利用者:Ganmosan
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Ganmosan(ganmo(san))はnotウィキペディアン。Wikipediaは星の数ほどあるサイトの1つに過ぎないため、その程度のスタンスで執筆・閲覧を行っている。
名前はWikipedia向けに超適当につけた。従って、他ユーザは私のことをなんと呼んでも良い。
活動予定メモ
[編集]- ユーザ監視:218.226.77.84、60.32.153.110、43.244.98.66、60.45.181.215、219.160.162.106など(前後番組に関する妄想を書き連ねている節がある、必要があればコメント・ブロック依頼をしようかと監視中)
- そろそろ執筆ジャンルの追加を考えたいのだが、何がいいか・・・ネットスラング系も編集は楽しいのだが、「スラングが好きすぎてとてもとてもキレイな記事にしたい」のか「スラングなんてWikipediaにいらないよ」なのかわからないユーザによって大抵荒らされているのが難点。少なからず私の目には彼らの活動は「記事の成長を妨げている」としか思えないのだが。
- あるユーザにコミュニティを破壊され、成長が止まってしまったフラグ (ストーリー)の再構築を検討中。
- そのあるユーザについても動向を監視中。
- あるユーザにコミュニティを破壊され、成長が止まってしまったフラグ (ストーリー)の再構築を検討中。
活動期間
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- 活動期間:2007/09/19 9:23 - 有期ブロックまで
(ブロック解除まで待つぐらいなら他のサイトに活動の場を広げる。無期ブロックであればWikipediaは私にとってはどうでもいいサイトであるということであろう)
以下は責任を持って記事を育てるという意味での新規項目立ち上げや編集回数の区切りの記録である
- 2008/7/24 星新一ショートショートの項目立ち上げ(まだまだスタブ)
- 2008/11/10 編集200回目 輪派絵師団の項目立ち上げ(スタブ)
- 2008/11/10 編集200回を期に利用者ページも執筆した。駄文だが。なおウィキマネー制度を利用するつもりはない。
活動範囲
[編集]リアル専門分野は避けている。論文誌が参考になっているものをどんどん使って良いなら構わないが、「(金銭のやりとりなどによって採録が決まったりすることもあるから)論文誌よりも市販の書籍の方が信頼性がある」(井戸端か何かで見た)という妙ちきりんな意見を持ったユーザが居る以上は、私が大量に持っている・閲覧出来る論文誌を基に記事を書いても無駄で馬鹿げていてWikipediaにとって無益であることは明白である。最も、論文誌は専門的すぎてわからづらいから、それをかみ砕いて説明している書籍を参考にすると言う姿勢はとても良い姿勢であると考える。しかし私はかみ砕く本が出るまで待ってるほど本業が暇ではないので、オリジナルの文献しか読まない。
現在は「テレビ(娯楽番組)」を中心に活動している。夕刊紙には「今のテレビ業界をダメにしたのはバラエティ番組だ」などと書かれ、バラエティ番組の項目には悪意のある記述しかないという、とてもカオスな領域ではあるが、私はnotウィキペディアンであるため、自分のペースで出来る範囲でやっている。
活動範囲において主に重点を置いているのは「いかに誤解がないように、かつわかりやすい文章を書くか」である。これは本業でも影響する事であり、文字だけでやりとりする中では最重要事項であるからである。
どうでもいい内容の編集で編集回数を増やすようなことはしない。編集する際は本文チェックを全て行ってからする。なので編集回数がとても少ない。
マイ指針
[編集]Wikipediaでは指針やガイドラインなどに従っていれば参加することが可能であり、私もここに参加する以上はそれに従っているつもりである。しかし私は自分向けに1つ制約を付け加える。
指針を盾にして議論をしない
[編集]独自の研究、検証可能性などWikipediaにはさまざまな指針がありますが、これらを盾として議論をすることは議論の本質をぼやかし、不必要に相手の感情を逆撫でるだけであるため、避けるべきでしょう。
- ケース1
「あなたがWP:NOTを把握していれば、このような意見が出るはずがありません。」
これは相手がウィキペディアが何でないかを把握していないというレッテルを貼り、意見を封じ込める為に発言されている場をよく見ますが、これは正しい使い方ではありません。もし相手がWP:NOTをしっかりと把握していれば本題とはずれた議論がそこから始まり、議論の場はどうでもいい論争の場となります。最も、
- ケース1'
「WP:NOTの「ウィキペディアは単なる知識ベースではありません」内の「ニュース・ニュース速報の場所ではありません」をご覧になったでしょうか?ここでの合意内容では(ほげほげ)となっておりますので、再度ご確認の方、よろしくお願いします。もし異論があるようでしたら、該当ノートの方へ意見を提出していただけますようお願いします。」
と、少し付け加えるだけで具体的にどこに相手の欠如があるのかを指摘し、相手が行くべき場所を指し示すことが出来ます。ケース1を1'に変更することはその後無駄な議論を重ねることを思えば数倍効率の良いことです。もしも指針・ガイドラインを理由として議論を進めるのであればこういった議論展開がよろしいのではないかと考えます。(最も、この例よりもっと良い方法はあるでしょう。)
最近疑問な指針議論
[編集]そうは言っても、すんなりと頭に入っていかない方針も中にはある。最も疑問なのが「検証可能性」で議論されている、「テレビ番組で放送された内容は検証可能性に足りるか?」である。Verifiabilityを和訳して検証可能性としており、「可能(証明出来るか)かどうか?」といわれれば、どう考えてもテレビ番組で放送された内容は検証可能である。放送内容は何かしらの手段をもって検証することが可能であるからである。
最も、Verifiabilityは入力Aがあり、100%の確率で出力Bがあればverifiableなのであって、「問い合わせ」で同じ質問をして同じ返答がかえってこればverifiableなのである。これがどうも最近は検証「容易」性とでもする風潮があるのがよく理解できない。ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができないからという文章がある。これを拡大解釈して、容易性も満たすべきであると考えるユーザが居る。もちろんこれは間違いだと考える。それは前後の文章を見れば一目瞭然である。無視すべきであろう。これら、結論も出ていない議論内容をそこら辺で出たかのように言いふらすユーザをよく見る。とてもよろしくないと思うがいかがか?
もし「テレビ番組で放送された内容は検証可能性に足りない」という結論になるとこうなる。(テレビ情報誌などにまとめられていない場合に限る、特記性は考慮しない)
- 笑っていいともでタモリがOPでバク転したとしてもWikipediaには掲載できない
- レギュラー陣は全員そっくりさんを使っているかもしれないので、レギュラー陣に関する記述が出来ない
- 曜日毎のコーナーは時折違う内容をする、そうなると曜日毎のコーナーという枠組みは不確かである
- そもそも本当にタモリが司会の番組なのかわからない、そうなるとなんたらアワーというのは一体何?
- 笑っていいともは、ラテ欄には書いてあるが本当に放送されているのか?
1あたりで収まれば「Wikipediaでは放送番組に対するプライオリティは0に等しい1です。」で済むが、5にもなれば、Wikipediaは何なのかがわからなくなる。
最も、前述した論文誌の論文だってものによっては閲覧するには年会費を支払い会員になるか、1つの論文に対して数十ドル支払わなければ閲覧出来ないのだが。それも一般ユーザには閲覧が容易ではないので満足に検証出来ないとして検証可能性に足りないというのだろうか?Verifiabilityは単語の通りであるのであればもっとシンプルであると私は考えるのだが・・・?