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[[es: Atentados de Cataluña de 2017]]  11:07 13 jun 2024‎

2017年バルセロナテロ攻撃事件(2017ねんバルセロナテロこうげきじけん)は、2017年8月16日から21日の間に、スペインカタルーニャ州バルセロナと州内で起こった2件の車両突入襲撃とその収拾に至るまでの事件である。ISILDaesh)に関連した在スペインモロッコ系住人の組織によって引き起こされたイスラム過激派によるテロであった。

https://www.dsn.gob.es/en/actualidad/sala-prensa/nota-informativa-sobre-atentados-barcelona-cambrils

https://www.realinstitutoelcano.org/analisis/un-analisis-de-los-atentados-terroristas-en-barcelona-y-cambrils/

https://www.20minutos.es/noticia/3114686/0/estado-islamico-iraq-reivindica/

概要

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この事件の中心は、17日午後、主犯が、バルセロナ市の有名な観光スポットであるラス・ランブラス通りをバンを走行させ車両突入攻撃し、通行人をなぎ倒して現場の死者15人(重傷者1人が後に死亡し、この件では16人死亡)、負傷者130人の被害を起こしたテロ行動であった。https://www.dsn.gob.es/en/actualidad/sala-prensa/nota-informativa-sobre-atentados-barcelona-cambrils。この前後に、爆発物製造拠点であった住宅における誤爆発事件(16日)、犯人の逃走と殺人(17から21日)、カンブリルスでの車両突入攻撃事件(18日深夜)と犯人らの射殺、中心犯への包囲と射殺(21日)、関係者の逮捕と展開した。一連の出来事で、一般人の死者は18人、負傷者は150人以上となった。犯人グループとしては、死者は8人、負傷者1人であった。

16人https://www.elmundo.es/cataluna/2017/08/27/59a29be2268e3ef05d8b45d6.html

背景

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欧州におけるイスラムテロ

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2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件は、2003年イラク戦争の原因となった。その後、欧州では、その協力国への報復とみられる2004年マドリード列車爆破テロ事件、2005年7月7日ロンドン同時爆破事件が発生した。2007年頃から、情報機関からの警告として、スペインの第二の都市であるバルセロナも、移民が累積する中、地中海沿岸の組織から狙われる場所として指摘されていた。https://www.elpuntavui.cat/politica/article/17-politica/343932-els-eua-consideren-que-catalunya-acull-el-principal-focus-de-lislamisme-radical-a-la-mediterrania.html

2011年にシリア内戦が始まると、2014年にISILが設立され、欧州諸国への新たなテロが実行された。2016年ニーストラックテロ事件ブリュセル連続テロ事件2017年ロンドンテロ事件(ウェストミンスター橋近辺)、2017年6月ロンドンテロ事件と発生した。それには、あまり準備を必要としないナイフによる殺傷、簡易な爆発物、車両による突入攻撃を用いる傾向があった。

カタルーニャ州における背景

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国内には、1260ヵ所のイスラム礼拝施設があるが、その中のセラフィスト系は100ヵ所ほどあり、その80はカタルーニャにある。さらに、個人の家や倉庫等での集会などは、警察の観察が難しい場である。

https://www.larazon.es/espana/cataluna-nido-del-salafismo-radical-FM15809792/

カタルーニャ州では、2012年から2016年までの期間、イスラム過激派関連で、31件の摘発が行われ、62人が逮捕されていた。これは、スペイン国内の186人の逮捕者の約3分の1にあたる。その中で、バルセロナとその周辺では、22件の摘発で50人逮捕となっていた。ISIL 設立の以前でも、同州には、イスラム過激派が定着しているところでもあった。

https://web.archive.org/web/20170818010751/http://delcamp.cat/noticia/16127/catalunya-es-un-dels-bressols-mes-importants-del-gihadisme-de-lestat-espanyol

https://www.larazon.es/espana/cataluna-nido-del-salafismo-radical-FM15809792/

カタルーニャ州では、2012年よりスペインからの分離独立の気運が高まり、州政府は、2017年秋に州民への諮問投票を実施しようと努力を傾注していた。2014年、フェルナンデス内務大臣は、「カタルーニャが独立すれば、聖戦主義者や組織犯罪の温床となる。」と警告していた。https://elpais.com/politica/2014/06/24/actualidad/1403626734_915630.html

