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利用者:Dalaibaatur/2010秋議論

問題となっている記事の文面

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定義部

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3 中国における用法(または中国政府が外国語で発信する諸言語による各種媒体における用法)では、チベット全体を一つの自治的行政単位とするようもとめるダライラマ14世チベット亡命政府を非難、批判する際に用いられる用語。
 

「大チベット」のさまざまな用法

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中国における用法
中国において、チベット全体を指して通常用いられる用語は、「西藏和其他藏族地区[11]」、「藏族地区[12][13]」、「藏区[14]」等である。また、ふるくは元代・明代から清朝の康煕年間までは、チベット全域をさす地域呼称のひとつとして「吐蕃」が使用され続けていた[15]。これに対し、チベットを「大西藏」「大西藏区」「大蔵区」等と呼ぶ呼称は、中国政府(あるいは中国のマスコミ等)が、チベット全体を単一の自治的行政単位として統合するよう求めるダライラマ14世やチベット亡命政府に対し、自治区の部分(西藏の部分)だけを「チベット」とする立場からこれを非難する論調で使われている。


中国における「大チベット」(大西蔵・大西蔵区・大蔵区.etc)の用例

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以下の用例では、いずれも「ダライラマ」「ダライ集団」「分裂主義者」.etcが提示する概念として、これらの語が用いられている。

用例1「大西蔵区」:中国マスコミが「チベット亡命政府首相の発言」として使用した例[1]

「(前略)我々は全ての西藏人の居住地が、統一されて一つの「大西藏区」が形成されるべきであり、同時にその他の民族はこの「大西藏区」から追い出すよう要求する。(後略)」注:「ダライ集団」が提示している「大西藏区」は、西藏自治区以外に青海省全域、甘粛省南部、四川省西部と雲南省西北部を含み、総面積は250万平方キロに達し、中国の国土面積の4分の1を超える。
“(前略)我们要求所有西藏人的生活区应该统一成一个‘大西藏区’(注:达赖集团提出的‘大西藏区’除了西藏自治区,还包括青海省全省、甘肃省南部、四川省西部和云南省西北部,总面积达250万平方公里,超过中国国土面积的1/4),并将其他民族迁出‘大西藏区’。(後略)。

用例2「大チベット族自治区」:北京週報誌記者と「国家民族事務委員会の数人の責任者」の対話([2]

 ダライの側近がかつて提唱した「大チベット族自治区構想」をどう見るか
 彼らの考えは全く非現実的で、できるものではない。というのも(後略)[3]

用例3「大蔵区」:北京中央民族学院シェーラプニマ副校長による発言[4]

中央民族大学副校長シェーラプニマは、2日、国務院新聞弁公室において記者からインタビューされた時、「ダライが提出している大蔵区は現在、西蔵に、内地の四川、雲南、甘粛、青海を含んでいる。これは、歴史上、中国の行政区画の中に存在したことがないものである」とのべた。(中略)ただし西蔵地方政府はいまだかつて西蔵を除くその他の「蔵区」を管轄したことがない。国外に亡命している「分裂分子」は「蔵区」をひとつの政治的実体として持ち出そうとしているのだ。これは意図的に西蔵蔵区のふたつの概念を混同しようとするものである。
“達賴所提出的‘大藏區’包括現在西藏在內的四川、雲南、甘肅、青海。”中央民族大學副校長喜饒尼瑪2日在國務院新聞辦接受記者集體採訪時說,“這在歷史上中國的行政區劃裏是沒有的。” (中略) 但西藏地方政府從未管轄過西藏以外的其他藏區。流亡國外的分裂主義分子把“藏區”作為一個政治實體來提,是在故意混淆“西藏”和“藏區”兩個概念。

用例4「大蔵区」「大チベット区」:全人代西蔵代表シンツァ・テンジンチューダク活仏による「大藏区」および「大チベット区」の使用例[5]

(前略)ダライラマの提出した「中間道路」や「大チベット区」をいかに評価するかという質問に対し、(後略)
(前略)「いわゆる『中間道路』の核心的内容の一つは『大チベット区』を建設しようとするものだ。(後略
(前略)『大チベット区』という言い方はそのほかの少数民族を『大チベット区』から撤去させるだけではなく、(後略)
(前略)『大チベット区』は中国の主権を無視するものだ」と述べた。(後略)[6]
當《現代日報》記者問到如何評價達賴提出的“中間道路”和“大藏區”的問題時,(後略)
(前略)所謂“中間道路”的核心內容之一就是要建立所謂的“大藏區”。(後略)
(前略)而“大藏區”這一提法,不僅要求其他民族從“大藏區”撤離出去,還要求駐扎在那裏守衛國土的解放軍撤離出去。(後略)
(前略)如果按照達賴所謂“大藏區”的提法,還談得上什麼國家主權?(後略)[7]

