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利用者:Aoyajiro/オーディン

Odin depicted on a monument from about the 9th century in Gotland
Odin, in his guise as a wanderer, as imagined by Georg von Rosen (1886)

オーディン(英語: Odin、古ノルド語: Óðinn、オージン)は、キリスト教以前のゲルマン人によって広く信仰された神である。現存する最大の情報源である北欧神話では、知恵、癒やし、死、王権、絞首、知識、戦争、勝利、魔法、詩歌、狂気、ルーンを司る神とされる。女神フリッグの夫である。他のゲルマン人の神話においても、古英語ではWōden、古ザクセン語ではUuôden、古低フランク語ではWuodan、古フリジア語ではWêda、古高ドイツ語ではWuotanとして知られる。これらはすべて「狂気の主」「狂えるものの長」を意味するゲルマン祖語の神名*Wōðanazに究極的には由来する。

オーディンは、紀元前2世紀のゲルマニア各地のローマ占領時代から、4~6世紀の民族移動時代、そして8~11世紀のヴァイキング時代に至るまで、北欧史を通じて極めて重要な神であったようである。近代になっても、ゲルマン人はオーディンに関する民話を語った。オーディンに由来する地名は、歴史的に古代ゲルマン人が住んでいなかった地域にも分布しており、また、英語のWednesdayなど、多くのゲルマン諸語ではオーディンの名を冠する曜日名をもつ。

古ノルド語の資料では神々を統べるものとして描かれるが、古英語のテクストでは、エウヘメリズムによりオーディンは人間の王族の祖として、ランゴバルドなどの他のゲルマンの人々と並んで登場する。ゲルマン人の記録にはしばしばオーディンの名が登場するものの、オーディンに関する物語は、アイスランドで物された古ノルド語の著作で主に見られる。これらのテクストに基づいて、現代では北欧神話が理解されている。

古ノルド語のテクストによると、オーディンはベストラとボルの子であり、兄弟にヴィリとヴェーがいる。また多くの子の父であり、中でもよく知られるのはヨルズとの子トールと、フリッグとの子バルドルである。オーディンは数百の二つ名をもつ。一般に、隻眼で長い顎髭を持ち、グングニルという名の槍を振るい、外套とつば広帽で変装した姿で描かれる。また、ミドガルズ中から情報を集めて回る狼のゲリとフレキ、ワタリガラスのフギンとムニンなど、動物の使い魔と合わせて描かれることも多い。8本脚の空飛ぶ馬スレイプニルに跨って、天空や地下世界を駆け巡る。オーディンはしばしばさらなる知識を求める。最も有名なエピソードは詩の蜜酒の獲得である。その目的のために妻フリッグを賭けに出したりもする。原初の存在ユミルを殺して天地創造の一役を担い、最初の人間であるアスクとエンブラに命を与えた。人々にルーンと詩の知識をもたらしたともされ、文化英雄的な側面も持つ。ユールの祝日との関連も深い。

オーディンは戦乙女ヴァルキュリャとも関連がある。オーディンは戦士した者の半分を館ヴァルホルに囲ってエインヘリャルとし、もう半分をフレイヤのフォールクヴァングへと送る。賢者ミーミルの首に助言を求め、終末戦争ラグナロクの予言を聞き、エインヘリャルを率いて戦うが、その果てに大狼フェンリルに飲み込まれる。後世の民話では、オーディンは冬空を駆ける魑魅魍魎の群れであるワイルドハントの主ともされた。古英語や古ノルド語のテクストにおいては、魔除けの類の魔術とも結び付けられた。

オーディンという存在は、ゲルマン研究においてしばしば探究の対象となり、そのイメージの発展に関して多くの説が出されてきた。オーディンと他の神や人物との関係性に注目する研究があり、例えばフレイヤの夫オーズとは、名の語源が同一であり、またフレイヤとフリッグの共通点も見られることからその関係性が論じられる。ロキとの関係性に関する議論もある。別のアプローチとして、オーディンがインド・ヨーロッパ祖族の神話に遡るものなのか、あるいはゲルマン人社会において後世に発達したものなのかを探るような、歴史的記録におけるオーディンの位置づけを論じる研究もある。近代では、詩や音楽、他のさまざまな文化的表現がオーディンのイメージから霊感を得た。新宗教運動の一つであるヒーズンリーにおいては、他のゲルマンの神と合わせてオーディンが信仰され、特にオーディンを戴く分派もある。

名前

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語源

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古ノルド語の神名Óðinn(リーベの頭蓋骨片に刻まれたルーンではᚢᚦᛁᚾ)は、古英語のWōden、古ザクセン語Wōdan、古低フランク語Wuodan、古高ドイツ語Wuotan、古バイエルン語Wûtanなどの他の中世ゲルマン諸語と同根である。これらはいずれも再建されたゲルマン祖語の男性形の神名*Wōðanaz(または*Wōdunaz)から派生したものである。*Wōðanazは、「狂える、錯乱した、荒れ狂う」を意味する形容詞*wōðazに「~の主」を意味する接尾辞*-nazが付与された形であり、すなわち「狂気の主」「狂える者の長」の意である。

Woðinz (read from right to left), a probably authentic attestation of a pre-Viking Age form of Odin, on the Strängnäs stone.

