利用者:Eugene Ormandy/sandbox50 フェミニスト・カウンセリング
フェミニズム・カウンセリングとは、女性の心理的問題をフェミニズムの視点から理解し、クライアントの回復やエンパワーメントを援助する心理実践である[1]。フェミニスト・セラピィとも呼ばれる[1][† 1]
誕生の背景
[編集]第二はフェミニズム
三つの団体p17
誕生
[編集]1960年代後半、ベティ・フリーダンが女性たちの「名前のないいらだち」を看破したことで誕生した第二波フェミニズムは、様々な分野に影響を及ぼした[1][3]。カウンセリング分野もその一つであり、心理発達や問題の治療方法が男性のみをモデルとし、女性の心理的破綻が女性の立場から理解されることがなかったことに不満を覚えたアメリカ心理学会のフェミニストたちは、1969年に「女性のための心理学協会」を(アメリカ心理学会と関係のない団体として)設立し、入会資格を問わずに活動を展開した[1][† 2]。
フェミニスト・カウンセリングは上記の「女性のための心理学協会」のメンバーによって始められ、1980年に河野貴代美が「フェミニストセラピィ『なかま』」を東京に設立したことで日本にも輸入された[1][4]。
内容
[編集]「性役割と心理的問題の関係を解きほぐし、女性の自己実現を援助すること」を基本理念として、社会における女性差別に目を向けつつ、性暴力、ドメスティック・バイオレンス、セクシュアル・ハラスメント等の被害者のケアを行う[1]。
また、フェミニスト・カウンセリングの内容・理念の変遷については、1970年から80年代を第一期、それ以後を第二期とする見方が存在する。
第1期 1970-80年代
[編集]第2期 1980年代以後
[編集]各国での展開
[編集]日本での展開
[編集]1980年に河野貴代美が「なかま」を設立したのち、1994年にはフェミニストカウンセリング全国大会が大阪府で開催された[1]。翌1995年には全国組織である「日本フェミニストカウンセリング研究連絡会(通称『フェミカン研』)」が設立され、教育訓練を重視した活動が展開された。なお、フェミカン研はフェミニスト・カウンセラーの資格も発行している[1]。
日本以外の地域での展開
[編集]「女性のための心理学協会」設立の契機となったアメリカ心理学会においても、1974年にジェンダー部会(第35部会)が設立された[1]。
相談者の属性・相談内容・症状など
[編集]- 仙台市に設置された「フェミニストカウンセリングルームIN仙台」には、設立から2年半の間に総計108名(うち女性104名)の相談者が訪れ、合計1089回の相談が実施された[5]。相談内容は自分の問題、対人関係、家族の問題の順に多かったが、相談を重ねていくうちにそれらの問題の重なりが示されたと分析されている[5]。なお、夫からの暴力を受けた女性を対象とした同拠点の別の調査では、被害女性が訴えるものとして不安感、脅迫行動、恐怖感、うつ状態、悪夢、さらに身体症状として外傷、性感染症の既往、更年期障害とされる不定愁訴群、軽度の脳血管障害が挙げられている[6]。担当者は背景として親の虐待などの個人的問題、さらに男性優位の社会構造を示唆し、地域にフェミニスト・カウンセリングを根付かせる必要性を説いている[5]。
- 妊娠後期に過食・嘔吐と自傷行為を繰り返し産科入院となった、神経性食欲不振症の妊婦に対し、自殺を防止し情緒安定を目的としてフェミニスト・カウンセリングが実施された[7]。その結果として「妊娠を肯定的に受容し、過食行動が抑制され、食事を意味あるものとして受容し、積極的な分娩意欲を持つに至った」とされる[7]。
評価
[編集]参考文献
[編集]書籍
[編集]- 井上輝子、上野千鶴子、江原由美子、大沢真理、加納実紀代編『岩波 女性学事典』岩波書店、2002年。
- 河野貴代美『フェミニスト・カウンセリング』新水社、1991年。
論文など
[編集]- 大西由希子「神経性食思不振症妊婦の妊娠受容に向けての援助:情緒面に対する特別な母性援助の必要性とカウンセリングの視点」『北海道大学医療技術短期大学部紀要 第12号』p21-30、1999年。
- 鈴木道子、田口京子「10. 仙台におけるフェミニストカウンセリングの試み(第38回日本心身医学会東北地方会演題抄録)」『心身医学 35巻3号』p263、1995年。
- 鈴木道子「11.被虐待女性の心身症状について(一般演題)(第42回 日本心身医学会東北地方会 演題抄録)」『心身医学 35巻5号』p391、1999年。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 河野貴代美は、伝統的な「セラピィ」と誕生の経緯や背景が違うこと、医療モデルの枠組みを踏襲していないことの二点をもって「フェミストセラピィ」でなく「フェミニスト・カウンセリング」の呼称を採用している[2]。なお、「セラピィ」と「カウンセリング」の違いについて河野は、前者は治療=治癒を目指したものであり、後者は問題=生き方を取り扱うものとしている[2]。
- ^ 河野貴代美は「アメリカなどでは、60年頃から、個人・集団のレベルを問わず、伝統的枠組におさまらない、むしろ枠からはみ出ることを意図した種々の心理治療が試みられていた。それはさながら心理産業として、まさしく経済活動の一翼を担うがごとき活況を呈していたが、ジェンダーを視点にすえた心理治療の実践は、どのようなラディカルな試みにもなかったのである」と述べている[4]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『岩波 女性学事典』 p398-399
- ^ a b 河野,1991 p13
- ^ 河野,1991年 p14
- ^ a b 河野,1991年 p9
- ^ a b c 鈴木、田口 p263
- ^ 鈴木 p391
- ^ a b 大西 p21