利用者:Devicehigh/sandbox
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本店所在地 |
![]() アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジマサチューセッツアベニュー1923 北緯42度23分21.8秒 西経71度07分10.9秒 / 北緯42.389389度 西経71.119694度 |
---|---|
設立 | 2012年 |
事業内容 | 自ら夢を語れる仲間創出業 |
代表者 | 山崎達哉 |
外部リンク | https://www.yumewokatare.com/ |
![Yume Wo Katare・ラーメン](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a3/Yume_Wo_Katare%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3.jpg/220px-Yume_Wo_Katare%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3.jpg)
概要[編集]
Yume Wo Katare(夢を語れ)(ゆめをかたれ)は、アメリカのボストン、大分県別府市などで二郎系ラーメンを提供しているラーメン店である。2012年10月に西岡津世志(現在は会長)が創業。2030年に全世界197ヶ国に出店するとのビジョンがある[1]。
ラーメン荘夢を語れ[編集]
- 二郎赤羽店、ラーメン富士丸で修行[注 1]した西岡津世志が2006年10月に学生街である京都一乗寺にてラーメン荘夢を語れを創業[注 2][注 3]。ラーメン荘夢を語れ及びそのグループ(「地球規模で考えろ」「歴史を刻め」「おもしろい方へ」「これが好きだから」など。)は、関西のインスパイア系のパイオニアと言われている。
- 西岡津世志が富士丸で修行した経験を持っているだけに、別皿のアブラが出てくるなど、味わいも含めて富士丸に近いものがある。村上純は「ラーメン荘グループの活躍により、関西のインスパイアのスタンダードとして富士丸系の味が浸透している…。甘みの強いスープは、どこか関西で親しまれているうどんのスープと近いものがあり、親和性が高いような気がします。」と述べている[5]。
- ラーメン荘夢を語れは、一旦、4ヶ月の閉店後、「家族と共に[注 4]仲間と共に夢を語り合い応援し合う会社にする」との想いで2008年12月に株式会社夢を語れを設立する。その後、各店長が経営者となることとした(後継者に譲渡した[4])[1]。
Yume Wo Katare(夢を語れ)[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ac/Yume_Wo_Katare_Beppu.jpg/300px-Yume_Wo_Katare_Beppu.jpg)
概要[編集]
- その後、2012年10月に西岡津世志は活動の場を海外に広げ、アメリカのボストン(ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学を始め、大学が100校以上もあるというアメリカ最大級の学園都市[4])でYume Wo Katare(夢を語れ)を創業した[1]。二郎系では初めて海外進出である[注 5][5]。
- 開店して以来、凍りつくようなマイナス20度の真冬でも行列が途切れることのない二郎系のラーメン店である。その店内ではラーメンを食べるだけでなく、食べた後、希望者は夢を語ることができる。居合わせた客はその夢に対して質問したり、応援したりする事ができる[注 6]。その、他に類をみない空間を提供することも相まって、ボストン在住の日本人コミュニティだけでなく、ボストンの多くの若者の間で注目を浴び続けている[4]。
- 現在は、アメリカのボストンの他、大分県別府市[8][9]のほか、福岡[10]、札幌[11]、女川[12]、新潟、渋谷、長野、京都[13]、奈良、鳥取、広島、直島、沖縄[14]、埼玉、秋田、滋賀、神奈川、松山、北京などで展開・準備がなされている(2020.3.31現在)。俺の生きる道[15]など独立店も存する[注 7]。
- 別府店は、他店と目的が異なり夢を語る場所を提供するだけではなく、全国に同じ理念を持ってYume Wo Katare(夢を語れ)を出店できる自ら夢を語れる仲間を育てる学校でもある。それは言わば人材を育成するための合宿所型養成所と言える[4]。