内的再構および比較再構による根拠のすべてが、聖なる狂気や神的感応、脱魂的卜占といった観念を指し示している。ブレーメンのアダムによる『ハンブルク教会史(Gesta Hammaburgensis ecclesiae pontificum)』(1075–1080)には、「ヴォータンすなわち狂気なり(Wotan id est furor)」とあり、ヴォータンの語がラテン語のfuror(激怒、狂乱、発狂の意)と明確に結び付けられている。ストレングネースの石で在証されるノルド祖語Woðinzは、真正なものと認められているものの、ここでは「狂気に浴した」という意味の形容詞として用いられている可能性がある。

ゲルマン諸語における*wōðazから派生した他の同根語には、ゴート語のwoþs「狂った」、古ノルド語のóðr「狂乱の」、古英語のwōd「正気を失った」、オランダ語のwoed「血迷った」のほか、名詞化された形で古ノルド語のóðr「精神、知恵、歌、詩」や古英語のwōþ「音、声、歌」、古高ドイツ語のwuot「暴力的興奮」、中期オランダ語のwoet「激怒、立腹」などがある。ゲルマン祖語の単語として*wōðīn「狂気、怒り」と*wōðjanan「怒る」も再構可能である。碑文ではun-wōdz「落ち着いたもの」(200年頃)や wōdu-rīde「怒れる乗り手」(400年頃)といった語が在証されている。

文献学者のヤン・デ・フリースは、古ノルド語の神格オージンとオーズは、(ウルとウリンの場合と同様に)おそらくもともとは一つのもので、オーズ(Óðr、*wōðaz)の方がより古い形であってオージン(Óðinn、*wōða-naz)の名前の根源的な出所であったと論じた。さらに彼は、ヴェーダにおけるヴァルナとミトラの関係と同じように、憤怒の神オーズ=オージンが威光の神ウル=ウリンと対立する構図になっているとした。

形容詞の*wōðazは究極的にはゲルマン祖語の語形*uoh₂-tósから派生したものである。これはケルト祖語の*wātis(予言者、真実を言うもの)や*wātus(予言、詩的霊感)と関連がある。ラテン語のvātēs(予言者)がガリア語を経由したケルト語からの借用語であるという説もあり、その場合、「神の霊感を受けた」という意の*uoh₂-tós ~ *ueh₂-tusは、印欧祖語から継承した語というよりは、ゲルマンとケルトで共通した宗教用語であったことになる。この借用説を取らない場合でも、インド・ヨーロッパ祖語の語根*(H)ueh₂-tis(予言者)がゲルマン語・ケルト語・ラテン語の共通祖先だったと考えることができる。

別名

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オーディンを指す名称は170以上記録されている。その特性をさまざまに描写する名前であったり、それにまつわる神話に言及するものであったり、関連する宗教実践に言及するものなどがある。この多数性が、オーディンをゲルマン人に最も名の知られた神たらしめている。スティーヴ・マーティン教授によると、ヨーク地方クリーヴランドにあるローズベリー山は、訛る前はもともとオーディンズバーグ(オーンズベリー、オーゼンバラ)といい、この名前は一帯へのアングル人の定住の頃に遡るという(ローズベリー山麓の町ニュートンやグレート・アイトンがアングロ・サクソン様の接尾辞をもっている)。山頂近くには奉納されたと思しき青銅の斧やその他の物品が多数埋まっていたことを考えると、その印象的な山容は聖なるものとのつながりを一目で感じさせ、青銅器・鉄器時代にそこで信仰されていたものから置き換わったとも考えられる。だとすれば、部族の勢力が入れ替わった地で、北方ゲルマンの神学が古いケルトの神話に取って代わった珍しい一例とも言える。

リヒャルト・ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』では、この神はヴォータン(Wotan)の名で呼ばれる。この綴りは、古高ドイツ語Wuotanと低地ドイツ語Wodanを組み合わせてワーグナーが創作したものである。

曜日名

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現代英語のWednesdayにみられるように、ゲルマン諸語には「オーディンの日」を意味する曜日名が広く見られる。古英語Wōdnesdæg、中期低地ドイツ語および中期オランダ語Wōdensdach、現代オランダ語woensdag、古フリジア語Wērnisdei(≈ Wērendei)、古ノルド語Óðinsdagr、デンマーク語・ノルウェー語・スウェーデン語onsdagなどである。これらはすべて後期ゲルマン祖語*Wodanesdagから派生したものだが、これはラテン語Mercurii dies「メルクリウスの日」からのカルク(翻訳借用)である。

在証

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ローマ時代から大移動時代まで

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One of the Torslunda plates. The figure to the left was cast with both eyes, but afterwards the right eye was removed.[1]
The name Wōđnas on a bracteate from the early 5th century AD written as a mirrored text

ゲルマン人に関する最古の記録はローマ人によるものである。その著作には、いわゆるローマ的解釈(interpretatio romana、非ローマの神を似たような性質のローマの神と同一視する)を通じたオーディンへの言及がしばしば見られる。すなわちメルクリウスとしてである。これを明確に示す最初の例は、タキトゥスによる1世紀末の著作『ゲルマーニア』である。『ゲルマーニア』ではスエウィ人の宗教に関する記述があり、「神々のうちでも彼らはメルクリウス神を主に崇拝している。決まった日にメルクリウスに人身御供を行うことは、宗教的義務だと考えられている。ヘラクレスとマルスには認められた種類の動物が捧げられる」とタキトゥスは書いている。また一部の人々は「イシス」を崇めているともある。この例では、タキトゥスはオーディンのことを「メルクリウス」と、トールを「ヘラクレス」と、テュールを「マルス」と、そして(異論はあるものの)おそらくフレイヤを「イシス」と呼んでいる。

アンソニー・バーリーによれば、オーディンとメルクリウスの同一視は、伝統的にメルクリウスの役割とされた神々の伝令使という要素とはあまり関係がなく、むしろメルクリウスのサイコポンプとしての役割によるものであるという。同一視の要因として、当時すでにオーディンもメルクリウスも杖と帽子を身につけて放浪する商業の神として描かれたがゆえに類似のものとみなされた可能性もある。とはいえ、それぞれの宗教における神々の序列は大きく異なっている。タキトゥスが書いた「神々のうちでも彼らはメルクリウス神を主に崇拝している」という一節は、ユリウス・カエサル『ガリア戦記』からの直の引用である。『ガリア戦記』ではこれはゲルマン人ではなくガリア人について言及した箇所のものである。カエサルは、ゲルマン人は「見分けるものや明らかにその力で助けられるもの、太陽とウゥルカーヌスと月だけを信仰」すると書いている。これは明らかに事実ではないとして学問的には斥けられているが、どうしてカエサルがこのように述べたのかは不明である。

