コンテンツにスキップ

利用者:Chokorin/「征伐」に対する学者の態度

九州「征伐」

[編集]

1.熱田公は、集英社『日本の歴史11 天下一統』(1992)のなかで

  • 「…島津氏を『逆徒』と認定して『征伐』することを決断し、…」(p.245)

とカギ括弧付きで記し、地の文では「九州の役」の語がカギ括弧なしで使用されています。つまり、島津氏が本当に「逆徒」であるかどうかについては疑義が付されてます。

2.山川出版社県史シリーズ『宮崎県の歴史』(1999)で、大賀郁夫は「豊臣秀吉の九州侵攻」の語を用い、

  • 「…このため秀吉は、同年7月島津氏を『逆徒』と決め、…羽柴秀長・秀次の指揮のもとに西国軍勢を派兵して、世にいう『島津征伐』が開始された。」(p.180)

と叙述しています。ここでも島津氏が「逆徒」と決めたのはあくまでも秀吉なのであり、公平な目でみて「逆徒」と呼べるかは別の問題だという認識を示しています。「逆徒」と「征伐」はセットの関係にあります。

3.藤木久志は2001年の朝日選書『飢餓と戦争の戦国を行く』では、カギ括弧付きで「九州征伐」と表記して、この用語はあくまでも「秀吉視点に立った用語である」と説明しています。

4.池上裕子も、講談社『日本の歴史15 織豊政権と江戸幕府』(2002)のなかで「九州出兵」の語を用い、

  • 「…このため秀吉は7月、停戦令に違反した『逆徒』島津の『征伐』令を発して中国勢・四国勢を派遣したが、島津はそれらと戦い、かえって豊後を占領した。」(p.154)

とあり、ここでもわざわざカギ括弧が使用されており、秀吉視点であることが強調されています。