利用者:Eugene Ormandy/sandbox66 ガスパール・カサド
ガスパール・カサドは、スペイン出身のチェリスト、作曲家である。
生涯
[編集]幼少期〜学生時代
[編集]1897年9月30日、スペインのバルセロナに生まれる[1]。父は作曲家、オルガン奏者、指揮者として高名なホアキン・カサドであった[1]。最初の音楽教育を父より受け、7歳にしてバルセロナの音楽学校「ラス・メルセデス」のチェロ科に入学した[1]。9歳の時に故郷で演奏会を開き、1年後には奨学金を得てパリへと移った[1]。パリでは同じくスペイン出身のチェリストであるパブロ・カザルスに師事し、「我が息子」と呼ばれた[1]。
活躍
[編集]ソリストとしてオーケストラと共演しつつ室内楽にも取り組んでおり、ヴァイオリニストのマックス・ロスタール、ピアニストのハインツ・シュレーターとピアノ三重奏団を結成した[1]。また、ベルン郊外のザーネンで開かれるユーディ・メニューイン音楽祭に毎年参加した[1]。
晩年
[編集]1966年12月25日、スペインでの演奏旅行の最中にマドリッドで死去した[2]。
人物
[編集]日本のピアニスト原智恵子と結婚し、フィレンツェに居を構えた[2]。なお、フィレンツェ市はカサドを記念して「ガスパール・カサド国際チェロ・コンクール」を設けている[2]。
教育活動
[編集]シエナのキジ音楽学校や、ケルンの国立音楽学校で教鞭をとっており[1]、恵まれない生徒たちに対しては援助の手を差し伸べた[2]。
各種国際コンクールの審査員も務めており、1957年にパリで開催された第1回パブロ・カザルス国際コンクールや[3]、1962年に開催されたチャイコフスキー国際コンクールで審査を担当した[4]。コンクールでは、同じく審査員を務めたムスティスラフ・ロストロポーヴィチやピエール・フルニエと親しくなった[5]。なお、第2回パブロ・カザルス国際コンクールに新たに審査員として加わった作曲家のエイトル・ヴィラ=ロボスは、カサド、ロストロポーヴィチ、フルニエのために3台のチェロのための協奏曲を書いて進呈すると語ったが、その後間も無く他界したため約束は果たせなかった[6]。
作曲家として
[編集]チェロ協奏曲や『スペイン古代様式によるソナタ』など、チェロのための作品をいくつか作曲している[1]。小品も作曲しており、『青鬼の踊り』や『ボアブディルの哀歌』、「恩師パブロ・カザルスに捧ぐ」と記された『レクイエブロス』などがある[2]。また、チェロ以外の作品としては『ピアノと室内楽のための小ソナタ』『ダヴィデの2つの詩篇に基づくオラトリオ』などが挙げられる[2]。
なお、作曲のほかに編曲も行った[2]。
評価
[編集]スイス・ロマンド管弦楽団でチェロ奏者を務めたユリウス・ベッキは、カサドの演奏について「低音は力強く、高音はヴァイオリンを思わせるような柔らかい彼のチェロの音は、全く独特の魅力をもち、聴衆を魅了した」と述べている[1]。
参考文献
[編集]- エリザベス・ウィルソン『ロストロポーヴィチ伝 巨匠が語る音楽の教え、演奏家の魂』木村博江訳、音楽之友社、2009年、ISBN 978-4-276-21724-9。
- マーガレット・キャンベル『名チェリストたち』山田玲子訳、東京創元社、1994年、ISBN 4-488-00224-2 。
- ユリウス・ベッキ『世界の名チェリストたち』三木敬之、芹沢ユリア訳、音楽之友社、1982年。