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利用者:Deniosan/sandbox

全市水道の完成

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大正3年,6代目市長川田久喜は市内視察で都市に不可欠の水道が完備していないことを知り,衛生問題の改善と防火を目的とした全市水道の必要性を認めて,調査費を計上させた。下市の人口が増え水質や防火用水に不安があり,上市の井戸水が枯渇することがあったからである。

昭和3年に8代目市長鈴木文次郎は全市水道事業の検討を命じ,昭和5年7月に工事の認可が下りる。昭和5年11月に工事が開始し,昭和7年7月15日に竣工式を執り行った。これによって,浄水場,高区配水塔,低区配水塔,全市の配水管の整備が完了した。低区配水塔の工事は昭和6年7月6日に開始され,完成は昭和7年7月10日に完成した。 [1]

低区配水塔を高区配水塔と区別してつくったのは,水戸の低地にあたる下市地区に対して別の配水塔が必要だったからである。設計と工事監督は後藤鶴松で,工事費51, 159円,施工は高砂鉄工株式会社だった。

  1. ^ 水戸市水道部水道史編さん委員会ほか『水戸の水道史 第1巻歴史編』水戸市水道部、1984年、4-5,426-432頁。