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歴史
[編集]中世まで
[編集]鎌倉期から見える地名。常陸国筑波郡のうち中世を通じて小田氏15代の拠点となった地。南北朝以降には、小田氏の動向とともに史料に多く見えるようになる。 南北朝争乱を通じて小田氏の経済的基盤は動揺し、政治的にも佐竹氏に守護職が与えられるなど弱体化が認められる。 また、関東管領上杉朝宗の圧迫があり、戦国期に入ってからの小田についてはほとんどが小田氏の攻防戦に関するものである。 1569年(永禄12年)小田氏治が手這坂の合戦で佐竹氏に大敗し、小田城は佐竹氏の支配下にはいった[1]。
近世
[編集]江戸期から1889年(明治22年)にかけて小田村と呼ばれていた。筑波郡のうちはじめ佐竹氏領。1603年(慶長7年)幕府領。1608年(同12年)近江高島藩領。1616年(元和2年)旗本横山氏の知行。1698年(元禄11年)からは土浦藩領。 小田城は、佐竹氏国替後に破却され、濠は水田となり、城跡の一部に陣屋が作られた。 1803年(享和3年)、桜川に小田河岸が作られ、土浦へ年貢や農作物を運んだ。寺社は曹洞宗竜勝寺のほか真言宗長久寺・同延寿院・浄土宗解脱寺・牛頭天王宮・天満天神宮など[1]。
近代
[編集]1889年(明治22年)~1955年(昭和30年)の筑波郡の自治体名。平沢・山口・小和田・小田・北太田・大形・下大島の7ケ村が合併して成立。旧村名を継承した7つの大字を編成。 1955年(昭和30年)、筑波町の一部となり、村制時の7つの大字は同町の大字に継承。 1918年(大正7年)に国鉄常磐線土浦駅と水戸線岩瀬駅を結ぶ筑波鉄道が開通して現筑波町を貫くようになった[2]。常陸小田駅が開設された[1]。
現代
[編集]つくば市は、2009年(平成21年)度から7年間かけ、発掘調査成果をもとに城跡中央の本丸跡とその周辺を中世の小田城を体感できる、遺構復元広場と案内所からなる歴史ひろばとして復元整備をした[3]。 1987年(昭和62年)3月31日に筑波鉄道が廃線されるのと同時に、常陸小田駅は廃止され、筑波鉄道跡は茨城県道505号桜川土浦潮来自転車道線(つくばりんりんロード)として利用されている。 筑波山地域ジオパークに2016年(平成28年)9月9日に認定された。