- 毎年秋に駒沢公園で開催される日本最大級のラーメンイベントである東京ラーメンショー[17]や普段ひとりでラーメン店に入りにくい女性でも思う存分ラーメンを楽しめるようにとの思いから始まったラーメン女子博[18]などにも参加している。
ビジョン[1][編集]
- 経営理念 : 自ら夢を語れ
- ビジョン : 2030年 全世界197ヶ国 全ての国に自ら夢を語れる仲間を創出する
- 経営ビジョン : 2018年ビジョン 夢を100,000個集める(経営指標が「夢」の数[3]。)2020年47都道府県全てにYume Wo Katare(夢を語れ)を出店。2030年 全世界197ヶ国全てにYume Wo Katare(夢を語れ)を出店
- ボストン店での実績であるが、2016年の経営目標は語られた夢の数20,000個で実績が23,050個だった。2018年の目標は語られた夢40,000個で実績が38,338個、また夢を語った人の数の実績は21,374人であった[4]。
その他[編集]
- シンガーソングライターである高田リオンは「夢を語れ-Yumeo Wo Katare-」というラーメン荘夢を語れグループのテーマソング集(レコーディングはボストン)を発売した[19]。
- 高田リオンは、西岡津世志が店長を務めていたラーメン富士丸西新井店でアルバイトをしていたことがある[20]。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 修行期間は、二郎赤羽店で半年、富士丸で後進者を育てながら3年半[2]。
- ^ 西岡津世志は取材で上京後について「5年ほどお笑いを続けていたんですけど、ある日、当時組んでいた相方がラーメン二郎神谷店(赤羽店、現富士丸)に連れて行ってくれて、『すごくうまい』と感じました。それがきっかけで、その店に通い始めて、そこで働きたいと思うようになりました。その後、アルバイトとして働き始めたのですが、働き始めてから1週間で、『支店を立ち上げるから店長をやらないか』というオファーをもらったんです。ラーメンが大好きで、ラーメンを作るのが楽しいという感覚もあったので、芸人をやめてラーメン屋の店長になりました。それから3年ほどして独立し、京都に自分の店をオープンさせました。」と述べている[2]。
- ^ 西岡津世志は取材で店名の由来について「二郎系のラーメン屋で店主をしている頃、お笑いで一緒に活動してきた友人が店に来てくれたんですけど、その日の夜に首をつって亡くなったんですよ。大きなショックで、この経験から自殺について調べたんです。そこでわかったことは、人は未来に希望を持てなくなると、言いかえれば夢を持てなくなった瞬間に、糸が切れるということです。それからお客さんにも夢を持ち続けてほしいと思うようになって、地元の京都で『夢を語れ』というラーメン屋を開店させたんです。愛とか夢という言葉を日常で使うのは、ちょっとハードルが高いじゃないですか。でもあえて店の看板に掲げることによって、お客さんにとって身近な言葉になればと思いました。…ありがたいことに、自分の思った通りになっていきました。」と述べている[2]。
- ^ 家族との時間を大事にしていた。休業中に子供が生まれたこともあり当時から育児休暇の必要性を感じ、実践した[1]。
- ^ 西岡津世志は取材で海外進出(ボストンへ)について「京都でスタートした後、関西にも数店舗を構えることができました。…僕は嬉しいというより、…(何か)…モヤモヤがあったんです。どうせならもっと上を目指そうと考え、海外に行こうと思いました。それをいろんな人に言い続けたら、海外のどこでやるのと聞かれて、『アメリカでやります』と答えました。最初に思いついた国だからですけど(笑)。」と述べ「いくつか候補の土地をめぐって、世界一の学生街のボストンを訪れました。現地はとてもきれいで、若者が川沿いを走っている姿を見かけ、活気も感じられました。ネックな点は、冬は寒くて、マイナス20度にまでなること。そこで迷っていたんですけど、ある経営者の方に、夢は心で決めるものだと言われて、自分が心では『ボストンにしたい』と思っていることに気がつきました。ラーメンが売れるかどうかといった打算じゃなくて、自分の思いを軸にしようと思って、ボストンで開業することを決めました。」と述べている[2]。