ゴート人がオーディン/メルクリウスを信仰していたかどうかを示す直接的な証拠はなく、オーディンを信仰する集団がいたかどうかが議論がある。リチャード・ノースとヘルヴィック・ヴォルフラムの両人がゴート人にはオーディン信仰はなかったとしており、ヴォルフラムがゴート語の曜日はギリシア式であることを根拠として挙げている。ピエトロアッサの首輪には"gutaniowi hailag"というゴート語の刻印がなされており、「ウォーダン=ユピテルに捧ぐ」と読むという説もあるものの、異論も多い。

オーディンの名前が初めて確認できる最古の例は、2020年にデンマークで発見されたC-ブラクテアート貨幣である。400年代に遡るとみられるこの貨幣には、"iz Wōd[a]nas weraz"(其はオーディンの人なり)と読めるノルド祖語のエルダー・フサルクによる刻印がなされている。イングランドの諸王国は7世紀にはキリスト教に帰依していたが、オーディンの名前は王家の系図の祖としてしばしば挙げられた。九つの薬草の呪文や古英語のルーン詩、あるいは「ソロモンとサターン」のなぞかけ詩など、現存する古英語の詩にもオーディンが直接的・間接的に言及された例がある。九つの薬草の呪文では、オーディンは9つの枝を用いて長虫(wyrm)を屠ったとある。ビル・グリフィスによると、11世紀の写本に残されたこの詩は「古英語のテクストの中でも最も難解なものの一つ」だという。オーディンへの言及のある箇所は以下の通りである。

次のスタンザはチャービルとフェンネルの創造に関するもので、「賢明なる主(witig drihten)」が「懸られし時」に生み出し、人の世界に「据え送」ったとある。これについてグリフィスは、「キリスト教の文脈では『懸られし』というのはキリストの磔刑のことと思われるだろうが、(数行前にオーディンへの言及があることを考えると)オーディンが知を得るために首を首を縊ったエピソードとの関連もむしろありそうである」と述べている。古英語の格言詩『格言その一(Maxim I)』でも「ウォーデン偶像作れり(Woden worhte weos)」頭韻句でオーディンが名指しされており、キリスト教の神と対置されてこき下ろされている。

The Old English rune ós, which is described in the Old English rune poem

このスタンザの最初の語ōsは、ラテン語では「口」を意味するが、古英語には同音語のosがあり、これは特に異教の神を表す単語である。このことから、この詩は検閲されていて、もともとはオーディンに言及するものだったのではないかという説もある。カスリーン・ハーバートは、「osは古ノルド語のas、つまりアース神族の一員を示す語と同根である。古英語では、オズリック(Osric)、オズワルド(Oswald)、オズムンド(Osmund)などの人名に使われる要素だが、キリスト教の神を表す語としては使われない。ウォーデンは能弁の神メルクリウスと同一視される。北欧の神オーディンに関する物語では、知恵の代償に片目を差し出したとあり、また彼は詩の蜜酒も得ている。ルーンに関する知識を持つキリスト教者にとっては幸運なことに、ラテン語のosで置き換えることによって、意味を壊さずにかつウォーデンへ直接言及することなくルーン名の外形を保つことができた」と述べている。

散文の物語『ソロモンとサターン』では、「巨人メルクリウス(Mercurius se gygand)」が文字の発明者として言及されている。これはおそらく、北欧神話でルーン文字を創ったオーディンのことであり、タキトゥスに遡るオーディンとメルクリウスを同一視する慣習が継続していたと解釈することができる。『ソロモンとサターン』所収の詩には、命を賭けた知恵比べに挑むオーディンと巨人ヴァフスルーズニルを取り上げた古ノルド語の詩『ヴァフスルーズニルの言葉』のような、オーディン関連の古ノルド語文献の様式のものがある。

Odin and Frea look down from their window in the heavens to the Winnili women in an illustration by Emil Doepler, 1905
Winnili women with their hair tied as beards look up at Godan and Frea in an illustration by Emil Doepler, 1905

7世紀の『ランゴバルド王国の民族の起源』や、それに基づくパウルス・ディアコヌスによる8世紀の著作『ランゴバルドの歴史』では、イタリア半島地域を支配したゲルマンの一部族ランゴバルド人の起源神話が語られている。この伝説によれば、ウィンニリ族として知られる「小さき人々」が、ガンバラという女性とその息子イボルとアイオに率いられていたとある。アンブリとアッシ率いるヴァンダル人が軍を引き連れ、ウィンニリに貢納か軍役を求めたが、ガンバラはその要求をはねつけた。アンブリとアッシがウィンニリに対する勝利を願ってゴダン神に祈ると、ゴダンはそれに「日の出の後、先に我に見えたものに勝利を与えん」と応えた(『ランゴバルド王国の民族の起源』の長い版にのみ所収)。

一方、イボルとアイオはゴダンの妻であるフレアを頼った。フレアが助言して言うには、「日の出とともに現われよ、女どもはその夫の如く、その髪を顔の前に垂らし髭のようにして」とのことである。日が昇ると、フレアはゴダンのベッドを東向きに変えてから彼を起こした。ゴダンはウィンニリと髭を蓄えた女達を見て、「この長髭のものたちは何者か?」と尋ねた。フレアがゴダンに答えて曰く、「彼らに名前を授け、合わせて勝利も授けよ」。ゴダンはそのようにし、「ウィンニリは助言に従って自らを守り、勝利を得る」こととなった。こうしてウィンニリはランゴバルド(長髭人)として知られるようになったという。

