利用者:Dassaim/行楽地としての王子
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行楽地としての王子
[編集]江戸市民の行楽地として
[編集]江戸時代には、王子は行楽地として浅草や深川などと並んで栄えていた[1]。王子が江戸を代表する行楽地として定着するきっかけとなったのは、徳川吉宗が江戸の市中からそれほど距離の離れていない、王子の飛鳥山に桜を植樹し、上野寛永寺の代わりの桜の名所としたことであった[2][3]。飛鳥山の眺望も、江戸を代表するものとされ、広重の江戸名所百景でも描かれている[4]。また、王子には王子稲荷があり参詣者も多く、その参詣者を客とする茶屋や料理屋が石神井川(音無川)沿いに立ち並び、そのうちでも海老屋と扇屋は料理屋番付で上位に載るほど有名であった[5]。
外国人の行楽地として
[編集]王子は幕末にかけて、行楽地として来日した外国人から高い評価を得て、「日本のリッチモンド」と呼ばれることもあった[6]。
脚注
[編集]- ^ 原田 2009, p. 40.
- ^ “【飛鳥山】飛鳥山花見|東京都北区”. www.city.kita.tokyo.jp. 2022年5月6日閲覧。
- ^ 原田 2009, p. 41.
- ^ “【飛鳥山】名所江戸百景 飛鳥山北の眺望|東京都北区”. www.city.kita.tokyo.jp. 2022年5月6日閲覧。
- ^ “【王子】江戸高名会亭尽 王子|東京都北区”. www.city.kita.tokyo.jp. 2022年5月5日閲覧。
- ^ 北区飛鳥山博物館編 2022, p. 18.
参考文献
[編集]- 原田信男 (2009). “江戸の小さな旅:雑司ヶ谷鬼子母神を中心に”. 日文研叢書 43: 39-57. doi:10.15055/00005154. ISSN 13466585.
- 白幡洋三郎 (2009). “旅と「発見」:西洋見立ての理想郷、江戸郊外の王子”. 日文研叢書 43: 3-15. doi:10.15055/00005150. ISSN 13466585.
- 北区飛鳥山博物館, ed (2022). 幻想の江戸:異文化のまなざしに映った他者・表象・言説. 北区飛鳥山博物館