- ^ 西岡津世志は取材で「夢を語りたい人には、ラーメンを食べ終わった後に『I have a dream』という札を持ってもらって、語ってもらうようにしたんです。そして語ってくれた人には、店のメンバー全員で応援するような雰囲気を作りました。こうした夢プロジェクトに、賛同してくれる人も多くなってきました。」と述べ [2]、「僕らはラーメン屋ですが提供したいのはラーメン単体なのではなく、夢を語れる場所。誰もが夢を語れる空間が、常に近くにあるということ。」「夢を語る場の提供が本業で、ラーメンはその演出に過ぎない。」「人間力で勝負している。」と述べている[3]。
- ^ Yume Wo Katareの沖縄店店長の平塚旦は「師匠からは『3年間限定でラーメン店を経営してはどうか』という提案を受けました。何故3年かというと、経営が上手く波に乗ってくるのが『スタートから3年目』と言われています。その上で3年というリミットを決めたら、より毎日を本気で過ごすことができる。夢を語れグループのお金に重きを置かない経営方針を経験してから、今後の自分のやりたいことに順応させていけばいいのでは、と言われたんです。それを聞いて、『なるほど、合理的だな』」という思い半分、『言いくるめられているな』という思い半分でしたが(笑)、経営者として必要なスキルも身に付けられるし、何よりすぐに取り組めることが目の前にあるのが嬉しくて挑戦することを決めました。」と述べている[16]。
出典[編集]
- ^ a b c d e f “Yume Wo Katare”. Yume Wo Katare. 2020年3月15日閲覧。
- ^ a b c d e “「世界中に夢の輪を広げたい」二郎系ラーメン「夢を語れ」創業者の思い”. DANRO(朝日新聞社). 2020年3月16日閲覧。
- ^ a b c “「仕事=稼ぐ」ではない、働き方とは。西岡津世志さん”. ソトコト. 2020年3月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g “夢を語り続ける時、その先にあるもの《週刊READING LIFE Vol.62 もしも「仕事」が消えたなら》”. WEB天狼院書店. 2020年3月15日閲覧。
- ^ a b 村上純 (2013.09.20 2013). 人生で大切なことはラーメン二郎に学んだ (光文社新書). 光文社
- ^ “ボストンでラーメン店を経営しながらBBT大学で学ぶ。世界中に夢を語れる場所を作りたい。”. BBT大学. 2020年3月22日閲覧。
- ^ “心意気の連鎖を!”. 甲田克志(ゆずりは通信). 2020年3月29日閲覧。
- ^ “夢を語れるラーメン屋Yume Wo Katare Beppu~夢を語れ別府~”. 別府攻略温泉旅ガイド温タイム. 2020年3月22日閲覧。
- ^ “【夢を語れ別府@大分県別府市】別府の真ん中で夢を語る!これぞ二郎の世界レベル”. メンムスビ. 2020/03.22閲覧。
- ^ “YumeWoKatareFUKUOKa/夢を語れ福岡@くに”. twitter. 2020年3月29日閲覧。
- ^ “Yume Wo Katare Sapporo/ 夢を語れ 札幌”. さっぽろらーめんどっとこむ(㈱えぞキッチン). 2020年3月23日閲覧。
- ^ “起業は「夢を語る」ことからはじまる。夢を語れるラーメン屋を全国に拡げ、起業独立する若者を増やしたい!株式会社夢を語れ”. NPO法人ETIC.(エティック). 2020年3月29日閲覧。
- ^ “2017/11/29オープンYume Wo Katare Kyoto”. 京都速報. 2020年3月24日閲覧。
- ^ “アメリカから逆輸入のラーメン屋が沖縄で成し遂げたい夢とは”. 琉球新報Style. 2020年3月23日閲覧。
- ^ “店主は野球選手と二刀流!修業先のDNAを受け継いだG系「俺の生きる道」”. KADOKAWAウォーカー+. 2020年3月23日閲覧。
- ^ “アメリカから逆輸入のラーメン屋が沖縄で成し遂げたい夢とは”. 琉球Style. 2020年3月29日閲覧。
- ^ “東京ラーメンショー2017・第2幕出店の全18杯を解説!”. All About. 2020年3月25日閲覧。
- ^ “横浜で「ラーメン女子博」!コラボデザートやイケメンのおもてなしも”. All About NEWS. 2020年3月25日閲覧。
- ^ “ALBUM”. 高田リオン. 2020年3月22日閲覧。
- ^ “23日10月2006夢を語れ”. TAKADA RION official web site. 2020年3月29日閲覧。