米国情報局CIAは、カタルーニャ州が、テロの優先標的になっているという見解に基づき、2015年には、在バルセロナ米国領事館と共同で、同州バルセロナとタラゴナを対象として、要員の演習を行った。また、ISILも、2016年夏、サグラダ・ファミリア教会を標的にする宣伝ビデオを作成し、脅しを行った。

https://catalunyadiari.com/actualitat/estat-islamic-amenaca-ara-un-important-monument-catala

事件の展開

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アルカナル住宅の爆発事件(8月16日)

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17日の暴走事件の前日16日の水曜日の23時17分、同州南部のタラゴナアルカナー(バルセロナからは、海岸沿いに南西に107キロメートル)にある、一軒家の住宅で爆発事故が起こった。爆発の威力が強かった為に、住宅はほとんど崩壊し、近隣の住宅にも被害を与えた。これは、当初、家庭用ガスボンベのガス充満による爆発とみなされ、1人死亡、1人重傷、近隣の住民7人が負傷と報道された。この数か月住んでいたらしい住人の2人はモロッコ人で、1人の負傷者は、病院に運ばれたが、証言を拒否していた。

また、翌日午後16時50分、始末の作業が行われ重機が作動している時、再び爆発が起こった。この時に、作業員と州警察6人、消防隊員2人が負傷した。ここでの死者は1人と考えられていたが、分断された身体の発見で、もう1人の死者がいるようであった。17日の23時、州警察長官は、アルカナーの爆発事件は、突入攻撃事件と関係がある、と発表された。

https://www.rtve.es/noticias/20170817/muerto-siete-heridos-explosion-gas-casa-alcanar-tarragona/1599040.shtml

https://elpais.com/politica/2017/08/18/actualidad/1503008721_306889.html

17日の車両突入攻撃の後の18日、この住宅から100個以上のガスボンベが発見されたことで、州警察によって、前日の事件との関連性があることが公表された。さらに、後の捜査では、科学物質(アセトン500リットル、過酸化水素水ソーダなど)、準備された自爆用ベルト、かな釘等が発見された。後に、この死者は、同州のジローナ県リポイ(Ripoll)のイスラム指導者で組織の中心であった、アブデル・エス・サティイ(Abdelbaki Es Satty)とユスフ・アージャ( Youseff Aalla), 負傷者は、モハメド・ホウリ( Mohamed Houli )であると断定されていった。 triperóxido de triacetona (TATP)

https://www.elperiodico.com/es/sociedad/20170906/vecinos-casa-alcanar-estallo-volver-casa-6268127


爆発は、倉庫と部屋の2か所で同時に起こった。また、翌日の午後は、浴室付近で爆発が起こったことで、所持品等が表面に押し出された。最終的に捜査作業が終了したのは、9月3日であった。

検証では、麻薬の精製の為の作業所という線も考えられた。

化学物質、家の外には、プジョー車が止められてあり、その持ち主は、ヨーネスの長兄のものであった。州警察は、事件の背景が判っていない時点で、犯行グループとは関係のなかった兄に電話をし、「爆発現場に止めてあった車の持ち主」への連絡をした。この誤爆発事件は、車を借りて現場に置いていた弟のヨーネスの知るところになったらしい。

車両突入攻撃

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この爆発事件は、仲間の誰かが知ることになったようで、バンを運転していた主犯 Younes Abouyaaqoubは、15時頃までに、その事情を聞いたとみられる。elcanoその頃、彼は、バルセロナから1時間の距離にいたが、進路を変えて市内に入り、カタルーニャ広場に到着した。一方、他の仲間も、統率の取れない方向に行動し始めていた。

