた骨にサ 酒をば かけてサ 骨がべべ着て コラサノサ 礼に来る サーイサイ
ソラ スチャラカチャンたらスチャラカチャン

工房

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詐術の内容は深刻ではありません。私個人はうんざりする調べごとを強いられたのです。(基本的に人文系は興味の埒外なのです)
だから腹ぁ収まりませんが。嘘つきなど世の中に腐るほどおります。問題は、「こんな嘘は深刻でない」からと、押し切ってもみ消してしまおうという方向に心が傾くか、自分の発言に些細な事でも落ち度がないか、常に気を配り、僅かなことでも誤りがあれば素早く訂正する、そんなトレーニングがされているかどうかです。私はこのことを、性格とか性根とか俗なことではなく、トレーニングだと推察します。だって政治家なんか位が高いほど素早く、訂正するじゃァありませんか。ドン臭い対応するのは地方の小物政治家です。
このような誤りに対する接し方は「百科事典編集」においても最低限の基本資質であると思います。

準備期間としてここに表示すると心構えができますか?

  1. ^ test