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利用者:Chiether/考え事/Wikipediaに関すること

このページは、利用者:ChietherがWikipediaに関する範囲内のことで、とりとめもなく考えた事をメモしておくページです。

貴方は、ここに書かれた事を実践あるいは実現してもいいし。Chietherの立候補の時に賛否の参考にしてもいいし。酒の肴にしてもよい。

手動リダイレクト あらため キーワード空間

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むかし。手動リダイレクトというものを提案して、ある記事の空気を荒らしてしまったが。 再考する機会があったので考えてみよう。

インターネット上の怪文書の1つ。 552文書というものがある。 [[原田宇陀児]]では、~~であるとされている(参考:[[leaf,key掲示板|552文書]])と記述されている。

これは、ようするに。

552文書
----
#REDIRECT[[leaf,key掲示板]]

となっているのと同じことになる。

ところが[[leaf,key掲示板]]では、2001年の節に、2月14日 - 2・14事件。~~とされる文書(ファイル名から通称「552文書」と呼ばれる)が、ネット上にアップされた。と記されているのみである。 こうなるとユーザは、leaf,key掲示板を見て「どこを見ればいいんだ」という話になる(ブラウザ検索すればいいのだが)。 2001年の節に飛ばしてもシックリこない(何月何日のレベルまで飛ばせるなら問題ないのだが)。

となると

KEYWORD:552文書
----
Leaf社員のプライベートログとされる怪文書のこと。
* Leafという企業ブランドについては、[[Leaf]]を参照。
* アップロードされた掲示板については、[[leaf,key掲示板]]を参照。

という短いページは、どうだろうか。

そうしないでいい方法もある。 例えば [[原田宇陀児]] の方で概略を交えてしまうとか。 [[leaf,key掲示板]]の方で552文書について節を立ててしまい歴史の節には、[[#552文書]]がアップロードされる。とだけ書くとか。

どちらにしても「同じ事を複数の記事に跨いで書く」のがあまり好ましくないと考えている自分としては、情報は1箇所に纏めておきたい。 でもKEYWORD空間とか提供すると、今度は「あっちこっちリンク飛ばされて不便だ」というのもある。 ムズカシイ。 ポップアップ形式でフォローできるといいのだが。 情報一元管理してるところから呼び出すのはmediawikiの範疇外だろうし。 そもそも中途半端だとウェブサイトの全体的な統一性に欠けちゃうしなぁ。 やっぱ、ボツか。

エイプリルフール記事

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2008年のエイプリルフール記事は、管理者の一存で削除されたが。 そろそろ時期も経ったので本音を書いておこう。 ようするに、自分のミスだが。 あの赤リンクを見た時に、これを青リンクにしてやろうと決めて、そこで止まっていたのが着火点だ。 その発言者(=利用者)のページなんて見もしなかったのでメールで削除理由を伝えてもらえなければ、たぶん自分の中で「あー消されたか」だけで終わってた可能性が高かったと思う。 すると……たぶんその後の立候補でツッコミ入れられてるのでもっと酷い回答していたのではないかと……おお怖い。

基本的に、「誰」というのは考えていなくて、「その投稿内容をどうするか」という事しか考えてない。 と自分はそういうスタンスでプロジェクトウィキペディアに接しているし、今もそうだと思う。

うーん。コミュニティを大事にすると言っておきながら、人(利用者)ではなく物(意見や記事)を大事にするとは、イカンですなぁ。 来年まで、もっと利用者ページを見るように気をつけてみよう。


ジョークとナンセンス

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前述エイプリルフールと同時期に、Wikipedia:削除された悪ふざけとナンセンス の方でも「必要か不要か」の議論があったが。 うーん。 そこに移動させる基準が個々の利用者の判断に任せられてるからダメなんじゃないかなぁ。

例えば。 エイプリルフール・コンテスト とかどうだろうか。

  • 新規記事であること。 既存記事を改変するのは不可。
  • ウソ記事ではなく幽霊記事(いかにもありそうだが、実は無い)であること。 
    • 無脳戦隊ウィキレンジャーとか玉案宝典とかWikipedia:サンドウィッチへようこそ!、ワラビーあたりが参考?
  • アンサイクロペディアで載せられるものではないか考えておくこと。
    • 大人の事情とかが参考?