車の中からは、モロッコ系の人物のスペインのパスポートが発見された。このバンは、バルセロナ県のサンタペルペトゥア・デ・モグダ(Santa Perpetua de Moguda、バルセロナからは、東に18キロメートル)のレンタカー会社、Telefurgoから借りられた、Fiat社製ものであることが判った

https://www.eldiario.es/politica/furgoneta-rambla-santa-perpetua-mogoda_1_3233221.html

2台目のバン

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一方、レンタカー会社の情報では、2台のバンが同時に借りられたということで、捜査側では、もう1台を探していた。これは、突入事件後1時間半後に、内陸部のVich市(バルセロナ県、バルセロナからは69キロメートル北)にて、発見された。これは、ファーストフード店の駐車場にあり、ある市民が警察に通報したことで発見された。

https://www.lavanguardia.com/sucesos/20170817/43616585288/atentado-barcelona-policia-furgoneta.html

犯人の逃走

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車を運転していた男は、犯行後、車を降りて、サングラスをかけ、ランブラス通りの周辺の脇道、ボケリア市場の中を通りぬけ、現場から逃れる人々に紛れて、西方向に逃走した。後に、この様子は、監視カメラで捉えられていたことが判った。男は、長身の若者であった。

https://elpais.com/ccaa/2017/08/21/catalunya/1503325626_792809.html

車の強奪と殺人

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ラバル区に入ると、やや早歩きで大学地区に入った。突入現場からは、6キロメートルほどある地点に来て、18時半前後に、たまたま路上にて、車で居合わせた男性を、ナイフで刺して後部座席に入れ、車を奪って逃走を継続した。この男性は、胸部を深く刺されており、出血多量で死亡し、14人目の死者となった。捜査側は、この辺の足取りや経緯を解明するのに、3日を要した。https://www.elmundo.es/espana/2017/08/20/5998a16722601da8148b4644.html

関門の突破

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突入攻撃の後、州警察は、市内全般に囲い込み警戒網を敷いていた。攻撃から2時間後の19:30頃、バルセロナ市内を斜めに通るディアゴナル通りの西の終わり地点に敷かれていた、州警察の警戒関門に、フォード社製フォーカス車が近づき、警官らは静止させようとしたところ、逆に向かって突入してきた。これにより、警官2人が足を負傷した。警官らは、車に向けて発砲したが、この車は走行を続け、3キロメートルの先のサンジュスト・デスヴェルン地区(バルセロナ県、バルセロナ市から西の約10キロメートル)にある、ワルデンビルの近辺に停車した。

https://www.ccma.cat/324/un-vehicle-atropella-una-agent-dels-mossos-a-la-diagonal-despres-de-saltar-se-un-control/noticia/2804619/

https://www.elperiodico.com/es/sociedad/20170818/fallecido-sant-just-desvern-atentado-rambla-barcelona-6231307

この車は、後に発見され、爆発物処理班が検査をして安全性を確認するまで、2時間が経過した。事件後の混乱で、捜査側には、「死者は、テロ犯人なのか」、「車に爆発物が仕掛けてないか」、「死者は、警察の発砲で死んだのか」等の懐疑があった。これから、主犯の行方は、月曜になるまで手がかりが無かった。

カンブリルスでの車両突入攻撃

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syuyou jikenn kara9jikanngono 17日15ji 25には、syuyou douro kousouku 7gousenn annburirusuno chikaku

17日15時25分頃、カンブリルスに近い地点で、国道7号線上で、商業用ミニバンが事故にあって止まり、運転していた者達が、逃亡した件があった。これは、同じレンタカー会社から借りられていた3台の内の車の1つであった。運転していた者は、とほで近くのガソリンスタンドに着き、他の者が迎えに来たとみられる。

