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利用者:Cosmocrea

写真はバイキング2号が撮った火星の風景。「明日には何が可能になるのだろう?今は夢でしかないことも、未来にの人々には当たり前になるだろう。だが落胆することはない。我々の時代にも、宇宙の第一歩を記すことが出来たという幸運があったのだ。」―ユーリ・ガガーリン
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Any fool can make stubs, but it takes a genius to make articles.誰もがスタブを作れるが、記事に出来るのは一握りだ。

Comsmocrea(こすもくりえ、198X年7月4日)とは2008年12月に、Wikipediaの存在に感動し、自身の関心があることについて記事を書くことを決意した日本語話者のウィキペディアン。名前は、科学ジャーナルのコラムでは必ず愛読している天体宇宙論の某記事が由来だが、量子力学的なメカニズムについては、悲しいかな専門外。化学は、高校1年生で挫折している。

wikipediaにおける私の 心 構 え

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誰もが書け読めるという状況は、時に腐敗を招く」。こうネットに書き残して消えたのは、母をタリウム(Tl)で殺害せんと図った少女の言葉だが、その行為は別として、この言葉の重みを、我々は今一度考え直す時ではなかろうか。数百年前には一部貴族の特権であった教養も、20世紀の後半ともなると義務教育の大義の下に万人が否応無く教養を身につける時代となった。いみじくも、ジャン・ジャック・ルソーは、貴族の教養主義を、「一端その地位から落ちれば無用と化す長物」だと喩え自然への回帰を説いたが、現代に於いては、この議論は半分正しく半分間違っている。教養の「無用と化す長物」の性質は300年近くたった今でもご健在ではあるが、21世紀の先進国では、これ以上「地位が落ちること」などもはや無いといって良い。そう、義務教育を施したのは国民国家には違いないが、教養を貴族から引き摺り下ろしたのは我々平等たる大衆なのである。わざわざ閉じられた蓋を無理矢理開けてまで、臭い物に頭を突っ込みたがる、我々大衆だ。あらゆる物を番組(Show)に変えてしまう大衆だ。本屋の入り口に、回収置き場のゴミ袋の如く並ぶ、山積みに積まれた雑学本達を御覧なさい。あれが大衆によって引き摺り下ろされた教養の終着点なのだ。こうして雑学と化した大衆向け教養は、ネットという媒体を最大限に活用し、伝染病の様にその害毒を撒き散らし始める。その媒体の代表ともいえるのが、googleで固有名詞を検索すれば一番上に表示され、我々が外部記憶装置の様に使う、この権威あるwikipediaなのだ。我々はwikipediaという媒体の持つ存在の重みを、大衆に課された運命として、堪えず引き受け続けなければいけないだろう。我々が常に「大衆として腐敗を加速させる存在」であることを自覚すること。

我々も所詮は他者に対して優越性を誇示する動物に過ぎないのですから、小耳に挟んだことを次々とwikipediaに書き込んじゃうのは無理も無い話ですが、そのままではいけないのです。それを肯定してはいけないのです。動物のままではいけないのです。トマス・ホッブズも「動物状態から脱却しよう」と唱えています。我々は動物であることを自覚しながらも、知性と理性を持った人間像を追求していかなければいけないのです…。皆さんも是非とも私と一緒に、何かをwikipediaへ書き込む時に、自分の頭で以下の様にしっかり考えてください。「今自分のやっていることは、本当に知性に基づいた行為であるかどうか、今書き込もうとしているものは、本当に今後これを閲覧するであろう他人に対して誇れる内容なのか」と…。