ボッビオのヨナスは、7世紀半ばの記述で、アイルランドの修道士コルンバヌスがスエビアでウォダーノ(ラテン語: vodano)への酒の奉納を妨害したと述べている。現在のマインツから見つかった、『古サクソン語のバプテスマの誓い』と呼ばれる9世紀の文献には、サクソン人の3柱の神名としてウォーデン(UUôden)、サクスノート(Saxnôte)、スニャール(Thunaer)が記録されており、改宗者はこれらを悪魔として信仰放棄をすることになっていた。

Odin Heals Balder's Horse by Emil Doepler, 1905

ヴァイキング時代以降

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A 16th-century depiction of Norse gods by Olaus Magnus: from left to right, Frigg, Odin, and Thor

11世紀、年代記作家のブレーメンのアダムは、彼が付した『ハンブルク教会史』へのスコリア(欄外注)において、ウォーダンと「フリッコ」を両脇に侍らせたトールの神像が、ウプサラ神殿に祀られていたことを記録している。アダムは、「ウォーダンすなわち狂気なり(Wotan id est furor)」と書いて、オーディンを「戦争を司り、敵に対する力を人々に与える」狂気の神であり、神殿の人々は(「我々がマルスを描くのと同じように」)鎧を身に着けた姿で描くと記述している。アダムによると、ウプサラの人々は、それぞれの神を奉ずる神官(ゴジ)を配し、供犠(blót)を執り行わせた。戦争の際は、オーディンの像に対して供犠が捧げられたという。

ノルウェーが「公式に」キリスト教化されて数世紀経った12世紀にも、オーディンはなお広く人々の祈りの対象であった。ノルウェーのベルゲンで発見されたブリッゲン刻字群にあるルーンの刻まれた棒には、トールとオーディンに助けを求める文言が書かれている。

古エッダ

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The trio of gods giving life to the first humans, Ask and Embla, by Robert Engels, 1919

異教時代に遡る古い資料を集めて13世紀に編纂された『詩のエッダ』では、収められたほとんどの詩にオーディンが登場する。

『巫女の予言』は、オーディンと不死の巫女(ヴォルヴァ)の対話の形を取っている。ヴォルヴァは、オーディンに過去の知識を与え、ラグナロクの勃発と世界の破壊と再生を予言する。ヴォルヴァの語りの中には、最初の人間(アスクとエンブラ)が、オーディン、ヘーニル、ローズルの3柱によって見出され命を与えられた話がある。『巫女の予言』第17スタンザでは、ヴォルヴァが詩を朗じ、ヘーニルとローズルとオーディンが地面の上にアスクとエンブラを見つける。力なく、オルログ(運命)を欠いたこの2人に、3柱から3つのものが授けられる。

3つの贈り物の意味については論争があり、それによって翻訳も多様になっている。

詩の後半では、ヴォルヴァはアース神族とヴァン神族の戦争について語る。この世界最初の戦争では、オーディンはヴァン神族の軍勢に槍を投擲する。ヴォルヴァはオーディンに、オーディンが自分の目を、「毎朝ミーミルが蜜酒を飲む」というミーミルの泉に隠したことを知っていると言う。オーディンが首飾りを与えると、ヴォルヴァはさらなる情報を語る。「戦の主の淑女」すなわちオーディンの淑女たるヴァルキュリャの名前の羅列などである。ヴォルヴァはラグナロクを予言する中で、オーディンの死を予見する。終末の大戦において、オーディンは大狼フェンリルと戦うことになる。オーディンは大狼に呑み込まれるが、オーディンの子ヴィーザルが狼の心臓を突いて復讐を遂げるという。世界は燃え尽きて新生すると、生き残った神々は再び集まって、オーディンの事績と「古代のルーン」を回顧する。

Odin sacrificing himself upon Yggdrasil as depicted by Lorenz Frølich, 1895

『高き者の言葉』は、全体がオーディンのものとされる箴言から成る。これに含まれる人生訓は、実践的なものから神話的なもの、神秘的なものもある。オーディンが語るさまざまな内容の中には、自身の自己犠牲の場面もある。

I know that I hung on a wind-rocked tree,
nine whole nights,
with a spear wounded, and to Odin offered,
myself to myself;
on that tree, of which no one knows
from what root it springs.
Bread no one gave me, nor a horn of drink,
downward I peered,
to runes applied myself, wailing learnt them,
then fell down thence.
Benjamin Thorpe translation:
I ween that I hung on the windy tree,
Hung there for nine nights full nine;
With the spear I was wounded, and offered I was,
To Othin, myself to myself,
On the tree that none may know
What root beneath it runs.
None made me happy with a loaf or horn,
And there below I looked;
I took up the runes, shrieking I took them,
And forthwith back I fell.
Henry Adams Bellows translation:
I know that I hung on a windy tree
nine long nights,
wounded with a spear, dedicated to Odin,
myself to myself,
on that tree of which no man knows
from where its roots run.
No bread did they give me nor a drink from a horn,
downwards I peered;
I took up the runes, screaming I took them,
then I fell back from there.
Carolyne Larrington translation:

詩の中には木の名前は登場せず、北欧神話には他の木々も存在するものの、この木は世界樹ユグドラシルであるというのがほぼ定説となっている。もしこれがユグドラシルだとすれば、「恐るべきもの(=オーディン)の馬」というその名前自体がこの物語と関連するものである。オーディンは首縊りと絞首台に結び付けられる。

After being put to sleep by Odin and being awoken by the hero Sigurd, the valkyrie Sigrífa says a pagan prayer; illustration (1911) by Arthur Rackham