17から18日の深夜の01時15分に、同州カンブリルスの海岸遊歩道に入るロータリーにて、州警察によって置かれていた関門に猛スピードで、市街側から向かってきた車(Audi車) があり、おかれていたパトカーに突入した。それで、警察官1人と近辺にいた一般人の5人が、車両に轢かれた

https://www.ara.cat/societat/terroristes-cambrils-buscaven-morir_1_1312140.html

車は衝撃により近くで止まったので、乗っていた5人が出てきた。4人は車を降りたところで、州警察は長銃を使い、1人で4人を射殺した。その時に徒歩で逃げた1人は、100メートル東に進んで通りかかりの人に切りつけたことで、1人が顔に負傷した。その犯人1人は、別の平服警官によって射殺された。数時間後に、顔を切られた市民の女性1人が、数時間後に死亡した。ここでは、8人負傷、1人死亡、犯人5人死亡となった。犯人らは、この4時間前に、山刀など2本を購入したという。repi

https://www.ccma.cat/324/els-atacants-de-cambrils-volien-entrar-al-port-i-portaven-explosius-falsos/noticia/2804755/

https://www.eldiario.es/catalunya/abatidos-terroristas-intentaban-atentado-cambrils_1_3236812.html

射殺された者達は、胸に自爆ベルト様なものを付けていたが、これは、偽物であった。彼らは、17歳から24歳のモロッコ系の若者で、車の中からは、斧とナイフが1本づつ発見された。

https://www.elperiodico.com/es/sociedad/20170820/12-supuestos-terroristas-barcelona-cambrils-6234277

州警察では、彼らは警官を意図的に狙っており、市民も巻き沿えにして最大の被害を与えて自死する意図で行動していたと推察した。

主犯の囲い込みと射殺

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当初、主犯の男は、カンブリルスで射殺された男の1人ともみられていたが、後に、ヨウネス・アボウヤーコブ(Younes Abouyaaqoub)22歳と判明した。22日(月)捜査側では、防犯カメラからの犯人の映像を、国内や欧州のメディアに公開し、一般に協力を求めた。その後の足取りは次のようであった。

  • 8月20日22時30分、セルベジョ(車を乗り捨てたサンジュスト・デスヴェルンから13キロメートル)のガソリンスタンドのゴミコンテナの蓋を開けて、食べ物を物色している様子が防犯カメラに捉えられていた。
  • 20キロメートル離れた別の地点のガソリンスタンドでも防犯カメラに写っていた。
  • 21日の10時40分頃、オレルドラの工業地帯にて、女性の車を盗もうとしたが、女性は逃げた。
  • サン・パウ・デオルドルの農家の屋敷に入って、物色をしていたことが判った。

21日月曜午後5時、主犯人は、バルセロナ市からは日に44キロメートルにある、スビラッツ(バルセロナ県、Subirats)のガソリンスタンドの近くのブドウ畑の中にいたところを、警察に囲まれた。これは、近隣の女性の通報によるものであって、容疑者は、驚いた様子であった。彼は、腰部に自爆装置様なものを付けており、シャツをめくりあげる動作をし「アラーは偉大なり」と叫んだことで、自爆が予想された。その行動により、規定に従った州警察官による発砲があり、射殺された。自爆装置は偽のものであり、ナイフ数本と手に付ける武器を持っていた。後に、突入襲撃のバンで採取された指紋と彼のものが一致した。

https://www.rtve.es/noticias/20170821/abatido-terrorista-younes-abouyaaqoub-subirats/1601140.shtml

ripi

https://elpais.com/ccaa/2017/08/21/catalunya/1503325626_792809.html

事件の全容

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誤爆発による計画の変更

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彼らは、アセトン等の化学物質を、アルカナーの周辺の地域にて、8月1,2日に入手していた。また、ガスボンベは、怪しまれないように徐々に購入していった。また、3人の男が、16日に7日間の予定で借りた。3台18日の午後の時点では、アルカナーの誤爆発で2人死亡、5人が射殺され、1人が逃亡、4人が逮捕という状況であった。https://www.elperiodico.com/es/sociedad/20170818/yihadistas-barcelona-cambrils-planificaban-atentar-furgonetas-bomba-atentado-rambla-barcelona-6231359

