コンテンツにスキップ

利用者:Bay Flam/note006

歴史上の星表

[編集]

ヒッパルコスの星表

[編集]

(紀元前135年頃)

プリニウスの『博物誌』によれば、紀元前2世紀ギリシアの天文学者ヒッパルコスが、さそり座に見慣れぬ星(新星と考えられている)を発見したことから、観測できる全ての星の位置と明るさをまとめたとされる。これが西洋における星表の起源である。

このように、ヒッパルコスが星表を編纂したことは知られているものの、散逸しており現存しない。

星座と星数
「ヒッパルコスの星表」には49星座が記されているという。そのうち48星座は後述するプトレマイオス星座である。残る一つは、定説では髪毛座とされている。なお、『博物誌』にも髪毛座はベレニケーの髪毛座として出てくるが、プリニウスはイタリアから見えない星座として取り上げたのであるから、現行のかみのけ座とは別ものである。
収録されている星の数は「1,080星説」と「850星説」がある。前者だとすると、「ヒッパルコスの星表」にあって『アルマゲスト』に漏れたものはどうなったのかという疑問が残る。星数・星座数も含めかみのけ座のことなど、現存しないのにどうしてそんなことがいえるのか謎である。
等級
歳差
300年頃に書かれたティモカリスアリステュロスの観測があった。ヒッパルコスはこのティモカリスらの星表と自分の実際の観測結果を比較して春分点の移動(歳差)を発見した。

プトレマイオスの星表

[編集]
2世紀に編纂されたプトレマイオスの主著『アルマゲスト』収録の星表(第7巻と第8巻が該当)があり、彼はこの中でアレクサンドリアで観測できる1,020余りの星[1]を挙げている。『アルマゲスト』はヨーロッパやアラブ世界で千年以上にわたって標準の星表として用いられた。この星表は、ほぼ完全に紀元前2世紀のギリシャの天文学者ヒッパルコスの観測に基づいているとされている。
  • アッ・スーフィーの星表
  • アルフォンソ星表
  • ウルグ・ベグの星表
  • コペルニクスの星表


ヘッセン方伯の星表


ティコ・ブラーエの星表


テオドルスとデ・ハウトマンの星表


バイエルのリスト(『ウラノメトリア』)


ハレーの南天星表


ヘヴェリウスの星表(後添字:H.)


フラムスティードの星表(前添字:Fl.、基本的に無記入)


ベヴィスの星表


ラカーユの南天星表
ニコラ・ルイ・ド・ラカーユによって編集された、南半球の掃天星表。


ボーデの星表(後添字:B.)


ハイスの星表(後添字:H'.)


アルゲランダーの星表(後添字:A.)


グールドの星表(後添字:G.)


ラランドの星表(前添字:Lalande, Ll)
18世紀にフランスのジェローム・ラランドが編纂した。パリから観測可能な約9等までの恒星が収録されている星表で、何度かの改訂を経ているが、1801年に出版されたラランドの著書 Histoire celeste francaise に付属している最終版では約47,000個の恒星が収録されている。ラランドの死後、フランシス・ベイリーによって更に改訂されており、現代でも太陽近傍の恒星などの一部はこのベイリー版でのラランド番号で呼ばれている。


ラカーユの星表(前添字:Lacaille, Lac, L)


ピアッツィの星表(『パレルモ星表』)


ストルーヴェの星表(『ドルパト星表』、前添字:Σ)


BAC 星表 (BAC)


東洋の星表
  • 中国の星表
巫咸、あるいはとする説もあり)の甘徳石申が星表を作ったとされており、のちに陳卓がそれらを整理してまとめたもの[2] が長く用いられた。
  • 日本の星表


過去の星表で導入された2つの命名法が現代でも使われている。第一はヨハン・バイエルの『ウラノメトリア』に由来するもので、比較的明るい恒星の名前として用いられている。すなわち、ギリシア文字(あるいはラテン文字)とその恒星が位置する星座名の属格とを組み合わせてその恒星を呼ぶ方法である。例として α Centauri (α Cen) や γ Cygni (γ Cyg) などとなる。日本語では「ケンタウルス座α星」「はくちょう座γ星」などと表記する。詳しくはバイエル符号を参照のこと。

第二の命名法はジョン・フラムスティードが編纂した星表 "Stellarum Inerrantium Catalogus Britannicus" に由来する。この命名法ではバイエル名と同様に星座名の属格を用いるが、ギリシア文字の代わりに数字を使う。これは前記フラムスティードの星表の序列を示したもので、フラムスティード自身が番号を振ったわけではない。例として、61 Cygni や 47 Ursae Majoris などとなる。日本語では「はくちょう座61番星」「おおぐま座47番星」となる。詳しくはフラムスティード番号を参照のこと。

これら以降の星表では星に星座名を付けずに、星表名またはその略称と番号で呼ぶものがほとんどである。


ボス一般星表 (GC)

1937: Benjamin Boss, General Catalogue of 33342 Stars for the Epoch 1950(5 vols.), Washington D.C.

ベンジャミン・ボスが、彼の父ルイス・ボス (Louis Boss) が1910年に編纂した星表 Preliminary General Catalogue (PGC) を大幅に増補したもの。PGC の6,188星に対して、全天の7.0等より明るい33,342星に対して位置と固有運動量が与えられている。20世紀の中頃から後半にかけて、バイエル名もフラムスティード名も持たない星を表示するためにしばしが使われた。例えば、『ベクヴァル星表』はそれ自身のカタログ・ナンバーを持たないが、その代わりに GC ナンバーのコラムがある。(『ヘンリー・ドレイパー星表』との対照表もあるので HD ナンバーからも引ける)全5巻からなる大分の星表だが、現在では BSC の第5版同様、電子フォーマット版が容易に入手できる。
ベクヴァル星表

1951: Antonin Bečvář, Atlas Coeli - II: Catalogue 1950.0, Prague, Cambridge (Mass,) 1964: Antonin Bečvář, Atlas of the Heavens - II: Catalogue 1950.0 (4th ed.), Cambridge (Mass,)

チェコスロヴァキアスカルナテ・プレソ天文台の台長を務めた天文学者アントニン・ベクヴァルによって編纂された。原題を見てわかるように、元は『ベクヴァル星図』(『スカルナテ・プレソ星図』ともいう)の第2巻として位置付けられていたものである。肉眼星としては半端だが、『ベクヴァル星図』記載の6.25等より明るい星を収める。自身としての通し番号を持たず、 GC 番号で代用している。他にも、二重星や変光星、星雲・星団表もあって、たいへん便利である。現在の Uranometria 2000.0 の3巻のようなものである。初版が1951年に出版され、1959年に再版された。1964年にはアメリカの Sky Publishing Corp. 社からも改訂版(第4版)が出ていたので、アマチュアでも比較的容易に入手できた。(現在では Sky Catalogue 2000 に取って替わられている)現在ではとっくに絶版になっているので、通常経路ではほぼ入手不可能だが、古書市場にはよく出回っている。同書には巻末に星名表は付録されているが、その中には誤植による紛らわしいものが散見される他、幾つか他の資料に見られないものがあり、ベクヴァル星名と呼ばれている。それら14個のうち12個は、星名研究の第一人者ドイツのパウル・クーニッチをしても語源を明らかにすることができなかった。これらの星名の語源や由来などの背景を探ろうにも、ベクヴァルが1965年に死亡しているので、その道は絶たれてしまっている。
  1. ^ 数え方によって1,022~1,028星
  2. ^ 『開元占経』を指したものだが、現在では後漢時代に成立したもであり、三氏の名前は権威付けのために使われたと考えられている。