用例5「大チベット区」:中国駐大阪総領事羅田広氏の発言[8]

(前略)3、中国国土の四分の一近く占める、歴史上一度も存在したことのない「大チベット区」の建立を堅持する。4、中国に「大チベット区」からの軍の撤退を要求する。5、すべての非チベット民族の住民を「大チベット区」から転出。ダライ・ラマなどの一部の人々は「チベット」と「大チベット区」との二つの概念を混こうし、「チベット区」を一つの政治実体として取り上げており、一部の外国人が中国のチベット族の分布の歴史をあまり知らないことを利用して、祖国を分裂させ、いわゆる「大チベット区」の設立を世論に呼びかけ、最終的にはチベットの独立を企ている。

明治・大正以来の「チベット」の用法

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以下は、「記事の文面」ではなく、「明治・大正以来の日本の伝統的な「チベットの用法」の典拠」として提示した文章。--Dalaibaatur 2010年10月17日 (日) 10:36 (UTC)

多田等観「西蔵事情」(多田明子・山口瑞鳳編『多田等観:チベット大蔵経にかけた生涯』春秋社、2005、pp.233。刊行自体は最近ですが、朝鮮・台湾をふくめて「日本全土」を計算しているところから、1945年以前に書かれた文章でしょう。
西蔵の境域は、東経七十八度から百三度、北緯二十七度から三十九度に至る地域を占めている。面積は大略七十五万マイル、日本全土(旧朝鮮、台湾を含む)の約二倍半である。南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東はインドシナ山脈、この三つの山脈によって押し上げられた高原国である。この地理的範囲は西蔵人が自分の国として考えている国土の面積である。青海や喀木(カム)をも併せた広い意味での面積である。支那では青海省西康省を除外した部分を西蔵と称している。
念のためまず青海省西康省の位置と領域をご確認ください。日本では明治・大正のころから、英語Tibetの訳語として、「西蔵」と漢字表記し、「ちべっと/チベット」とルビを振る呼称が使用されておりました。多田等観は大正の初期にチベット入りした数人の学者・冒険家の一人で、日本のチベット認識を形成した最初期の学者のひとりです。去年表記が変更となった「日本チベット学会(旧表記日本西蔵学会)」の創設者の一人でもあります。
(以下は2010.9.27に追加)「日本の伝統的用法」として青木文教の例として『秘密の国 西蔵遊記』(中央公論社,1990より。初版は大正9年(1921),内外出版社。こちらは未参照)の節を紹介しておきましょう。
第一章 西蔵地理概説
北方には新疆省との境に千古の雪を頂ける崑崙山脈あり、西と南のインド境には堅氷に鎖されたヒマラヤの連脈を控え、更に東の方には甘粛、四川および雲南三省との域に重畳せるカムの群峰がある。(p.131)
ヤルツァンポの流域とカム地方とは西蔵のうちで最もよく開けた地方で、(p.132)
カム地方については、カム地方を参照。以下はかむ地方に対する青木の説明。
而して東境のカム地方にはチャムドの巨邑あり、リタンバタンの諸邑もまた名高いが、今は殆ど支那の勢力範囲に屬している。(p.133)

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  1. ^ 「ダライ集団が提出する大西藏区(大チベット区)は中国の面積の4分の1を超える」報道1
    桑东仁波切在接受西方媒体采访时曾很坦率地说,(中略):“(中略)我们要求所有西藏人的生活区应该统一成一个‘大西藏区’(注:达赖集团提出的‘大西藏区’除了西藏自治区,还包括青海省全省、甘肃省南部、四川省西部和云南省西北部,总面积达250万平方公里,超过中国国土面积的1/4),并将其他民族迁出‘大西藏区’。但中国中央政府不同意我们的要求。
    サムドゥン・リンポチェは西側マスコミの訪問を受けた際、非常にあっさりと言った。「(中略)我々は全ての西藏人の居住地が、統一されて一つの「大西藏区」が形成されるべきであり、同時にその他の民族はこの「大西藏区」から追い出すよう要求する。ただし中国中央政府は我々の要求に同意しなかった」。注:「ダライ集団」が提示している「大西藏区」は、西藏自治区以外に青海省全域、甘粛省南部、四川省西部と雲南省西北部を含み、総面積は250万平方キロに達し、中国の国土面積の4分の1を超える。
  2. ^ 北京週報誌記者と「国家民族事務委員会の数人の責任者」の対話。文献1所収「チベットについての対話」pp.161-179
  3. ^ 文献1p.163
  4. ^ 「歴史上「大蔵区」なるものは存在しない」報道2
  5. ^ 2009年月3月22日、カナダを訪問中の全人大西藏代表団の団長として、トロントにおいて行った記者会見での発言。
  6. ^ 報道3
  7. ^ 報道4
  8. ^ 外部リンク2