さらに、アルカナーの爆発現場でガスボンベが多量に発見されると、捜査側では、犯人グループが、その家で爆発物を準備し、2から3台のバンを使って車両爆発物を、数日中に市内に仕掛ける準備をしていたのではないか、という見解に達した。彼らは、数か月かかって準備していたが、誤爆発が起こったことで、急に計画を変更せざるを得ず、車両による突入となった、と推察された。

https://www.elperiodico.com/es/sociedad/20170818/yihadistas-barcelona-cambrils-planificaban-atentar-furgonetas-bomba-atentado-rambla-barcelona-6231359

19日の午前中には、ジローナ県リポイにある、イスラム指導者の住宅が捜査された。アブデルバキ・エサティ(Abdelbaki Essati)は、サラフィスタで、若者達を急激に過激思想に染めることができた。エサティは、春に宗教指導者として定着したが、6月には、数か月の休暇を取りモロッコに帰る、ということで、休職扱いになったという。https://www.eldiario.es/politica/investigadores-situan-radical-desaparecido-terrorista_1_3231737.html 21日には、16日の誤爆発による死亡が確認された。

爆発物

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彼らは、イスラム系過激派が使う「サタンの母」とも呼ばれるTATPを製造しており、ガスボンベも併用して大規模なテロを起こす計画であった。アセトンの量から200から250キログラムの爆発物製造が可能であって、誤爆発の時点では、100キログラムの爆発物が完成していたとみられている。しかし、この爆発物は、非常に不安定で取扱いに慎重さが必要で危険な物質であることで、16日の誤爆発につながった。https://www.elperiodico.com/es/politica/20170913/100-kilos-explosivo-tatp-listos-atentar-barcelona-6283747 

資金

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彼らは、手持ちの給料から資金を提供したり、盗んだ金製品を現金に換えた時もあった。アルカナーの住宅の電力は、主要配電版から電線を引いて無料で使用していた。

バルセロナとパリでの同時爆発計画

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さらに、アルカナーの爆発現場ので発見されたビデオカメラの分析がなされると、グループの2人は、17日の前に、アウディ車(カンブリルスで使用された車)で、11、12日にパリに旅行していたのが判明した。カメラもパリで購入したものであった。この旅行で過激派グループの間で接触があった可能性もあったが、フランス当局の防犯カメラの分析では、彼らが誰かと会ったという痕跡はなかった。映像は、人並みの多い場所が、多数撮影されてろ、どこに車爆発物を置いたら効果があるかを検証していた、と判明した。

また、彼らの携帯電話のグーグルマップでは、サクラダ・ファミリア教会とフットボール・クラブ・バルサのベースであるカンポ・ノウ・サッカー場がマークされていた。https://www.realinstitutoelcano.org/analisis/un-analisis-de-los-atentados-terroristas-en-barcelona-y-cambrils/

8月20日には、リーグの第1戦がカンポ・ノウで開催されることになっていた。

https://okdiario.com/investigacion/policia-descubrio-movil-yihadistas-del-17-querian-poner-furgoneta-bomba-camp-nou-1713731

誤爆発で負傷した、モハメド・チェメラルの自白によると、彼らが、バルセロナでは、標的は「モニュメントと教会、サグラダ・ファミリア教会のような」と証言している。その結果、借りられた3台のバンの内、2台はバルセロナ、サグラダ・ファミリア教会で、1台はパリでパリのエッフェル塔にて、仕掛けられる計画があった。この計画では、爆発物を仕掛けるもので、自爆攻撃は考えていなかった。また、250キログラム近くの爆発物を製造し、金属管に入れて、枕カバーに分け入れて使用し、身に着けるか、群衆に投げつける爆発物として使うつもりであったという。

https://amp.elperiodico.com/es/politica/20180216/celula-ripoll-queria-atentar-simultaneamente-sagrada-familia-torre-eiffel-6626738

