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二田 哲博
[編集]二田哲博(ふたたてつひろ、1958年12月18日)は、福岡県久留米市出身の日本の医師。糖尿病、バセドウ病や橋本病などの甲状腺疾患を特に専門とし、糖尿病専門医・糖尿病指導医、甲状腺専門医、内分泌専門医、内分泌指導医などの多くの専門資格を持つ医師である。医療法人二田哲博クリニック姪浜、医療法人二田哲博クリニック天神の理事長。久留米市立城南中学校、西南学院高等学校、福岡大学医学部卒業。
目次
[編集]- 経歴
- 人物
- 所属学会・役職など
- 公式サイト
経歴
[編集]- 1958年 福岡県久留米市三本松町(現日吉町)で生まれる。父は、福岡県福岡市中央区天神に本社を置き、スーツをはじめとする紳士服などの販売を行う株式会社フタタ(九州地方・山口県・沖縄県に店舗を展開)の創業者。4人きょうだいの末っ子で次男。兄の二田孝文(ふたたたかふみ)は株式会社フタタ会長。
- 1962年 福岡県久留米市六ツ門町 聖母幼稚園 入園。
- 1965年 福岡県久留米市立 日吉小学校 入学。
- 1971年 福岡県久留米市立 城南中学校 入学。
- 1974年 西南学院高等学校入学。株式会社フタタ福岡市出店にともない、福岡市中央区へ転居。
- 1978年 福岡大学 医学部 入学。
- 1986年 福岡大学 医学部 卒業。
- 1986年 福岡大学 医学部 第一内科 入局。
- 1988年 福岡大学 医学部 内分泌グループに所属。(現 福岡大学医学部内分泌・糖尿病内科)
- 1988年 福岡大学病院 救命救急部 に所属する。(現 福岡大学病院)救命救急センター
- 1989年 福岡大学 医学部 第一内科 内分泌グループ に戻る。
- 1991年 福岡大学病院で最年少の日本内科学会 内科専門医(現 日本内科学会総合内科専門医)となる。
- 1993年 福岡大学病院で最初で最年少の糖尿病専門医となる。
- 1996年 福岡大学病院で最初で最年少の日本内分泌学会専門医となる。
- 1998年 福岡大学病院で最年少の日本糖尿病学会指導医、最年少の日本老年医学会専門医となる。半年間の約束で、大分県別府市の甲状腺専門病院野口記念会野口病院へ出向する。大学病院をはるかに越えた野口病院の甲状腺治療のレベルを目の当たりにして大きな刺激を受け、さらに半年間の出向延長を希望し了承を得る。
- 1999年 福岡大学医学部に掛け合い、野口病院への1年間の出向をさらに1年間延長する了承を得る。
- 2000年 野口病院での2年間の出向満了後も、甲状腺がんの細胞読影技術をさらに高めたいと考え、福岡大学医学部へさらなる期間延長を希望するも認められなかったため退職し、その後1年間自宅のある福岡市から別府市野口病院まで毎週2日通い甲状腺がんの細胞読影をおこなう。1998年〜2001年の3年間で約4万例の甲状腺がんの細胞読影をおこなった。
- 2001年 糖尿病と甲状腺疾患を専門とする『
二田哲博 クリニック』を福岡市西区姪浜駅前に開院。開院当初は1日に患者3名という日もあった。甲状腺疾患を専門とするには、バセドウ病のアイソトープ治療もおこなうべきであると考え、アイソトープ施設を併設。2001年当時、福岡県内でアイソトープ施設を併設した医療機関は、九州大学病院と二田哲博クリニックの2施設であった。 - 2004年 医療法人化し、名称を『医療法人
二田哲博 クリニック』とする。日本内分泌学会指導医を取得。 - 2005年 糖尿病患者の食事療法と運動療法のさらなる充実と待合室拡充のため増築をおこなう。以前の1.5倍の広さとなった待合室では、昼休みに健康運動指導士による運動療法をおこない、新設されたキッチンでは、食事療法の指導や美味しい糖尿病食を作る料理教室をおこなう。
- 2011年 福岡市中央区天神フタタビル7階に『
二田哲博 クリニック 天神』を分院として開院する。これに伴い、福岡市西区姪浜の施設を本院とし、名称も『二田哲博 クリニック 姪浜』とした。
人物
[編集]- 幼い頃から生物に強い関心を持ち、細かい緻密な作業をおこなうことを好んだ。
- 幼稚園の時には、できるだけ多くのマッチ棒を繋げて1本の線のように歪むことなく床に並べることに熱中した。
- 小学生の時には、ミジンコに興味を持ち川でミジンコを取ってきては熱心に生態を観察し記録をおこなった。
- 動物全般が大好きで、大学時代には犬(ポメラニアン♀愛称メグ)を飼っていた。
- 医師になってからはウサギ(アメリカンファジーロップイヤー♀愛称デイジー、ミルク、シュガー)を飼っていて、2012年からはウサギ(アメリカンファジーロップイヤーとライオンラビットのミックス♀愛称モコ)を飼い溺愛している。
- 動物実験を嫌い、医学部入学以降、一度も動物実験をおこなっていない。
- 小学生の頃にベン・ケーシーという若き脳外科医が主人公のアメリカのテレビドラマを観て、人の命を救うことができる医師に憧れ、小学6年生の時に医師になることを両親に宣言した。4人きょうだいの中で、ただ一人級長になったことがなく、特筆すべき成績でもなかったことから両親は本気にしなかった。父は家業の会社を兄と一緒に継いで欲しいという希望があったが、最終的には本人の意志を尊重することにした。
- 手先が器用なことから外科医を目指すことも考えたが、研修医時代に内分泌疾患に興味を持ち、現代の医療では完治しない糖尿病でも、医師が遺伝や生活習慣など様々な要因を鑑みながら緻密にコントロールすることで、完治しなくともその人の一生を健康で豊かなものにできるということにやりがいを感じ、糖尿病の専門家を目指すことにした。
- 福岡大学病院勤務時代、糖尿病を中心とした内分泌疾患の治療をおこなっていたが、診ていた甲状腺疾患の患者が次々と大分県別府市の野口病院へ転院を希望したことで野口病院に興味を持ち、福岡大学医学部に出向を願い出て野口病院へ勤務する。野口病院の高い医療レベルと専門病院でしか実現できない医療体制に衝撃を受け、甲状腺疾患の専門家を目指す。
- マンガが大好きで、自宅には数百冊のマンガがあり、休日はTSUTAYAやBOOKOFF巡りをすることが多い。
- 好きなマンガはジョジョの奇妙な冒険、ドラゴンボール、北斗の拳 など。
所属学会・役職など
[編集]- 日本甲状腺学会専門医
- 日本糖尿病学会専門医
- 日本糖尿病学会研修指導医
- 日本糖尿病協会療養指導医
- 日本病態栄養学会評議員
- 日本内分泌学会内分泌代謝科(内科)専門医
- 日本内分泌学会内分泌代謝科指導医
- 日本内科学会内科専門医
- 日本内科学会認定内科医
- 日本内科学会指導医(平成10年)
- 日本老年医学会専門医
- 日本東洋医学会専門医
- 日本体育協会公認スポーツドクター
- 日本医師会認定健康スポーツ医
- 日本医師会認定産業医
- 福岡大学臨床教授
- 福岡糖尿病セミナー世話人
- 福岡甲状腺研究会世話人など。