女は目覚め、起き上がると、シグルズを見た。ここからの2スタンザは二人の会話である。2つ目のスタンザでその女が話すことには、大神オージンの魔法で覚めない眠りに落とされ、長く眠っていたという。シグルズが名前を尋ねると、女は言葉を忘れなくなる蜜酒の角杯をシグルズに与えた。女は続く2スタンザで異教の祈りを唱えた。散文部分で、この女はシグルドリーヴァという名前のヴァルキュリャであると説明される[4]

シグルドリーヴァはシグルズに、戦った2人の王の話をした。曰く、オージンはその片方、兜のグンナルに勝利を約束したが、シグルドリーヴァはオージンの意に背きグンナルを倒してしまった。オージンは罰として眠りの茨で彼女を刺し、「今後は戦で勝利を決してうることはな」いと言って、結婚を命じた。シグルドリーヴァは、恐れを知らぬ男としか結婚しないとオージンに返答したという。シグルズはシグルドリーヴァに全世界の知恵を教えてくれるよう頼む。すると彼女は、ルーンの書き方、魔術、予言の知識をシグルズに与えた[5]

散文のエッダ

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13世紀に古い伝承を編纂された『スノッリのエッダ』にも、オージンは全編に渡って言及がある。第9章である『ギュルヴィたぶらかし』において、オージンに関する説明が長々となされる。神々の領域アスガルドを統べる王であり、また神々や人間、その他の事物を生み出した「万物の父」であるとされる。『ギュルヴィたぶらかし』ではアスガルドについて以下の描写がある。

『ギュルヴィたぶらかし』では、王冠を被った人物(ハール)が、ガングレリ(ギュルヴィ王の変装)に、オージンの肩に止まっているという2羽のワタリガラス、フギンとムニンの話をする。オージンが夜明けに送り出したフギンとムニンは世界中を飛び回り、夕飯の時間に戻ってくる。そうしてオージンはさまざまな出来事について知るのである。ハールによれば、これがオージンが「鴉の神」と呼ばれる所以であるという。このスタンザは『グリームニルの言葉』でも引用される。

同じ節でハールは、オージンは食卓のすべての食物を2匹の狼ゲリとフレキに与えてしまうという話をする。オージンにとってはワインが肉でもあり飲み物でもあるため、食物を必要としないからであるという。

ヘイムスクリングラとサガ

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Óðinn throws his spear at the Vanir host in an illustration by Lorenz Frølich (1895)

『ヘイムスクリングラ』に含まれるいくつかのサガにもオージンは登場する。『ヘイムスクリングラ』の最初の部分を成す『ユングリング家のサガ』では、神々の由来がエウヘメリズム的な形で述べられる。オージンが登場するのは第2章で、アスガルズの首都であるところの「アースの地にして家(古ノルド語: Ásaland eða Ásaheimr)」に住まう。大首長オージンによって治められるアスガルズは、「生贄のための聖地」であるという。12の神官が最高の地位に置かれる習わしで、彼らが生贄を取り仕切り、人に対して審判を下す。「彼らは首長(diar)と呼ばれ」、民には彼らに仕え、尊敬する義務があった。オージンは歴戦の勇士であり、世界を巡って多くの地を征服した。オージンは百戦百勝で負けを知らなかった。サガによれば、その果てに、すべての戦に「勝つ運命を下された」と信じられるようになったという。人を戦争や任務に向かわせる前には、オージンは手をその人の頭に載せ、加護(bjannak、ラテン語のbenedictioに由来)を与えた。これによって人々は自身の勝利を確信したという。オージンへの信心はいや高く、その名を呼べばその助けが得られるとされた。オージンは長期に渡って不在にすることがよくあった[6]

3章では、オージンの兄弟ヴェーとヴィリについて述べられる。オージンがいない間は、この2人が王国を統べた。あまりにも長くオージンが不在にし、アースの民ももう戻るまいと思い始めた頃、ヴェーとヴィリはオージンの後の座を継ぎ、また「残された妃フリッグも分け合った。しかし、その後、オージンは戻ってフリッグを取り返した」。4章では、アースとヴァンの戦争が描かれる。それによれば、オージンが「ヴァンに戦争を仕掛けた」とある。ヴァンは防衛を図り、戦争は膠着状態に陥って、双方の土地が荒廃した。平和協定の一部として、人質交換が行われた。一度、交換が不首尾に終わり、結果としてヴァンは送られてきた人質であるミーミルを斬首することになる。ヴァンがミーミルの首をアースに送り返すと、オージンは首を「取りて、腐らぬよう薬草で包み、呪文(galdr)をかけた」。するとミーミルは首だけで話せるようになり、「神秘の物事をオージンに伝えた」。

『ヴォルスンガ・サガ』では、大王レリルとその妃は子を儲けることができず、運命に憤慨し、子を授かれるよう神々に熱心に祈った。フリッグがその願いを聞き、オージンに伝えたという。2柱はヴァルキュリャをレリルのもとに送り、レリルが塚に座っているときにその膝にりんごを落として与えた。分けてりんごを食べた后は懐妊し、その子はヴォルスングと名付けられた。

Odin sits atop his steed Sleipnir, his ravens Huginn and Muninn and wolves Geri and Freki nearby (1895) by Lorenz Frølich

13世紀の『ヘルヴォルとヘイズレク王のサガ』には「ヘイズレクの謎掛け」という詩があり、スレイプニルとオージンへの言及がある。

「その疾走する二つの影は何者か?