彼らは、ネット上に掲載されていたマニュアルで、爆発物を製造し始めた。

他に、彼らの注目は、多数の人が集まるディスコ、コンサートホールなどもあった。

死傷者

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ランブラス通りでの当日の死者は13人で、その10日後には、重傷であったドイツ人の女性が死亡したので、ランブラスの死者は14人となった。また、負傷者は、34か国の国籍の133人(当日で、16人は重篤、46人は軽傷)とされている。ランブラスの件では、病院に行くほどでもない怪我や打撲等、300人ほどが何らかの形で巻き込まれたと考えられる。さらに、主要実行犯の逃走時には死者1人、2人負傷。カンブリルスでは、1人死亡、6人負傷。アルカナルーの件では、2回の爆発で負傷者16人。犯人側では、総じて死者8人、負傷者1人である。

また、死者の国籍は、スペイン6、イタリア3、ポルトガル2、他、ベルギー、カナダ、米、独、英豪が1人づつとなっている。

報道では、17日のランブラスのみの死者、負傷者を報道したもので、その他の事件を計上してないものがあり、多少の数字の混乱がある。

https://elpais.com/especiales/2020/17-a-atentados-en-cataluna-la-casa-de-alcanar/


主要な犯人

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宗教指導者

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犯人グループは、同州内陸部のリポイ市(人口約11000人)在住の若者達で構成されていた。中心者は、イスラム宗教指導者のエス・サティが彼らに影響を与え、短期間の間に過激思想に引き入れていったとみられている。

  • アブデルバキ・エス・サティ(1973年生まれ)は、事件の主導者であって、アルカナーで死亡した。モロッコ生まれで、2010年にセウタ市(アフリカ北岸スペイン領)で麻薬を120キログラム運んでいたことで逮捕された。妻が、カタルーニャ州に在住ということで、本土の刑務所に4年間収監された。この頃、マドリード列車テロ事件の関連者と時を同じくし、影響を受けたとも言われる。出獄時には、検事側からは、本国送還を申請されたが、担当判事の判断で、送還されなかった。2012年に同州に移動し、宗教指導者の道に至り、2015にリポイの指導者となった。2016年初頭、一時ベルギーに職探しに行き、イスラム国ISILとの接触があり過激化していったらしい。また、過去には、シリアの紛争地域へ戦闘員を送る組織の捜査上で、名前が挙がっていたことがあった。
  • https://elpais.com/politica/2017/08/20/actualidad/1503251899_841075.html
  • https://www.elperiodico.com/es/barcelona/20170819/iman-ripoll-lider-celula-terrorista-atentados-barcelona-cambrils-6233469

若者達

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若者の中では、これも住宅で爆死したユスフ・アジャアーが、最もエス・サティに従い、過激思想に傾倒していたとされている。1人を除いて、モロッコ生まれで、後に家族と共に移住し、同州で育った者達である。関連者は10人とされており、その中には、4組の兄弟が関連している。兄の影響で弟を仲間に引き入れたことが考えられる。彼らは、同じ学校や環境で育っていた。若者達は、社会に適応できているかの観察のソシアルサービスを受けており、良好又は、完全に社会に適応していると評価されていた。嘘をついて、親に気づかれることなく行動していた

