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利用者:Bicbic64

ふとしたことがきっかけで、2007年2月にアカウントを取得し、編集活動を開始。

行きがかり上、B'z#パクリ問題を記述することになってしまった(ちなみにB'zについては、ファンでもアンチでもない)。

上記記事を書き上げたことによる燃え尽きと、執筆中に受けた荒らしによる嫌がらせと信者の我侭に少々嫌気が差して、現在までウィキブレイク中。 近々復帰の予定だが、詳細は未定。

今後の活動の方向性については、上記記事の執筆の為に収集した資料を活用して他のパクリ関連の記事を書くか、それとも自分の好きなアーティストの記事の充実を行おうか、現在思案中。


B'z パクリ問題 執筆記

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2006年以前

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WikipediaをROMしていた時期に、初めてB'zのページを見る。 この時は、ただ漠然と「随分と詳しく書いてある割には、パクリのことが何も書いてないなぁ」と疑問に思う程度であった。

2007年 第一章

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  • 2007年1月、Wikipediaに、「ノート」「履歴」があることを知り、B'zの「パクリ問題」(当時は「盗作問題」とされていた)も、多くの編集合戦と議論がなされていることを認識するに至る。当時、ノート上では掲載賛成・反対の意見が入り乱れ、白紙化による妨害、賛成派・反対派がお互いを信者・荒らしと呼び合うなど感情的な非難・中傷もあって収拾のつかない状態であったのを、ZEROさんの仕切りにより何とか議論の進行が維持されているという状況であった[1]
  • 2007年1月27日、この時点で、ZEROさんの「「盗作疑惑がある」という証拠の提出を以って判断すべき」という提案により、議論は膠着状態に陥っていた。


  • 2007年2月、義憤に駆られて議論への参加を決意し、アカウントを取得。
  • 2007年2月14日、初めてノートへ投稿[2]。当初は一参加者として、賛成の意見を述べることしか考えていなかった。
  • 2007年2月21日頃、掲載の方向でおおよその合意を得る。しかし、最初の執筆者を含め掲載賛成派はなりを潜めてしまったため、仕方なく、元々誰かが執筆していた記事をベースに、それを多少アレンジする形で記事の作成に着手する。この頃から、資料集めのため図書館・書店巡りをはじめる。


  • 2007年3月 8日、第一版を、コメントアウトした形で掲載。
  • 2007年3月18日、本掲載に移行[3]


2007年 第二章

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  • 2007年3月21日、本掲載後、最初の無断削除が発生。翌22日にかけて編集合戦となる。
  • 2007年3月25日、九州通信ネットワークユーザーによる執拗な無断削除が繰り返される。30日に保護依頼が出される。
  • 2007年3月26日、ZEROさんから、出典及び内容について、文章の修正の提案がなされる。それを受けて、文献収集を本格的に開始、都内大型書店や古書店、都立/国立図書館を巡る毎日がしばらく続くことになる(国立図書館に行けばどんな出版物でも揃っていると思ったら、数年前くらいの本でも結構無いことが多いものなんですね)。
  • 2007年4月 5日、あるユーザから、私が出典とした文章は「捏造ではないか」との言い掛かりがつけられる。これに対し、まず文献の出典を明記することを確約するとともに、捏造であるとする根拠の出典の明示を求めたところ提示がなかったため終結。
  • 2007年4月 6日、その後も無断削除による編集合戦が止まない為、1週間のページ保護が行われる。
  • 2007年4月14日の保護解除直後から、Kuma1008とそのソックパペットによる無断削除が頻発。17日から2週間のページ保護が行われる。
  • 2007年4月17日、ZEROさんより、あらためて修正提案が行われる。既存の文章を段落ごとにわけ、一文ずつ問題がないかどうか検討していくというものであった[4]。当時、度を越した余りに酷い荒らし行為の数々と、ノートでの言い掛かりへの対処で、精神的に疲弊し切っており、文章改訂作業は遅々として進まない状況であった。しかし、ページが保護されて荒らしが沈静化したことと、保護解除明けまでにという明確な目標時期が立てられた為、徐々に執筆が進んで行った。


  • 2007年4月26日、改訂版の記事がひとまず完成し、ノートで査読を受ける[5]
  • 2007年5月 2日、ZEROさんの賛成を得て、他の反対意見もないため、本掲載に移行[6]


2007年 第三章

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  • 2007年4月27日、ZEROさんにより、「パクリ問題」節でのローカルルールの提案がある[7]
  • 2007年5月 3日、掲載直後から、Kuma1008による無断削除が頻発(その後投稿ブロック)。
  • 2007年5月 6日Dr jimmyさんの修正案を取り入れた形で、本運用を開始[8]