利用者:Boca samba/サンドボックス
メモ&テスト&作業スペース用ページ
加筆
[編集]- ブラジル音楽関連
- ボタフォゴ - 語源 (ネットで検索すると、なぜかモダンダンスのサイトがヒットし、そこにもっともらしい説が書かれているが、一般的にFogoは“火”のことで、BotaはBotar(投げる・投じる、転じて“付ける”)ことからと聞いている。したがってその意味は“火をつける”というのが正しいのではないか?さらに調査する必要がある。
- ブロコ・アフロは、基本的にはカルナヴァルに出場する団体で、中でもオロドゥンが最も知られる。これは現在、音楽集団に留まらず、文化や社会改善運動にも寄与する文化団体となっている。この他には、アラ・ケトゥ(Ara Ketu)、イレ・アイエ(Ilê Aiyê)、ムゼンザ(Muzenza)、フィーリョス・ジ・ガンジー(Filhos de Ghandi)などがあり、オロドゥンと同じく文化団体として活動する団体も多い。
未編集項目
[編集]- 仏教関連
- 四大王衆天
- 諸法実相
- 回峰行
- ブラジル音楽関連
- ナラ・レオン
- パウリーニョ
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[編集]ブルガリアン・ヴォイス(Voix Bulgare, )は、ブルガリアの民謡を歌う女声合唱である。オペラなどのベルカント唱法と異なり、地声による多重和音、あるいは不協和音を使ったコーラス、7拍子や9拍子あるいは11拍子といった変則的なリズムが特徴。ブルガリアン・ポリフォニーと呼称する場合もある。
概要
[編集]ブルガリアは、東ヨーロッパのバルカン半島に位置する、わずか751万人の人口であるが、その文化は、主要民族である南スラヴ系民族を基礎とし、ゲルマンやラテンの影響を受け、またさらにトルコの政治的・文化的影響によって形成されており、それが音楽にも反映された。
ブルガリアでは、ベルカントの発声法によるオペラもあり、伝統的なスラヴ系の名前ではなく、ヴィオレッタやミミというオペラの主人公の名前をつける習慣もあるくらいで、イタリアのオペラに親しむ国民も多い。しかしブルガリアは、もともと農業国であるため、麦を刈るときや野良仕事などの農作業や羊飼いの歌、また結婚式など、伝統的な民謡がたくさんあった。これらの民謡はブルガリアの苦難を歌ったものが多く、中でもトルコの圧政による“恨み節”的な歌が多い。したがってこれらの古いブルガリア民謡は、そうした民衆により歌が歌い継がれてきたものである。ただし小泉文夫は、これらの歌は過去の不幸を嘆いたり、現在に及ぶ不満ではなく、それらの経験を未来に託した警告心の表れとして歌い継いでいるもので、現在のブルガリア人が、いつまでもトルコに恨みを持っているという訳ではないだろう、と述べている。
ブルガリア農民の間では「強烈な声の振動は農作物の成長に良い」と言われている。そのためブルガリア人の歌い手は豊かで張りのある声を持つ人ばかりで、これが非常に強く鋭い響きとなって聞こえる。
ブルガリア民謡の特徴としては、1人による独唱は少なく、最低でも必ず3人で合唱する。また1人が主唱者となり、他の歌い手は助唱者としてドローン(持続低音)や平行オルガヌム(主唱者の旋律に対し、他が2度、7度、9度下で平行進行で重ねる)で歌い、和音的に短2度がぶつかり合うこともある。ただしイタリアの山間部などでも、近年まで平行2度の重唱を伝統的に行ってきた村民がいたと報告されていることから、かつてはヨーロッパの広範囲に渡り、この唱法が存在していたが、近代的なハーモニーが普及したことから、しだいに無くなっていったと考えられている。
しかし、ブルガリアでは消え去ることはなく、伝統的な歌唱法が継がれてきた。これは、ブルガリアの限られた地域ではなく、西南部のピリンやロドンといった山地をはじめ、首都であるソフィアのある西部ショブスコ、東方の黒海付近であるドブルージャ、東南部トルコとの国境付近であるトラキアなど、あらゆる地域で歌われている唱法である。したがって、ブルガリア国内では歌の大会やコンテストが定期的に開かれており、その中には歌い手として参加する人が4000人近くにのぼる大規模な大会もあるといわれる。このため、ブルガリアにはアマチュアを含め、多くの合唱団が存在し、中でも女声によるものが多い。しかし、これらはあくまでも現地における生活に密着した民謡の独唱、あるいは合唱である。
これらブルガリア民謡の合唱団を発展させたのが、フィリップ・クーテフ(Philip Koutev)により1951年に結成されたブルガリア国立合唱団(The National Folk Ensemble"Philip Koutev")であった。クーテフはクラシックの作曲家としてオーケストラや合唱団に作曲するかたわら、ブルガリア国内をまわって村民の中から優れた民謡の歌い手を集めて合唱団を結成した。合唱団には、これらの民謡をベースとしたオリジナルの楽曲を500曲以上も作曲して歌わせたという。
しかしブルガリアン・ヴォイスを世界的に有名にさせたのは、マルセル・セリエとレコード会社の4ADレーベルであろう。セリエはスイス人で鉱物を輸入する貿易会社を経営する社長だったが、音楽院出身でオルガン奏者でもあり、ルーマニアのパンフルート奏者で有名なジョルジュ・ザンフィルと共演したレコードも出している。セリエは1950年初頭にブルガリアを訪れ、その独特な民謡の歌唱に惹かれ、その後15年間に渡りブルガリア各地の歌を録音し、ディスク・セリエと称してLe Mystere des Voix BulgaresⅠ・Ⅱを出した。これはいずれもプロの歌い手ではなく、コンテストで優勝した村民などの独唱や合唱が収められている。
中でもPilentze Pee(ピレンツェの唄、小鳥は歌をうたっている)は多くの人を魅了し、世界のミュージシャンにも影響を与えた。日本においては、細野晴臣や坂本龍一などがその例である。また、この曲はのちに日本のCM曲として採用されて放送されたため、聴き馴染みのある人も多い。またPolegnala E Todora(トドラは夢みる)は、クーテフ合唱団でも録音され、日本の芸能山城組やアメリカ合衆国|アメリカのザ・ベニーホイッスラーズも録音している。
記録
[編集]- きまま氏による、意図的かつ悪質な他利用者発言の除去と改竄、他利用者に対する非礼について(控え)
- [1]、[2]、[3]、[4]、[5]、[6]、
- 礼儀を欠いた質問と、その後の対処[7]、[8]、[9]、[10]
- Dr jimmyさんによるリバート[11]と、その後におけるボットによる警告[12]
- 警告を受けているにもかかわらず、他者IP氏の発言を除去[13]
- その後、Kangoshiyouichiさんの忠告を無視し、自身の発言ともに除去[14]
- そして、今回の一件。またもや他利用者の発言を除去(もうここまでくると、WPの方針をまったく理解する姿勢が見られない)[15]
- これら上記の、悪質な発言除去を私がリバートして再度忠告した後の、きまま氏の失礼な発言[16]
- さらに、自身のこれまでの間違いを注意されたことを、善意と受け取らずに、自身に向けられた言葉を返す刀で反論、皮肉を込めた発言を行っている。[17]
- きまま氏が素直に謝意を表し、誠実な態度でWPに参加する意向を示せば、私自身は過去を不問とするつもりでしたが、この数ヶ月間彼の言動や編集行為を見る限り、彼自身だけでなく他の利用者に対しても、心から謝罪し反省する姿勢が見られない。したがって今後の為にこの経緯を留めおいておきます。