  • アボウヤーコブ兄弟:兄のヨーネス(22)は主要実行犯であって、弟フサイン(19)は、カンブリルスで射殺された1人。
  • オーカビル兄弟:兄ドリス(28歳、18日逮捕)は、より世俗的な生活をしていた。警察への証言では、「弟のモッサ(18)が自分の運転免許証を持ち出して、レンタカーでバンを借りた」、と証言したが、後に、「引っ越しの為に、バンを借りるということで借りる当人になった。」と証言を変更した。協力はしたが、そこまで熱心ではなく、最後には、身を引いたらしい。
  • https://www.ara.cat/premium/driss-oukabir-ha-sigut-limam_1_1273892.html。モッサ(17)は、カンブリルスで射殺された。
  • アージャ兄弟:兄ユスフ(22)は、後に、DNA鑑定で、アルカナーで死亡した1人と断定された。弟サイド(18)は、カンブリルスで射殺された。 https://www.elperiodico.com/es/barcelona/20170824/mossos-identifican-youssef-aallaa-escombros-alcanar-6241062
  • ヒチャミイ兄弟:兄モハメッド(24)、弟オマル(21)は、カンブリルスで車を運転していて、射殺された。モハメッドもヨーネスと同じ会社で働いており、十分な給料を得ていた。
  • https://www.europapress.es/nacional/noticia-abatidos-cambrils-hermanos-omar-mohamed-hychami-houssaine-abouyaaqoub-said-aallaa-oukabir-20170818212647.html
  • モハメッド・チェムラル(20):16日の誤爆発で負傷。化学の知識があり、爆発物製造を担当していた。16日には、屋外で夕食の片づけをしていた時に爆発が起こり、壁が倒れたことで負傷し、後に判決を受けた。小犯罪をしていた。
  • サイド・ベン・ラッザ(24):彼は、グループに免許や車を貸しており、グループは、化学薬品の購入に利用していた。しかし、行動に協力していたという確かな証拠はなかった。

ISILとの関連

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爆発のあった住宅から、後に発見されたエス・サティの手帳には、「イスラム国のアル・アンダルスの地の兵隊」とアラビア語で書かれていた。17日のカンブリルスの事件の前に、テレグラムには、ISILの宣伝機関「Amaq News Agency」は、「バルセロナでのテロを実行したのは、イスラム国の兵隊であり、それは、(対ISILの)連合国に攻撃するようにとの呼びかけに応じた行動である。」との掲載があった。

また、23日には、ISIL系のサイトで、スペイン語を話す人物により、バルセロナ襲撃を祝うビデオが掲載された。その後も、度々、この襲撃をISILの成果とする宣伝が行われた。しかし、それらの内容には、実行犯の名前を公表するなどの具体性や整合性が無く、ISILからの直接の指示や、コンタクトがあった犯行かどうかは明らかでない。

裁判

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犯人グループの中で、生存した者は、モハメッド・チェムラル、ドリス・オーカビル、サイド・ベン・ラッザの3人で、高等裁判所では、2021年5月、それぞれ、懲役53年、48年、8年の判決を下した。 しかし、テロ犠牲者の会では、これを不服としていた。https://www.20minutos.es/noticia/5190552/0/victimas-los-atentados-17-piden-ts-anular-sentencia-nos-hemos-sentido-abandonados-por-justicia/

しかし、最高裁では、2023年11月27日、実行犯では無かったとの理由で、それぞれ減刑となり、43年、36年、18か月となった。サイド・ベン・ラッザは、2021年に条件付き釈放となっていた。公判では、アルカナーの現場で、エス・サッティ の携帯電話、銀行カード等が発見されていなかったこと、家族から遺体の引き取り要請もなかったことで、生存説もあった。また、弁護側では、スペイン政府の情報局(CNI)が、カタルーニャ分離独立を阻止する為に、独立主義の州政府の評判を悪くする為に起こした、という主張もあった。それゆえ、いくつかの野党では、事件の調査委員会を国会で立ち上げるよう、働きかける動きもあった。しかし、裁判では、

https://www.20minutos.es/noticia/5193973/0/supremo-confirma-las-penas-para-dos-terroristas-los-atentados-17-reduce-condena-para-tercero/ https://www.diaridetarragona.com/costa/en-libertad-provisional-uno-de-los-condenados-por-los-atentados-de-bcn-y-cambrils-20210921-0039-XIDT202109210039

事件後の反応

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8月17日、スペインのフェリペ6世国王は、ネット上に事件批難のメッセージを掲載し「全スペインは、バルセロナにある。ラス・ランブラスは皆のものに回復するだろう。」と表現した。また、マリアノ・ラホイ首相は、バルセロナを訪問し「痛恨の中で、しかし、何にもましてこの理由の無い、残虐な行為をやめさせようという意思で1つになっている。」と団結を強調した。

https://www.rtve.es/noticias/20170817/rajoy-anuncia-esta-contacto-con-todas-administraciones-tras-atropello-barcelona/1599240.shtml

