利用者:Bow/加筆用メモ帳1
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暗号
[編集]- 「シーザー暗号」は、単一換字式暗号での軍事目的に使われた最も古い文献(『ガリア戦記』)である。
また、鍵の可能性が少なかったこともあり、一般的な換字式暗号のほうが優れていた。一般的な換字式暗号の鍵の可能性は26の階乗であり、まずもって鍵の発見は無理であった。しかし、9世紀ごろには、アラビア人によって、頻度分析という手法が発見された。しかし、ヨーロッパでは関心の低さもあって、14世紀ころに復活するまで、研究が滞っていた。15世紀になると、ルネサンスの影響。各国機密情報の傍受など、あって、急速に発達。この頃になってやっとヨーロッパでは頻度分析の手法が確立した。これによって、単一換字式暗号は無敵ではなくなった。そのため、従来の換字式暗号に「ヌル(冗字)」と呼ばれる無意味な文字を入れ、解読者に対抗した。15世紀後半から16世紀にかけて、ヌルさえも、安全ではなくなってきてしまった。
そのため、「ヴィジュネル暗号」と呼ばれるものが考え出された。例えば、aをcに変える従来の方法ではなく、aaと書けばcgになるような(つまり、同じ文字でも暗号化されると違う文字になる)方法が考え出された。ヴィジュネル暗号は、当初、15世紀半ばにレオン・バティスタ・アルベルティによって考え出されたが、最終的な形に昇華させたヴィジュネルの名前が付いている。しかし、これは暗号化、復号化が従来に比べ煩わしかった為、あまり使われなかった。
しかし、18世紀になることには、暗号解読は国家の要として、活躍するようになり、単一換字式暗号はほぼ看破されてしまった。このせいで、面倒くさいが、安全なヴィジュネル暗号を使わざるをえなくなった。
頻度分析
[編集]単一換字式暗号において使われた解読法例えば英語ではeの出る回数が多い。これを使うことによって大体の見当がつくというものだ。英語での出現頻度が高いのはだんとつでeであり、それにt、aが続く。これによって、例えばYTRという暗号文の一部があるとし、それを解読するときYがt、Rがeと分かると(大文字が暗号文、小文字が平文とする)tTeという仮定が成り立ち、これが多く存在する場合Tはhと考えられ、YTRはtheと考えることができる。(あくまで例)しかし、全くeを使わない小説も刊行された例(『消失』ジョルジュ・ペレック著、ギルバート・アデア訳。約200ページ)もあり、一概には言えない。
小野五平
[編集]- 将棋の12世名人
- 天保2年(1831年)10月6日生(旧暦であるか要確認)
- 天野宗歩の指導を受け、11代大橋宗桂の弟子となる。
- 明治13年、8段
- 明治33年、名人
- 大正10年、91歳で死去。
駒の並べ方
[編集](どこに書くか決めかねる)
作法として、上座に座る人が、駒箱から駒袋を、駒袋から将棋駒を盤上に出す。上座の人が王将を所定の場所におく。下座の人がこれに対して玉将を置く。並べ方には大橋流と、伊藤流がある。大橋流は、玉将以下、左金、右金、左銀、右銀、左桂、右桂、左香、右香、角、飛車、5筋の歩、4筋の歩、6筋の歩、3筋の歩、7筋の歩……となる。伊藤流は、右桂を並べるまでは大橋流と同じだが、以下、左から順に歩を並べて、左香、右香、角、飛車となる。いずれにおいても、上座、下座交互に並べていく。また、終局後は、上座の人が、玉、金、銀、桂、香、角、飛、歩の順に、ちゃんと枚数があるかどうか確認しながらしまう。対局中は、駒箱は、将棋版の下においておく。(足つきの場合)上記は作法であるがアマではそうはならないことも多い。また、双方が玉を置いた後は自由にしてよく、大橋流、伊藤流などこだわらないものもいる。
大橋宗桂 (9代)
[編集]大橋宗英 (6代)
[編集]伊藤宗看 (6代)
[編集]肩車
[編集]- 柔道の手技の一つ。
- 相手の股下に右腕(左腕)をさしこみ(相手の右脚(左脚)を取る。のほうがいいか?)自分の肩に相手をのせる。自分と相手の体が十字になるようにして、自分の左(右)横に投げる(これでは分かりにくいか)
- やはり、技のやり方だけで終わってしまう。他に書くことはないのか…
戊戌夢物語
[編集]- 高野長英が書いた。
- これによって長英は蛮社の獄によって投獄。
- 幕府を批判する内容。長英はこれを「夢の中」ということにしたが、幕府は許さなかった。
シーボルト事件
[編集]- シーボルトが帰国する際、日本の地図が持ち物の中から見つかり、シーボルトが国外追放に処された事件。