コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者:Chakonosin/sandbox

石破 茂
いしば しげる
内閣広報室より公表された肖像
2024年 撮影)
生年月日 (1957-02-04) 1957年2月4日(67歳)[1]
出生地 日本の旗 日本 東京都千代田区
出身校 慶應義塾大学法学部法律学科卒業
前職 三井銀行(現・三井住友銀行)行員
所属政党自由民主党渡辺派 →)
新生党→)
新進党→)
自由民主党(額賀派→無派閥→石破G→無派閥)
称号 法学士(慶応義塾大学・1979年
配偶者 石破佳子[2]
親族 石破二朗(父)
石破市造(祖父)
金森太郎(祖父)
金森通倫(曽祖父)
中村明(岳父)
宗教 キリスト教プロテスタント
サイン
公式サイト 鳥取 1区衆議院議員 - 石破しげるオフィシャルサイト | 自由民主党 衆議院議員 石破しげる 公式ホームページ

内閣 石破内閣
在任期間 2024年10月1日 - 現職
天皇 今上天皇(徳仁)

内閣 第3次安倍第1次改造内閣
在任期間 2015年10月7日 - 2016年8月3日

内閣 第2次安倍改造内閣
第3次安倍内閣
在任期間 2014年9月3日 - 2015年10月7日

内閣 麻生内閣
在任期間 2008年9月24日 - 2009年9月16日

日本の旗 第4代 防衛大臣
内閣 福田康夫内閣
在任期間 2007年9月26日 - 2008年8月2日

その他の職歴
日本の旗 第67-68代 防衛庁長官
第1次小泉第1次改造内閣第1次小泉第2次改造内閣第2次小泉内閣
2002年9月30日 - 2004年9月27日
日本の旗 衆議院議員
鳥取県全県区→)
鳥取1区
当選回数 12回
1986年7月8日 - 現職)
第28代 自由民主党総裁
(2024年10月1日[3] - 現職)
第50代 自由民主党幹事長
(総裁:安倍晋三
2012年9月28日 - 2014年9月3日
第52代 自由民主党政務調査会長
(総裁:谷垣禎一
2009年9月29日 - 2011年9月30日
テンプレートを表示

石破 茂(いしば しげる、1957年昭和32年〉2月4日 -)は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(12期)、内閣総理大臣第102代)、自由民主党総裁(第28代)。血液型はB型。

防衛庁長官(第6869代)、防衛大臣(第4代)、農林水産大臣(第48代)、自由民主党政務調査会長(第52代)、自由民主党幹事長(第50代)、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)内閣府特命担当大臣(地方創生)、さわらび会会長、無派閥連絡会顧問、自民党たばこ議員連盟副会長、水月会会長などを歴任。父は建設事務次官鳥取県知事参議院議員自治大臣などを歴任した石破二朗愛称は「ゲル」。

来歴

[編集]
出生・学生時代
[編集]

姉二人の末っ子長男として誕生する。東京都千代田区にて出生。父・二朗は茂の出生時に48歳であり、二朗の秘書を務めていた高岩迪資によると、自身の高齢の恥ずかしさから二朗は病院へ行きたがらず、高岩が代理で病院へ出かけていた。そのため病院側は、高岩を茂の父親と間違えたことがあったという。

1958年に父・二朗が鳥取県知事に就任したため、鳥取県へ転居。中学校卒業まで鳥取県八頭郡郡家町(現:八頭町)で育つ。そのため茂には東京での記憶がない。

母はかつて国語教員だったこともあり、教育熱心な人物だった。小学校の頃は毎晩1時間程度、偉人伝の朗読をさせられた。

鳥取大学教育学部付属小学校鳥取大学教育学部付属中学校を経て、慶應義塾高等学校に進学。

1979年慶應義塾大学法学部法律学科(新田敏ゼミ)を卒業。2年生のとき、全日本学生法律討論会で1位になる。

銀行員時代
[編集]

新聞記者になることや日本国有鉄道への就職も考えたが、父・二朗の反対により断念。1979年、三井銀行(現:三井住友銀行)へ入行。

引用

[編集]
  1. ^ 徳川家広 (2014年4月24日). “政権与党のNo.2に聞く「自民党幹事長の本音」--石破茂氏(自民党幹事長)×徳川家広氏(政治経済評論家)”. 経済界. 2014年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月10日閲覧。
  2. ^ 昭和偉人伝「田中角栄 生誕100年」”. BS朝日. 2019年2月20日閲覧。 “石破茂・佳子の結婚式で石破茂の父親代わりに田中角栄が出席し、「佳子さんは丸紅に勤務、いい会社だ。私とのこと(=ロッキード事件)が無ければ、さらにいい会社だ。それで新潟県ご出身だと。これを聞いて、私(田中角栄)は即座に「結婚なさい」と言ったものだ。」”
  3. ^ 自民党の歴史”. 自由民主党. 2024年10月1日閲覧。