また、各国首脳の声明が寄せられた。また、20日には、サグラダ・ファミリア教会にて、政界代表等を中心にミサが行われた。

一方、事件後は、国内のグラナダ市、セビリヤ市、ログローニョ市等で、イスラム教施設に爆竹が投げられたり、嫌がらせのペンキ書きがあった。https://elpais.com/politica/2017/08/20/actualidad/1503240672_674850.html

8月26日には、バルセロナ市において、「恐れない」という標語で、デモが起こなわれ、約50万人が参加した。この時に、国王、首相が参加したことで、分離独立主義者による、彼らへの拒否を表す場ともなった。

https://elpais.com/ccaa/2017/08/26/catalunya/1503733027_986536.html#?rel=mas

省察と対応

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政治事情の問題

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国内の安全機関には、国の内務省に所属する国家警察と警備隊がある。また、カタルーニャ州には、それに属する州警察があり、バルセロナ市には、市警察がある。それぞれ捜査対象が異なる点もあれば、重複する点もある。カタルーニャ州では、2012年からの分離独立機運が高まっており、州政府では、中央政府の安全機関を排除していきたい意向があった。また、州警察の中には、独立主義支持の傾向が存在し、中央政府の機関を敵対視するか、それに従わない状況もあった。対テロ機関は、国家警察、警備隊、州警察にあり、それを中央機関(対テロ・組織犯罪情報センター、CITCO)がまとめる立場にあったが、このような状況で、意思疎通、協力体制がうまくいかなかった点があった。事件後、州政府から中央政府への批判が起こり、トラペロ州警察長官は、ユーロポルやCIA等の「国際的な対テロ情報は、マドリード(中央政府)からは流れて来ず、州警察に届かない。」と述べていた。しかし、これは、そうではなかったことが後に明らかになった。

https://www.elperiodico.com/es/sociedad/20170828/trapero-critica-informacion-policial-internacional-llega-mossos-6250094

市行政の問題

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アダ・コラウ・バルセロナ市長は、ニースでの事件(2016年ニーストラックテロ事件)の後、市の要所に、車両侵入阻止のブロックを敷く提案があったものの、「自由な都市」を標榜して、これを行わなかった。また、ベルリンのクリスマスでの事件2016もあり、内務省、国家警察では、繰り返し、州や市に何らかの安全策を要請した。https://www.lavanguardia.com/politica/20170819/43665066008/documento-policia-recomendo-instalar-bolardos-accesos-lugares-concurridos.html

https://www.elmundo.es/cataluna/2017/08/25/599f2c56e5fdeab0598b4641.html

https://www.elmundo.es/espana/2016/12/21/585a45ed468aeb035b8b4658.html

事件当日でも市長は、「いたるところにブロックは置けない。」と弁明していた。市の安全対策は、この意見には賛成ではなく、何らかのブロックを設置する方針を公表した。

https://www.elmundo.es/cataluna/2017/08/23/599d64eb46163fc1168b4599.html

この事件後、国内の主要市でも、遊歩道では、花壇やブロック、地中に埋め込み式の可動柱などが設置されていった。

安全機構の問題

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事前情報の無視

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米国からの事前情報
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ベルギーからの情報
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  • エス・サティが滞在していたベルギーからの情報で、彼の同居者は、マドリード列車テロに関係していた人物達であり、過激思想に傾倒した可能性があるという情報が、2016年に州警察に通知されていたが、これには、対処がなされず、国の機関に伝達されることもなかった。

https://elpais.com/politica/2017/08/23/actualidad/1503502497_397596.html

化学薬品に対する規制
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2013年から欧州連合では、爆発物製造可能な物質に関しての規制が各国に対して推進されたが、スペインでは、適正に施行されておらず、犯行グループがアセトンを周辺地域で購入するのに、制限が無かった。