利用者:FPK163BV/sandbox
表示
ここはFPK163BVさんの利用者サンドボックスです。編集を試したり下書きを置いておいたりするための場所であり、百科事典の記事ではありません。ただし、公開の場ですので、許諾されていない文章の転載はご遠慮ください。
登録利用者は自分用の利用者サンドボックスを作成できます(サンドボックスを作成する、解説)。 その他のサンドボックス: 共用サンドボックス | モジュールサンドボックス 記事がある程度できあがったら、編集方針を確認して、新規ページを作成しましょう。 |
松丸志摩三(まつまる・しまぞう、1907年8月- 1973年11月7日)は、日本の獣医学者・畜産技師・農業運動家。詩人・社会運動家・元共産党員のぬやま・ひろし(西沢隆二)は実兄。
経歴・人物
[編集]西沢吉治・松丸みつの三男として神戸に生まれる。長兄・基一、次兄・隆二[1]
台町小学校から深川八丁堀の小学校に転校、麻布中学を経て旧制静岡高等学校理科を卒業。[2]
1925年、父親の事業の破産に遭い、両親が八丈島に移住したのにつれて移住。[3]
1932年、東京帝国大学農学部獣医学科を卒業。卒業と同時に松丸姓を継ぐ。すぐに朝鮮に渡り、全羅北道で農林学校の教諭を1年余り務めたのち、朝鮮総督府畜産技師となり、1940年、畜産課長となる。[4]
1943年、朝鮮総督府を辞任。長兄・基一らが参与する台湾南方協会に招かれ、台湾に行く。[5]
1944年、帰京して東京拓殖株式会社調査部、新日本畜産協会理事などを務める。以後、疎開先の千葉県長生郡西分村にて、酪農指導など農村活動の仕事に専念する。[6]
1954年、静岡県田方郡函南町に移住。1969年まで同地で新生活運動協会の仕事を主とし、農村活動や執筆活動を旺盛に行う。[7]
1969年、宮崎県児湯郡高鍋町に移住。栗園の経営に情熱を燃やす。[8]
1973年11月7日、死去。
著作
[編集]- 『南方圏の棉花資源』国際日本協会、1942年。
- 『家畜の物語』小学館、1943年。
- 『日本農業物語』霞ヶ関書房、1946年。増補改訂版、八雲書店、1948年。
- 『家畜の歴史物語』霞ヶ関書房、1946年。
- 『日本馬物語』月曜書房、1947年。
- 『緬羊物語』文化評論社、1948年。
- 『農業技術の話』実業教科書、1948年。
- 『家畜と私たち』
- 『動物から家畜へ 私たちの社会科教室』国民図書刊行会、1949年。
- 『競走馬の基礎知識 サラブレッドの手引』河童書房、1949年。
- 『朝鮮牛の話』岩永書店、1949年。
- 『畜産農業と酪農のこつ』
- 『農村新生活講座〝日本農民組合文化部編〟農事研究会の手引き』
- 『これからの農業経営』
- 『家畜のはなし』
- 『私たちと家畜』
- 『機械を田や畑に』
- 『家畜のできるまで』
- 『牛かいの魔術』
- 『畜産の学校』岩永書店、1949年。
- 『日本馬物語』
- 『動物のもつ習性』
- 『農業の生いたち』
- 『太洋州』国民図書刊行会、1951年。
- 『養豚経営の新知識』河出書房、1952年。
- 『農業の魔術』牧書店、1952年。
- 『畜産の学校』
- 『これからの読書』
- 『農民は都会人にうったえる』新評論社、1953年。
- 『農村に生きる青年』新評論社、1953年。
- 『村の次三男』新評論社、1954年。
- 『村つくり教室』中央公論社、1955年。
- 『農民の暮らしと考え』新評論社、1955年。
- 『村の教師に訴える』新評論社、1955年。
- 『再び村の教師に訴える』
- 『村づくりと家づくり』
- 『青年運動と村づくり』
- 『農業問題の疑問点』
- 『農村指導者のために』
- 『農民はいま何をなすべきか』
- 『農民生活への注文』
- 『インテリと農村』
- 『しつけの責任は誰に』明治図書出版、1957年。
- 『村の教師論』新評論社、1959年。
- 『青年運動と生産活動』農山漁村文化協会、1959年。
- 『がんばれ村のかあちゃん』あすなろ書房、1961年。
- 『農民教育の焦点』農山漁村文化協会、1968年。
- 『農民指導者と社会教育』
文献
[編集]- 「特集・松丸志摩三をしのぶ」『里』2号、里の会、1975年10月
- 長島又男『ぬやま・ひろしとその時代』社会評論社、1985年7月
脚注
[編集]- ^ 「松丸志摩三の略歴」(『里』2号、1975年10月、里の会)p.84。
- ^ 長島又男『ぬやま・ひろしとその時代』(1985年7月、社会評論社)p.44。
- ^ 「松丸志摩三の略歴」前掲、p.84。
- ^ 同前、p.84。
- ^ 同前、p.84。
- ^ 同前、p.84。
- ^ 同前、p.84。
- ^ 同前、p.84。