利用者:Ami du Peuple/1791年憲法
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1791年憲法[1](せんななひゃくきゅうじゅういちねんけんぽう, 仏: Constitution de 1791)は、フランス革命中の1791年9月3日に立憲議会が制定したフランスで最初の成文憲法である。
この憲法は人権宣言を冒頭に掲げ[2]、身分制廃止[3]による差別撤廃を謳い、国民主権、立憲君主制、三権分立[4]、地方分権が盛り込まれたが、一院制の議会は財産資格のある制限選挙の間接選挙制であり、国王は執行権と停止的拒否権を保持した。憲法の信任は、国民投票には付されず、ルイ16世が9月14日に裁可して発効した。
これはブルジョワ革命の理想を集大成したもので、「持てる者」の支配を確保した憲法であり、この体制は91年体制と呼ばれる。
背景
[編集]フランスの最初の立憲主義運動は、1789年5月5日にヴェルサイユ宮殿で開会された全国三部会に端を発し、第三身分を中心に国民議会を形成したのを経て、6月20日の球戯場の誓いで憲法制定まで解散しないと宣言して、憲法制定国民議会(立憲議会)の成立に至った。立憲議会とその内部組織である憲法委員会は、
そうした手詰まり感の中で、7月14日にパリでバスティーユ襲撃事件が起きてフランス革命が始まった。革命の衝撃はデマを流布させ、大恐怖が全国の農村部に広がった。立憲議会は、混乱と焼き討ちを阻止して鎮撫するために、8月4日の夜に封建的特権の廃止を布告して、農民を力で弾圧すべきというブルジョワジーの反対を押しとどめて、身分制度を解体することにした。さらに憲法に先立って前置すべきものとして8月26日に人間と市民の権利の宣言が採択された。これは制定作業中の憲法の指針となるべき宣言で、革命の理念を示すものであった。
憲法委員会は、
、様々な困難に直面した。
ついに最初の憲法を可決するに至った。この間には
以来、国民議会は憲法制定の意志を表明、さらに7月9日には国民議会は「立憲国民議会(Assemblée nationale constituante)」と改称し、立憲体制確立に着手した。
さらに「聖職者基本法」の制定などの曲折をへて1791年9月3日にはじめての憲法が制定されることになった。
憲法論議
[編集]内容
[編集]フランス人権宣言は、単独で語られることが多いが、これは1791年憲法と一対になっており、それぞれ単独では本来の趣旨を理解することはできない。例えば、宣言では「人は自由かつ権利において平等」と定めているが、同時に「社会的差別[5]」を「共通の利益[6]」に基づくならば認める(同宣言第1条)としており、これは憲法本文と合わせて解釈するならば、出自による特権身分の存在と階級的差別は否定するが、財産を持つ者と持たない者の差別は肯定し、「能動市民」と「受動市民」として明確に区分して、平等の権利を認めないことをさしている。また女性の権利は完全に無視されたので、後にオランプ・ド・グージュが指摘するように「男性と男性市民」の権利でしかなかった。つまりこの憲法の規定する平等は限定的なものであったわけで、ブルジョジーが旧特権身分と平等になったというに過ぎず、この憲法の性格を端的に示している。
自由については、商業の自由、財産権の自由を完全に保障する一方で、
この憲法ではフランスは立憲君主制を採用し、王権神授説は放棄されて、国王は立法議会と共に「国民の代表者」の一つとして定義され(第3編第2条)、歳費を貰う一公務員のように規定された。しかし
特徴
[編集]立法議会は1院制で、745人の議員から構成され、任期は2年で、選挙権は納税額による制限選挙権である。そのため、国民の大半を占める農民や貧民は政治から排除され、彼らの不満を受けた。
結果
[編集]内容は、革命派、反革命派の妥協の産物であり、革命の混乱の終息が目的の憲法といえよう。そのため、この憲法によって10月には立法議会が組織されるが、革命の混乱に翻弄され、1792年8月10日のテュイルリー宮殿襲撃によって、「1791年憲法」は事実上破綻する。
脚注・出典
[編集]- ^ 正式名称は「1791年9月3日の憲法(仏: Constitution du 3 septembre 1791)」と言う。フランスの慣習では年月日までが名前となるが、日本や英語圏では年までで以下省略するのが普通
- ^ 人権宣言は、憲法本文の前文よりも前に前置された
- ^ 憲法本文の前文には身分的自由、差別撤廃、商業の自由(ギルド廃止)、機会均等が列挙されている。身分制度はすでに憲法成立以前(1789年8月11日)に撤廃され、ギルドもアラルド法が成立する1791年3月2日をもって廃止されていた
- ^ ただし絶対王政時代に高等法院が強い権力をもった反省から、司法は、立法・行政に比べて一段低い地位に設定された。これはその後のフランスの司法裁判権にも一部引き継がれているが、1791年憲法にはそれが特に顕著で、司法権が立法権と行政権の両方に及ばないことは157条に明確に規定されていた。(後述)
- ^ distinction sociale
- ^ utile commune
参考文献
[編集]- 中村義孝, (編訳) (2003), 『フランス憲法史集成』, 法律文化社, ISBN 4-589-02623-6
- 河野健二, (編) (1989), 『資料フランス革命』, 岩波書店, ISBN 4-00-002669-0
- 小林, 良彰 (1969), 『フランス革命の経済構造』, 千倉書房