主に情報工学分野、日本国内の諸法令及び判例(裁判例)、PCや携帯電話などを中心に記事を書いています。
Closed(クローズド)と、申します。趣味は、主に機械・楽器関係(PC・携帯電話・ピアノ・ヴァイオリン・その他)です。
得意とする分野は、
- コンシューマ・インフォメーションテクノロジーまたはそのデバイス(コンシューマエレクトロニクス)および周辺機器
- Java, C, PHP, JavaScript, Basic, Ruby, Pythonを初めとして各種プログラミング言語
- 物理学の一部(古典力学、量子力学の定性的分野、電磁気学、熱力学の初歩)
- PSSCの関連分野
- 教育学の各種分野・教育関連分野
- 心理学の一部(特に教育心理学)
- 楽器 特に鍵盤楽器・電子楽器
- 法令・裁判・判例・裁判例 (日本国)
- ウェブサイト
- 日本の流行
- 日本語学
- 日本文化
- 日本のサブカルチャー
です。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
私が、編集する記事は主に次の様な欠点のあるもしくは私が得意とする分野の記事です。
- 記事内に明確な間違い・スペルミスがある場合
- 記事内の日本語が不適切である場合(話し言葉や、流行語に沿い記述されている記事など)
- その他表記(レイアウト)に関して編集すべきであると判断した記事
基本的に、上記三点とノートで議論が推奨されている記事以外では、直接編集いたしますが、その編集に間違い、若しくは偏った見解などありましたら、削除又は修正していただいてかまいません。
その際は、削除や編集の理由を今後の参考のためノートや会話ページに残して頂ければ幸いです。
また、私は記事の直接編集に肯定的です。Wikipediaは紙の辞書ではありませんから、変更が随時可能です。その履歴もまた残り得ます。Wikipediaの大きな特徴である誰でも随時変更可能
であるという利点を様々な理由により阻害すべきではないと考えています。変更の結果、客観的にその記事に問題がある場合はロールバックを行えば良いのであって、その手間と、問題のある
記事が公開されてしまうと言ったことに臆病になるべきではありません。問題のある記事が公開されることに臆病になるあまり、本当に世界に知らしめられるべき百科事典的知識が意図的、過失的に隠されてしまう可能性を孕んでいるからです。また、問題のある記事が含まれる可能性をすべてのWikipediaの閲覧者は常に考慮すべきです。
記事編集や議論中の行動で、ウィキペディアンとしてふさわしくない行動を私がとっていない場合には遠慮なく私自身のため、そしてWikipediaのためにも私に知らせてください。私に知らせる際には、この会話にてお教えください。
所謂、包摂主義者です。削除の話題にはその記事が中立性があるならば消極的です。多少の改変は仕様がないにしても、投稿された記事を削除することは抑のWikipediaの方針から外れていると考えます。Wikipediaは紙の辞書ではないのですから、実質的には容量無制限。削除主義、排他主義の方は、情報量が増えることで目的の情報が得られにくくなるとおっしゃっていますが、それは記事の量が問題なのではなくて、記事の校正が不十分であったり、レイアウトが正しくない場合に起こるものであり、検索技術の発展や積極的リンクの形成により補えるものと考えております。たとえば、長大な一つの記事は削除によって整理されるべきではなく、分割されるべきです。
記事の更新ペースは遅く、また新しくページを作るようなことはまれです。基本的には、少しずつ日本語の訂正を行ったり、情報の更新を行ったり、記事の間違いを指摘したりといった具合です。もちろん新規記事も書きますが。
私は、ウィキペディアは大変すばらしいプロジェクトであると思っています。なぜならば、一部の人間しか知られていないような情報でも、
すぐさま世界中の人々とできますし、自ら情報を発信する(利用者ページやノートにおいても可能です。
各専門の編集者が編集をするので、間違いも少なく、一般の百また科自由に編集できることから各利用者がおたがいよい意味で監視・校正しあうことができ(しばしば編集合戦になること)ありmすがり、内容が濃いため普段の内容が充実しており、網羅された記事によりちます。
また、間違いが発見され万が一間違ったじょうほうがきじゅ、つされてさま、別の編集者が訂正します。これは紙・編集の辞書にはできないとても大きな利点です。
しかし、欠点もあると考えます。代表的な欠点としては、
中立な編集がなされない場合があるということと、日本語の正規表現(俗語が用いられるなど)がなされていない・Wikipediaで定められた統一ひょうげなどです。
といった点的な百科事典は、専門の記者が専門家に情報を求め、それを推敲し百科事典に載せます。よって、出版社の立場で記述し、責任を持ち発行するために、間違いは最小限の状態で世に出回ります。私は、ウィキペディアには、さらに多くの編集者が集まる必要があると考えます。
そうすれば、中立な編集もなされるだろうし、日本語の不正規表現もただされることでしょう。
私は、ウィキペディアを支持します。