眼は三つ持つが、尾はただ一つ。答えよ我に、ヘイズレク!」

「良い謎掛けだ、ゲスツムブリンデ。

答えはオーディン、スレイプニルを駆っている」

近代の民話

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Odin's hunt (August Malmström)

スカンディナヴィアでは、19世紀になるまで、土着の民話や民俗慣習にオージンが登場した。19世紀半ばに刊行された著作において、ベンジャミン・ソープは、ゴットランドにおいて「今なお古老オーディンの伝承と物語が人々の口に上る」と記録している。またスウェーデンのブレキングェでは、「オーディンの馬のために麦束を畑に残る慣習がかつてあった」と書いているほか、もう1つの例として、スモーランド地方のクロークトルプスゴードなどではオージンの遺体が収められているとされる塚が暴かれたとされていることに触れている。キリスト教化後、その塚は「地獄の丘(Helvetesbackke)」として知られたという。地元に伝わるところによれば、塚が暴かれた際、「あざやかな火が噴き出し、さながら雷光の閃きのごとし」で、大量の燧石と灯火でいっぱいの棺が掘り出されたという。さらに、トルイエンボリ周辺に住む修道士がライ麦を蒔き、それが一斉に芽を出すと、オージンが毎晩丘から馬に乗ってやってきたという伝説もあるという。オージンは農場の建物よりも大きく、手には槍を持っていた。農場の入口で立ち止まってあらゆるものの出入りを防ぎ、それは麦の収穫まで毎晩続いたという[7]

ソープによれば、「黄金の船がルネマドの近く、ニュッケルベリのそばで沈んだという話」も伝わっており、「この船は、伝説によれば、オーディンがブローヴァッラの戦いで戦死者をヴァルハラに運んだもの」とされているという。また、ケッティルソース(Kettilsås)の名前は「オーディンのルーンの杖(runekaflar)を盗んだケティル・ルンスケという人物」に由来しているという伝説がある。彼はオーディンの犬、雄牛、そしてオーディンを助けに来た人魚を縛り付けたという[8]

1851年の記録では、スウェーデンでは、「夜中に荷車や馬の音がすると、人々は『オージンが通る』と言った」という。

中世後期に遡るフェロー諸島のバラッド「ロキの話(Loka Táttur)」では、オージンとロキ、ヘーニルが農夫と少年を助け、賭けに勝った巨人の怒りから逃れさせるという話がある[9]

考古学的記録

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A C-type bracteate (DR BR42) featuring a figure above a horse flanked by a bird
A plate from a Swedish Vendel era helmet featuring a figure riding a horse, accompanied by two ravens, holding a spear and shield, and confronted by a serpent

オーディンに関連する描写は多くの物品に見られる。5世紀から6世紀の大移動期に作られた金のブラクテート(タイプA、B、C)には、馬の上に立ち、槍を持ち、1羽または2羽の鳥に囲まれた人間の姿が描かれている。鳥が描かれていることから、この人物はオージンであり、フギンとムニンに囲まれていると解釈されている。人間の耳元や馬の耳元に鳥が描かれることがあり、これは『散文のエッダ』にあるカラスの記述と一致している。ブラクテートはデンマーク、スウェーデン、ノルウェーで発見されており、少数ながらイングランドやデンマーク南部の地域でも発見されている。オーストリアのゲルマン学者ルドルフ・ジメックは、これらのブラクテートはオージンと彼のカラスが馬を癒している様子を描いている可能性があり、カラスが単に戦場での仲間であるだけでなく、「オージンの獣医としての役割を助ける者」であったことを示しているかもしれないと述べています。

スウェーデンの墳墓から発見されたヴェンデル時代(6世紀または7世紀)の兜のプレートには、兜をかぶった人物が槍と盾を持ち、馬に乗っている姿が描かれており、その両側には2羽の鳥が描かれている。このプレートは、オージンが2羽のカラス、すなわちフギンとムニンに付き添われている姿として解釈されている。

スウェーデンのゴットランド島から出土した8世紀の絵画石碑のうち、ティヤングヴィデ石碑とアードルVIII石碑の2つには8本足の馬が描かれており、定説ではこれがスレイプニルを表しているとされる。どちらの石碑にも8本足の馬に跨る騎手が描かれており、オージンと考えられている。ティヤングヴィデ石碑の上部には、槍を持つ人物が水平に描かれており、これはヴァルキュリャの可能性がある。また、女性が杯を持って騎手を迎える場面は、騎手が死者の世界に到着するシーンとして解釈されている。7世紀中期のエッジャ石碑には、オージンに関連する名前である「ハラス」(古ノルド語: haras、「軍神」の意)が刻まれており、これもスレイプニルを描いていると解釈されることがある。

デンマーク北部のベイセバッケから出土した、ゲルマン鉄器時代の鳥形ブローチの一対は、フギンとムニンを表している可能性がある。各鳥の背中には仮面のモチーフがあり、鳥の足は動物の頭の形をしている。鳥の羽も動物の頭で構成されており、これらの頭が一緒になって鳥の背中に仮面を形成している。鳥は強力な嘴と扇形の尾を持っており、カラスであることを示しています。これらのブローチは、ゲルマン鉄器時代の流行に従って各肩に装着されるように作られたものである。考古学者のピーター・ヴァン・ピーターセンは、このブローチのシンボリズムについて、議論の余地があるとしながらも、嘴と尾羽の形状は確かにカラスを示しているとコメントしている。ピーターセンは「当時の流行に従って、対になったカラス形の装飾品を一つずつ肩に装着することは、オージンのカラスとゲルマン鉄器時代のオージン崇拝を連想させる」と述べている。また、オージンは変装と関連しており、カラスに描かれた仮面はオーディンの肖像を示しているかもしれないとも指摘している[10]

ノルウェーのヴァイキング時代のオーセベリ船墓から発見されたオーセベリのタペストリーの断片には、馬の上を舞う2羽の黒い鳥が描かれている。これらの鳥は、おそらく元々は(タペストリーに描かれた行列の一部として)馬車を先導していると思われる。アンネ・スティーネ・イングスタッドの研究では、これらの鳥はフギンとムニンであり、オージンの像が載せられた屋根付き荷馬車の上を飛んでいると解釈されている。これは、タキトゥスによって1世紀に証言されたネルトゥスの像と類似している[11]