最初に記事名だけで参加表明しておいて。 後は、4月1日にコンテストのサブページに各々アップロードして。 最終的に「今年のエイプリルフール記事は、以下のものが選ばれました」とか。

そうしておけば、ゲリラ的な記事は、管理者が問答無用で削除対象にできるだろうし。 誰も参加表明しないのであれば「今年はありません」でもいいわけだし。第三者意見を取り入れないので必要なのはスケジュールと投票という定型だし。割と手間もかからないのではないだろうか。 通常名前空間が汚される事もないし。 年1記事が削除された悪ふざけとナンセンスにピックアップされるだけで(まあ参加数によっては、ノミネート全て残してもいいが) 落としどころとして、こういう方向性に出来たらなぁ。とは考えるのだが。 先ずは何かのコンテストに参加することから始めるべきだぞ自分。

ウィキペディアを止める

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デジタル土方(情報源として満たしていなかった)とか、Wikipedia:削除依頼/Ω無矛盾(述者相違)を見ると百科事典の品質として爆弾を抱え続けているようにも思う。 「品質向上だけを目的とする期間」を定めてみてはどうだろうか。つまり新規投稿の凍結だ。 例えば3ヶ月。この期間は、ありとあらゆる新規投稿を控えて、誤字脱字、文体、記事相関、情報源の調査に努めるとか。

時間は沢山あるんだからさ。 そろそろ品質向上キャンペーンしてもいい頃じゃないかな。 あーでも。既存のゲーム関連の記事とかトリビアで荒れそう……。

時事的だが、南海キャンディースの山里亮太香取市の件。「何時からだ?誰が書いたんだ?」と調べて見ると 香取市は、2007年2月17日 (土) 15:05の版。山里亮太は、2007年2月17日 (土) 15:03の版。ともに、IPユーザ:61.213.38.214の投稿のようだ。 人物出身地レベルで1年半も放置されてしまうようだと。やはり品質向上期間は必要なのかもしれない(今すぐかどうかは別として、何時かはやるべきだ)。

ところで、該当のIPを調べると千葉県のケーブルテレビ(catv296)のものだ。 千葉県民が千葉県民の記述で間違った記述をしてしまったという事実は、非常に悲しいものがある。

ウィキペディアから削除する

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そういえば以前、IRCで「存命人物の記事は一切書かない」という発言をしたことがある。 亡くなって3ヶ月ぐらいしても情報源が広く強く残っている人物こそ百科事典に載せるに値するかもしれないという期待と。 存命する本人と自称する方々に疲れていた時期でもあった。 今は同考えてるんだろう。自分でもよくわからなくなっている。

自著物の持込みは、Wikipedia側にも持込宣言が必要?

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悪意なんて、いくらかんがえてもきりが無いけど。 一種のGFDLと同じく「情報元」を必須とすべきかもしれない。 あるいは自著物で自身しか絡んでなくても履歴継承を行うべきかもしれない。

  1. 外部ウェブサイトで著物公開と同時に、Wikipedia側に転載する。
  2. すぐに外部ウェブサイト側に、投稿日付を明記(検索クロールされるまでに)。
  3. Wikipedianが「ああ適切に運用されている」と思い版を重ねる ←このあたりに懸念あり
  4. 何年も後になって、外部ウェブサイトから投稿事実を、こっそりと消す
  5. (情報源がWikipediaに記載されていない状態なので) Wikipedianが確認する可能性が低くなる。

モアベターなのは、投稿部分が複雑変更されてしまうこと。 これで大型地雷の完成。

ポイントは、「いかに自著物持込の事実を、wikipedianに知られずに消し去るか」ということだが。 webarchive等により、なかなか難しいものがあるのだが。 そういった外部サービスに頼るのは、それもまた危険な気がする。 履歴継承のような「(その時点で)こういう経緯で、この文章が持ち込まれた」というものがwikipedia側に記載するものがあってしかるべきなのかもしれない。