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アルス・ノトリア(ラテン語: Ars Notoria[註 1])は中世ヨーロッパの魔術の一種である[2]。刻印術[3]、印形術[4]とも。
内容
[編集]アルス・ノトリアは12世紀頃の中世キリスト教文化の産物である[2]。アルス・ノトリアを記したテクストは多くのラテン語写本のなかに遺されている。残存する写本群は発展段階に従って二つのグループに分類し得る。そのうち初期のものの成立年代は13世紀か12世紀後半とみられる[5]。この術は神がソロモンに授けた聖なる術と称され、知恵や記憶力を高めたり、自由学芸や哲学の知識の習得に資するものとされた。アルス・ノトリアのテキストに記されているのは数箇月を要する禁欲的修法であり、断食、天使に向けた祈り、ノタ(nota, 複数形: notae)と呼ばれる複雑な図符に対する静観といった一連の儀式的作業を通して、天使からの知識の伝達が起こることが期待された。アルス・ノトリアの図符は複数の幾何学的図形や記号 (figura)、聖名、祈りの文句 (oratio) などで構成されており、それぞれの図符は文法、修辞学、論証学、医学、音楽、占星術/天文学、哲学、神学といった特定の学芸分野に結びつけられている。
13世紀の神学者トマス・アクィナスは『神学大全』第II-II部の第96問題においてこれを論じ、アルス・ノトリアの儀式 (observatio) は迷信であって不法行為であると断じた[6]。
アルス・ノトリアの書物の読者には修道士や学生がいたと推測され、特にアルス・ノトリアの祈りの敬虔な宗教的性格から、主に修道院の修道士たちの間で伝えられていたものと考えられる[7]。また、後期中世の大学や王侯の書庫にもアルス・ノトリアのテクストが存在していたことから、中世におけるアルス・ノトリアの流布は宗教界のみに限定される周縁的な現象ではなかったとベネデク・ラーング (Benedek Láng) は結論づけている[7]。13世紀か14世紀に成立したと推定される天使魔術書『ホノリウスの誓いの書』 (Liber iuratus Honorii) に収録された祈りの文句はアルス・ノトリアと密接に関連している。
諸本
[編集]アルス・ノトリアに分類されるテキストを含んだ写本はヨーロッパと北米の図書館に散在しており、現存写本数は50を下らない[8]。
『フランス大年代記』によると、14世紀初頭にモリニーのヨアンネスなる修道士の作った『幻視の書』 (Liber visionum) というアルス・ノトリア系の書物がパリで焼き捨てられた[9]。
アルス・ノトリアの刊本は17世紀に初めて出版された。リヨンで1620年頃に出版されたアグリッパの著作集 Opera に収録されたラテン語版がそれである。その後、イングランドで占星術師/医師のロバート・ターナーによってその英訳版 The Notory Art of Solomon (1657) が出版された。これらの刊本にはアルス・ノトリアを特徴づける各種図符は記載されていない。17世紀以降の英語写本が残存する魔術書『レメゲトン』は、4巻で構成されているものもあるが、第5巻として「アルス・ノトリア」が収められているものもある。その内容は1657年に刊行された上述の The Notory Art of Solomon の抄録である。
註
[編集]出典
[編集]参照文献
[編集]- Davies, Owen (2003). Popular Magic: Cunning-folk in English History. Hambledon Continuum
- Davies, Owen (2009). Grimoires: A History of Magic Books. Oxford University Press
- Fanger, Claire (2012). “Introduction: Theurgy, Magic, and Mysticism”. In Fanger, Claire. Invoking Angels: Theurgic Ideas and Practices, Thirteenth to Sixteenth Centuries. Magic in History. The Pennsylvania State University Press
- Klassen, Frank (1998). “English Manuscripts of Magic, 1300-1500: A Preliminary Survey”. In Fanger, Claire. Conjuring Spirits: Text and Traditions of Medieval Ritual Magic. Magic in History. The Pennsylvania State University Press
- Láng, Benedek (2008). Unlocked Books: Manuscripts of Learned magic in the medieval libraries of central europe. Magic in History. The Pennsylvania State University Press
- Page, Sophie (2004). Magic in Medieval Manuscripts. University of Toronto Press
- Peterson, Joseph H. (2001). The Lesser Key of Solomon. Weiser Books
- Véronèse, Julien (2012). “Magic, Theurgy, and Spirituality in the Medieval Ritual of the Ars Notoria”. In Fanger, Claire. Invoking Angels: Theurgic Ideas and Practices, Thirteenth to Sixteenth Centuries. Magic in History. The Pennsylvania State University Press
- トマス・アクィナス『神學大全 第19冊: 第II-2部 第80問題-第100問題』稲垣良典訳、創文社、1991年。
- D. P. ウォーカー『ルネサンスの魔術思想』田口清一訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2004年。(旧版:平凡社 1993年)
- キース・トマス『宗教と魔術の衰退』荒木正純訳、法政大学出版局〈叢書ウニベルシタス〉、1993年。
- 野口洋二『中世ヨーロッパの異教・迷信・魔術』早稲田大学出版部、2016年。
- 横山茂雄『神の聖なる天使たち - ジョン・ディーの精霊召喚 1581〜1607』研究社、2016年。