デンマークのリーベでの発掘調査では、ヴァイキング時代の鉛製鋳型と11個の同一鋳型が発見された。これらの鋳型には、2つの頭飾りをもつ兜をかぶった口ひげの男が描かれている。考古学者スティグ・イェンセンは、この頭飾りをフギンとムニンと解釈し、その男をオージンとしている。彼は「同様の描写は、ヴァイキングが訪れたすべての場所、東イングランドからロシア、そしてもちろんスカンディナヴィア全域で見られる」と指摘している[12]

マン島のカーク・アンドレアスに建てられた、部分的に現存するルーン石碑であるソルヴァルドの十字架の一部には、槍を狼に向けて下ろしている髭を生やした人物が描かれている。その右足は狼の口に置かれており、その肩には大きな鳥がとまっている[13]。アンディ・オーチャードは、この鳥がフギンまたはムニンである可能性を指摘している[14]。この十字架は、Rundataによると940年頃、プルスコフスキによれば11世紀のものとされる[15]。この描写は、肩にカラスまたは鷲をとまらせたオージンが、ラグナロクのさなかに大狼フェンリルに飲み込まれる様子として解釈されている[16][17]

The Ledberg stone at Ledberg Church, Östergötland, Sweden

スウェーデンの11世紀のレードベリ石碑には、ソルヴァルドの十字架と同様に、4足の獣の口に足を入れている人物が描かれている。これもまた、ラグナロクでフェンリルに飲み込まれるオージンの描写と考えられている[18]。獣とその人物の下には、兜をかぶった足のない人物が腕を伸ばして伏せた姿が描かれている[19]。石碑に刻まれた新フサルクの碑文は追悼の献辞でよく見られるものだが、その後に続く符号化されたルーン文字の並びは「謎めいて」おり[20]、「古代北欧世界の至る所で知られている興味深い魔法の呪文」とされている[21]

2009年11月、ロスキレ博物館はレイレで発見されたニエロ象嵌の銀像の発見と展示を発表し、これを「レイレのオージン」と名付けた。この銀製の像は、動物の頭をもつ玉座に座る人物を描いており、両側には2羽の鳥がいる。ロスキレ博物館は、この人物をフギンとムニンに囲まれた玉座フリズスキャールヴに座るオージンであると同定している[22]

Valknut on the Stora Hammars I stone

さまざまな考古学的発見物に見られる、現代では「ヴァルクヌート」として知られる象徴について、さまざまな解釈が提案されている。物体のどこに配置されているかという点から、この象徴がオージンを指すものと解釈する学者もいる。例えば、ヒルダ・エリス・デイヴィッドソンの理論では、ヴァルクヌートとオージン、そして「精神的な束縛」の間に関連があるとされる。古英語のルーン詩は、古英語のルーン文字(フサルク)を説明するものである。ᚩ(ós)について述べるスタンザが下記である。

デイヴィッドソンによると、同様の象徴がイーストアングリアのアングロ・サクソン人の墓地から出土した「一種の火葬壺」に描かれた狼やカラスの図像の横にも見られる。オージンが火葬と関連することは知られており、アングロ・サクソン時代のイングランドでオージンと結びつけるのも無理ではない。デイヴィッドソンは、神名の語源を通じて、恍惚をもたらすというオーディンの役割とのさらなる関連性を論じている。

起源に関する議論

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スカンディナヴィアの農民の土着の神はトールであって、オージンは後から導入された首長や詩人の神であったと主張したのは、1876年のヘンリー・ペテルセンの博士論文が端緒だが、この論のように、オージンが他所から輸入された神であるというのがかつての定説であった。ベルンハルト・サリンは、この説を発展させ、オージンとルーン文字の両方が鉄器時代に南東ヨーロッパから導入されたと論じた。これは、洞窟壁画やブラクテートにあるモチーフを根拠とし、また『散文のエッダ』の序文においてアース神族がスカンディナヴィアに移住したという記述を参照したものである。他の学者は、導入の時期を異なる時期に置いており、アクセル・オルリックは、ガリアの影響の結果として大移動時代に導入されたとしている[24]

より急進的な見解として、考古学者で比較神話学者のマリヤ・ギンブタスとゲルマン学者のカール・ヘルムは、トールとオージンを含むアース神族全体が北ヨーロッパに後から導入されたものであり、この地域の土着の宗教はヴァン神族のものであったと主張した[25]

16世紀には、ヴァーサ朝全体を通じて、オーデン(スウェーデン語: Oden)はスウェーデンの最初の王と公式に見なされていた。これは、ヨハネス・マグヌスによって作られた虚飾された王のリストに影響を受けたものであった。

ジョルジュ・デュメジルの三機能仮説によれば、オージンはインド・ヨーロッパ神話体系における主要な機能の一つを担っており、第一機能(主権)の代表として位置付けられ、ヒンドゥー教のヴァルナ(怒りと魔法)に対応している。一方、チュールはヒンドゥー教のミトラ(法と正義)に対応しており、ヴァン神族は第三機能(豊穣)を表している[26]

オージンに対するもう一つのアプローチは、その機能と属性に基づくものである。多くの初期の学者たちは、彼を風神、また死神として解釈していた[27]。また、彼の恍惚状態に関連する行為との関係からも解釈されており、ヤン・デ・フリースは彼をヒンドゥー教の神ルドラやギリシアのヘルメスと比較している[28]

近代への影響

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ドイツのメルゼブルクで発見された10世紀の写本には、メルゼブルクの第2の呪文として知られるキリスト教以前の呪文が載っている。これは、オーディンを始めとする大陸ゲルマン神話の神と女神に祈願して馬を癒やす助けを得るものである。

Wotan takes leave of Brunhild (1892) by Konrad Dielitz

オーディン神は、美術、文芸、音楽などの分野で芸術家の霊感の源となってきた。近代美術においてオーディンが描かれた例としては、ペンとインクで描かれたペール・ホルベリの「オーディンがシグトゥーナを建設する」(1812)と「ギルフェ王、スウェーデンに到着したオーデンを迎える」(1816)、ベンクト・エルランド・フォーゲルベリによる角杯彫刻「ギルフェとオーデンの出会い」(1818)、大理石の像「オーディン」(1830)、および巨大な胸像「オーディン」、ヘルマン・アーンスト・フロイントによる彫像「オーディン」(1812/1822)」および「オーディン(1824/1825)」、R・クラウゼによるバイロイトのヴィラ・ヴァーンフリートの入り口の上に描かれたズグラッフィート「オーディン」(1874)、エドワード・バーン=ジョーンズによる絵画「オーディン」(1880頃)」、K・エーレンベルクによるデッサン「トールとマグニ」(1883)、H・ナターによる大理石像「ヴォーダン」(1887頃)、コンラッド・ディーリッツによる油絵「オーディンとブルンヒルデ」(1890)、ハンス・トーマによるデッサン「戦争の神としてのオーディン」(1896)、ドロシー・ハーディによる絵画「オーディンとフェンリル」(1900頃)、コロマン・モーザーによる油絵「ヴォータンとブルンヒルデ」(1914)、S・ニルソンによる絵画「ヴァルハラへの道」、ダグフィン・ウェレンショルドによるオスロ市庁舎の木彫りレリーフ「オーディンとミーメ」(1938)および中庭の色付き木彫りレリーフ「スレイプニルに乗るオーディン」(1945–1950)、ブロル・マルクルンドによるスウェーデン国立古代博物館の扉のブロンズレリーフ「オーディン」(1950)などがある。

近代文学においてオーディンを取り上げた作品には、フリードリヒ・フォン・ハゲドルンの詩「葡萄酒」(1745)、フリードリヒ・ゴットリープ・クロプシュトックの詩「ヴォータン讃歌」(1769)、ピーター・フレデリック・スームの詩「オーディンについて」(1771)、K・G・レオポルドの悲劇「オーディンまたはアース神族の移住」、イェンス・バゲセンの叙事詩「オーディンまたはデンマーク王国の創設」(1803)、N・F・S・グルントヴィの詩「仮面舞踏会」(1803)および「ノルンとアース神族の戦いの場面:北欧へのオーディンの到来」(1809)、アダム・エーレンシュレーゲルの「北欧の神々」(1819)に収録された詩、カール・ユーナス・ルーヴェ・アルムクヴィストの四部作小説『スヴィアヴィガマル』(1833)、トマス・カーライルの『英雄について』(1841)から「神としての英雄」、ウィリアム・ワーズワースの「序曲」(1850)、アロイス・シュライバーの詩「オーディンの海の旅」(1851)にカール・ルーヴェが作曲を施したもの、ロバート・ハーメルリングのカンツォーネ「ゲルマン人の行進」(1864)、リヒャルト・ワーグナーの詩「25周年」(1870)、F・シャンツのバラッド「ロルフ・クラケ」(1910)、オラフ・ドゥンの小説『ユーヴィキングルネ』(1918–1923)、エルンスト・トラーの喜劇『解き放たれたヴォータン』(1923)、カール・ハンス・シュトロブルの小説『ヴォータン』、ハンス・フリードリッヒ・ブルンクの『ヴォーデン氏の出発』(1937)、H・ブルテの詩「自己へ」(1938)、およびハンス・フリードリッヒ・ブルンクの小説『帝国の伝説』(1941–1942)がある。

オーディンを取り上げた音楽には、J・H・ストゥンツによるバレエ「オーディンの剣」(1818)および「オルファ」(1852)、リヒャルト・ワーグナーによる歌劇『ニーベルングの指環』(1848–1874)がある。

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  1. ^ Price 2019, p. 309.
  2. ^ Griffiths (2006 [2003]:183).
  3. ^ 唐澤 訳、『アングロ・サクソン文学史:韻文編』東信社、2004年、p.56。
  4. ^ Larrington (1999:166–67).
  5. ^ Larrington (1999:167).
  6. ^ Hollander (1964), p. 7.
  7. ^ Thorpe (1851:50–51).
  8. ^ Thorpe (1851:51).
  9. ^ Hirschfeld (1889:30–31).
  10. ^ Petersen (1990:62).
  11. ^ Ingstad (1995:141–42).
  12. ^ Jensen (1990:178).
  13. ^ Pluskowski (2004:158).
  14. ^ Orchard (1997:115).
  15. ^ Pluskowski (2004:158).
  16. ^ Pluskowski (2004:158).
  17. ^ Jansson (1987:152)
  18. ^ Jansson (1987:152)
  19. ^ Jansson (1987:152)
  20. ^ MacLeod, Mees (2006:145).
  21. ^ Jansson (1987:152)
  22. ^ Roskilde Museum. Odin fra Lejre Archived 26 June 2010 at the Wayback Machine. and additional information Archived 19 July 2011 at the Wayback Machine.. Retrieved 16 November 2009.
  23. ^ a b Pollington (2008:46).
  24. ^ de Vries 1970b, pp. 89–90.
  25. ^ Polomé 1970, p. 60.
  26. ^ Turville-Petre 1964, p. 103.
  27. ^ de Vries 1970b, p. 93.
  28. ^ de Vries 1970b, pp. 94–97.
  29. ^ a b Griffiths (2006 [2003]:174).

参考文献

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外部リンク

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  • MyNDIR(My Norse Digital Image Repository):手稿や初期の印刷本に描かれたオーディンのイラストを収録している。サムネイルをクリックすると、画像全体とその情報が表示される。

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